​第9話 浮世絵の幻空と隻眼の狙撃手

​歴史省本部、地下第十二訓練区画。

巨大なドーム状の無機質な空間で、鬼塚剛は腕を組み、目の前に並んだ三人の若者を見下ろしていた。

​「——というわけで、今日からてめェら三人で『小隊』を組んでもらう。以上だ」

​その宣告に、真っ先に噛み付いたのは九条晃だった。

​「はァ!? 冗談キツいぜ教官! なんで俺がこんな素人のガキ共の、しかも『三級』の面倒を見なきゃなんねェんだよ!」

「ガキはお前も同じだろ」

「俺は『二級』だ! 足手まといの荷物を持たされて、史域で戦えるかよ!」

​ギラギラと牙を剥く九条の隣で、零は気まずそうに視線を彷徨わせ、美桜は「足手まといって何よ」と不満げに頬を膨らませている。

鬼塚はボリボリと無精髭を掻いた。

​「天才気取りの二級様が聞いて呆れるぜ。てめェの『革新』は確かに強力だが、その『ワンマンプレイ』じゃ上位の史域でいつか必ず死ぬ。局長もてめェの連携能力の絶望的な低さを憂慮してんだよ。だから、今回は特別に『試験官』を呼んでおいた」

「試験官だと?」

​「——相変わらず、吠える声だけは一人前ね。野良犬くん」

​凛とした、しかし明確な嘲りを孕んだ女性の声が訓練場に響いた。

​「あァ?」

九条が凶悪な顔で振り返る。

そこには、歴史省の黒い制服をタイトに着こなした、勝ち気な目つきの女性が立っていた。手には、彼女の身の丈ほどもある長大な対物ライフルが握られている。

​その後ろからは、和装の上に白衣をだらしなく羽織り、スケッチブックを抱えた気怠げな青年が続いていた。

​「朝霧(あさぎり)……それに御堂(みどう)か」

九条の低い唸り声に、対物ライフルを持った女性——二級継承者、朝霧凛(あさぎり・りん)はフッと鼻で笑った。

​「鬼塚教官に頼まれてね。生意気な二級の鼻をへし折る『壁』役なら、喜んで引き受けるわ」

「僕も、美しい構図(インスピレーション)が湧くなら手伝うよ。荒事は嫌いだけどね」

​スケッチブックを抱えた青年——御堂千景(みどう・ちかげ)が、面倒くさそうに筆を取り出した。

​「なんなんだよ、アイツら……」

困惑する零に、鬼塚がニヤリと笑って説明する。

​「どっちもてめェらより先輩の『二級』だ。朝霧凛の継承は【伊達政宗】。狙撃と弱点看破のプロだ。で、後ろの優男が御堂千景。継承は【葛飾北斎】。空間を書き換える幻術使いだ」

​「北斎……!? 絵師の偉人まで継承できるのか!?」

零が驚愕する中、御堂は虚空に向かって大きな筆を走らせた。

​「——継承能力・『浮世絵(うきよえ)』」

​瞬間。

御堂の筆先から、鮮やかな群青色のインクが爆発的に溢れ出し、無機質な訓練場の空間を猛烈な勢いで『塗り潰して』いった。

インクの飛沫が引いた後、そこに広がっていたのは——。

​「ここは……江戸の町!?」

​石畳、立ち並ぶ木造の長屋、遠くに見える火の見櫓。

まるで巨大な一枚の浮世絵の中に迷い込んだような、見渡す限りの江戸の風景が訓練場内に構築されていた。

​「す、すごい……これが北斎の能力……」

「感心してる暇はねェぞ、坊主」

​いつの間にか、鬼塚と御堂の姿は江戸の町の遥か上空、透明な観覧席のような場所に移動していた。

​「ルールは簡単だ。この仮想空間の中で、朝霧を倒せ。制限時間は十分」

鬼塚の声が、空から響く。

​「ハンッ。十分もいらねェよ。伊達政宗だか何だか知らねェが、俺一人で三分で叩き斬ってやる」

九条が柄に手をかけ、江戸の町並みへ足を踏み出そうとした、その時。

​——ズガァァァァァンッ!!

