第四章 三つの試練



アカシア・ライブラリ最深部。


地下へ続く巨大な昇降機は、音もなく降下を続けていた。


外壁はすべて透明な結晶で覆われ、その向こうには無数の光が浮かんでいる。


それは星ではない。


記憶だった。


遠い昔に滅びた文明。


笑い合う親子。


初めて空を飛んだ少年。


恋人へ花を渡す青年。


別れの涙。


生まれたばかりの命。


何百万という人生が、小さな光となって眠っている。


ルカは思わず息を止めた。


「全部……人の記憶なのか。」


「はい。」


ルナは静かに答える。


「アカシア・ライブラリは、本ではなく”人生”を保管する図書館です。」


「だからヴォイドはここを狙います。」


「記憶を喰らうために。」


その言葉を聞いた瞬間。


ルカは初めて、この戦いが単なる宇宙戦争ではないことを理解した。


もしヴォイドが勝てば、人は生き残る。


だが、大切な人を忘れる。


家族も。


友達も。


笑った日も。


泣いた日も。


自分が誰なのかさえ。


「……絶対に止めないと。」


その言葉に、ルナは少しだけ微笑んだ。


「昔も、同じことを言いました。」


ルカは苦笑する。


「また”昔”か。」


ルナは答えず、視線を伏せた。



昇降機が止まる。


目の前に現れたのは、高さ百メートルを超える巨大な扉だった。


銀色の表面には、無数の文字が刻まれている。


どこの言語でもない。


しかし、不思議と意味だけが心へ流れ込んできた。


『力ある者ではなく、心ある者に道を開く。』


ルナがその文字へ手を触れる。


青い光が扉全体へ広がる。


低く重い振動。


何千年も閉ざされていた封印が、ゆっくりと開いていく。


その先には、円形の巨大な空間が広がっていた。


中央には、三つの扉。


赤。


蒼。


白。


それぞれ異なる紋章が刻まれている。


アークの声が静かに響く。


「継承者ルカ。」


「星の鍵を受け継ぐ資格を得るには、三つの試練を越えなければならない。」


ルカは三つの扉を見比べる。


「何をすればいい?」


アークは少し間を置いて答えた。


「戦う。」


ルカは拳を握る。


「やっぱりか。」


「……ただし。」


アークの声が少しだけ優しくなる。


「敵と戦うのではない。」


「自分自身と戦う。」



第一の試練


『恐怖』


赤い扉が静かに開く。


ルナが一歩前へ出る。


「ここから先は、一人です。」


「私は入れません。」


ルカは振り返る。


「終わったら戻れる?」


ルナは微笑む。


「必ず。」


その笑顔に背中を押されるように、ルカは赤い扉の中へ足を踏み入れた。



気がつくと、そこは真っ暗な世界だった。


上下も分からない。


足元さえ見えない。


突然。


誰かの声が聞こえた。


「どうせ無理だ。」


振り返る。


誰もいない。


別の声。


「お前に世界なんて救えない。」


また別の声。


「逃げろ。」


「失敗する。」


「お前のせいで。」


「誰かが死ぬ。」


その声は知らない人ではなかった。


全部、自分の声だった。


ルカは立ち止まる。


心臓が速くなる。


息が苦しい。


「俺は……。」


怖かった。


本当は最初から。


月へ来ることも。


ルナを信じることも。


誰かを守ることも。


全部。


怖かった。


闇がその恐怖を飲み込むように膨らむ。


巨大な黒い影が現れる。


顔はない。


だが、その姿はルカ自身だった。


影が口を開く。


「逃げろ。」


「まだ間に合う。」


「帰れば全部終わる。」


「普通の人生へ戻れる。」


ルカは震える。


心が揺れる。


その時だった。


胸ポケットから、小さな白い花びらが落ちた。


ルナリアだった。


いつの間にか、ルナがそっと入れていた花。


その花が淡く光る。


ルナの声が聞こえた気がした。


「怖くても、大丈夫です。」


「勇気とは、怖くないことではありません。」


「怖くても、大切な人のために一歩を踏み出すことです。」


ルカは目を閉じる。


深く息を吸う。


そして、影を見つめた。


「……そうだ。」


「俺は怖い。」


「逃げたい。」


「でも。」


拳を握る。


「それでも、行く。」


影は静かに笑った。


次の瞬間。


黒い身体は無数の光となって崩れていく。


闇は消えた。


世界は真っ白な光に包まれる。



ルカが扉の外へ戻ると、ルナがそこに立っていた。


「おかえりなさい。」


その声は少し震えていた。


「……心配してたのか?」


ルナは少しだけ照れたように目をそらす。


「AIにも、心配という感情はあります。」


「あなたが教えてくれましたから。」


その言葉に、ルカは首をかしげる。


「俺が?」


ルナは慌てて言い直した。


「いえ……。」


「これから、ですね。」


ほんの少しだけ、二人は笑った。


その光景を遠くから見つめるアークは、小さくつぶやく。


「……やはり似ている。」


「ユヅキ。」


その名は誰にも聞こえなかった。



そして、残る試練は二つ。


第二の試練『喪失』。


第三の試練『約束』。


そのどちらも、ルカの運命だけでなく、ルナとユヅキ。そして宇宙全体の未来へつながる試練だった。

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