『あの夏の色』への応援コメント
私の祖母の妹の旦那さんは、広島東署勤めの刑事でした。あの日は、捜査のため県北にいましたが、連絡が入り、医者や看護婦を集めた救急隊を編成して、市内へ向かいました。
一向は、その途中で、私の実家に立ち寄り、昼食を食べてから、市内へ向けて旅立ちました。祖母はこの時の炊き出しをよく覚えていました。我が家に疎開していた家族(彼の妻である私の祖母の妹と、二人の娘達)にも会えたのでした。最後の別れの可能性もあったが、そこは家族には告げなかったとか。
その日は市内までは到達できず、翌日に広島市が見える丘の上で初めて見た被曝後2日目の光景から、祖母の義弟は、「これから100年先、何も生きていけないかも知れない。」と思ったそうです。
市内に入ると、勤めていた東署では、彼を含めて二人しか生き残らなかったと知ったそうです。その後、死体や瓦礫の処分を統率しながら2週間ほど過ごしたら、死体に生まれつけられた卵から莫大な数のハエが発生したそうです。これを観た私の大叔父は、この地でも命は再生出来るのだと喜んだそうです。
上司がいなくなった彼は、その後、広島東署の署長となり、進駐軍に協力していくことになりました。
『あの夏の色』への応援コメント
青い空と夾竹桃はどんな時でもそこにあった。
「命」と言うのは、繋がろうとするものなのかも知れませんね。