​「なっ——!?」

​九条の足元、ほんの数ミリ先の石畳が、爆発的な威力で粉砕された。

直後、空気を切り裂くような銃声が遅れて響き渡る。

​「どこから……!?」

零が『天啓』を起動し、周囲を見渡す。

はるか遠く、五百メートル以上離れた火の見櫓の頂上。そこに、対物ライフルを構えた朝霧の姿があった。

​「あの距離から、正確に足元を……!?」

「チィッ!!」

​九条が地を蹴り、火の見櫓へ向かって猛烈なスピードで突進する。

だが。

​——ズダンッ! ズダンッ!!

​「ぐおっ!?」

放たれた二発の凶弾が、九条の『次の一歩』を完璧に予測したかのように、その軌道上の地面を正確に穿つ。

九条は体勢を崩し、長屋の陰へと転がり込むことを余儀なくされた。

​「クソッ、なんで俺の動きが……!」

​『天啓』の超速思考が、零の脳内に答えを弾き出す。

​「九条、飛び出しちゃ駄目だ! 朝霧先輩の能力は【伊達政宗】の『覇眼』……相手の筋肉の動きや重心から、未来の軌道を先読みする能力だ! お前の直線的な動きじゃ、完全に的になる!」

「うるせェ! 俺に指図すんな!」

​九条が再び飛び出そうとした瞬間、今度は長屋の壁を貫通した銃弾が、九条の頬を掠めた。

仮想空間とはいえ、痛覚はリアルにフィードバックされる設定だ。九条は舌打ちをして壁際に張り付く。

​「あの女……完全に俺の『死角』を狙ってやがる。この地形じゃ、近づく前に蜂の巣だ」

​焦燥する九条。

その様子を上空から見ていた鬼塚が、呆れたようにため息をついた。

​「ほら見ろ。二級の朝霧はてめェの天敵だ。お前の『革新』は、どんな理不尽な防御やルールも問答無用でぶっ壊す最強の矛だ。だがな——そもそも攻撃が届かねェ超遠距離から、未来予知で完封してくる相手には無力なんだよ。お前の『個の力』には限界がある」

​沈黙が落ちる。

絶対的な距離と、完璧な先読み。

どれほど無敵の斬撃を持っていようと、相手に触れられなければ意味がない。

​(どうする……九条の刃を、どうやってあそこまで届かせる……)

​零は目を閉じ、『天啓』を限界まで加速させた。

朝霧の射線、弾道、風向き、そして——この世界を構築している『葛飾北斎の浮世絵』の構造。

​「……見えた」

​零が目を見開く。道真の知性が、一つの「歪み」を導き出していた。

​「美桜! 『神託』の結界を張れるか!? 全方位じゃなくていい、俺が指示する『一点』だけでいい!」

「う、うん! できるよ!」

「九条! お前は俺の指示通りに動け! そうすれば、絶対に朝霧先輩の『覇眼』をすり抜けて、お前の刃が届く!」

​「ハッ! 三級の素人が、俺に指図する気か?」

九条が鼻で笑うが、その顔には焦りの色が濃い。

​「素人じゃない! 俺には道真公の『天啓』がある! お前の『ルールを壊す刃』を届けるための道を、俺と美桜が作る! この三つを合わせれば、絶対に勝てる!」

​零の迷いのない眼差しに、九条は一瞬だけ口を閉ざし、そして忌々しそうに舌打ちをした。

​「……一回だけだ。一回でも弾が掠ったら、てめェを真っ二つにしてやるからな」

「上等だ! 行くぞ!」

​零の指示が飛ぶ。

「九条、右斜め前へフルスピードで走れ! 三歩目で左へ直角に飛べ!」

「チッ!」

​九条が長屋の陰から飛び出した。

火の見櫓の上の朝霧が、冷たく笑う。

「単調な動きね。もらったわ」

​朝霧の指が引き金を絞る。

『覇眼』が見抜いた九条の三歩目の軌道。そこへ向けて、必殺の弾丸が放たれた。

​「美桜、今だ! 九条の左側、高さ二メートルの位置に結界!」

「神様、お願いっ!」

​美桜が手を突き出す。

空中に現れた青銅鏡の光の盾が、朝霧の放った凶弾を間一髪で弾き返した。

甲高い金属音が響く。

​「なっ……私の弾が!?」

朝霧が驚愕で目を見開く。

​「今だ九条! そこにある『赤い屋根の商家』の壁を蹴って、上空へ跳べ!」

「言われなくても分かってんだよ!」

​結界に守られ無傷だった九条が、赤い屋根の壁を蹴り、凄まじい跳躍力で宙に舞う。

朝霧は即座に次弾を装填し、上空の九条へ銃口を向けた。

空中に逃げ場はない。完全に『覇眼』の捉える的だ。

​しかし、零はニヤリと笑った。

​「そこは、ただの空じゃない。『北斎の浮世絵の、パースの歪み』だ!」

​「——え?」

朝霧のスコープに映る九条の姿が、突如として『グニャリ』と歪んだ。

遠近法(パースペクティブ)を意図的に狂わせた北斎特有の構図。御堂が構築したこの空間には、視覚と実際の距離が噛み合わない『認識の死角』が存在していたのだ。

​『天啓』の圧倒的な処理能力は、その空間的バグを瞬時に解析し、九条をそのピンポイントの座標へと誘導したのである。

​「しまっ——!」

​朝霧の放った弾丸は、九条の残像を空しく貫いた。

視覚のズレから抜け出した九条が、一気に朝霧の懐へと肉薄する。

​「させないっ!」

狙撃手にとって、間合いを詰められることは死を意味する。

朝霧は咄嗟に対物ライフルを盾のように構え、分厚い銃身で九条の刀を受け止めようとした。

だが、距離を詰めた九条の刃の前では、どんな強固な物理装甲も紙切れと同義だ。

​「消えな。——『革新』」

​黒い覇気を纏った刀が、鋼鉄のライフルをバターのように両断し、彼女の首筋スレスレでピタリと止まった。

​「……そこまで!」

​上空から、鬼塚の声が響き渡った。

直後、インクが溶けるように江戸の町並みが崩れ去り、元の無機質なドーム空間へと戻っていく。

​両断された愛銃の残骸を見つめ、朝霧は信じられないという顔で零を見た。

​「私の『覇眼』の先読みを、結界で防いだだけじゃない……千景の構築した空間の『絵画としての矛盾点』まで計算して、私の視覚をバグらせたっていうの……?」

​「……計算通りだ」

冷や汗を拭いながら、零は強がって笑ってみせた。

​「フン……悪くねェ」

九条は刀を納め、忌々しそうに、だが確かな充実感を湛えた目で零と美桜を見た。

自分の「最強の矛」を活かすためには、この素人たちの力が必要なのだと、本能で理解したのだろう。

​「てめェらの力、少しは認めてやる。……あくまで『俺のサポート』としてならな」

「素直じゃないわねえ」

美桜がクスクスと笑う。

​上空の観覧席から飛び降りてきた鬼塚が、満足げに三人の肩を叩いた。

​「見事だ。三級の頭脳(天啓)で死角を作り、三級の盾(神託)で道を切り開き、二級の矛(革新)で理不尽ごとぶっ壊す。それがてめェらの『遊撃小隊』の形だ」

​歴史省の異端なる三人小隊。

のちに数々の高位史域を攻略し、世界を救うことになる彼らの、これが最初の勝利だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る