第12話 陽だまりの少女 もう一つ告解をしても良いでしょうか
「クッキーが好きな子でした。それなのにあの日は帰ってこなかったんです」
私は、私の知らない聖女様と話しているみたいだった。
「それは……」
私が言い淀んでいると、聖女様は明るい顔をして言った。
「行方不明です。あの子は、私と母が洗濯物を干している間に、どこかへ消えてしまったんです」
知らない顔だ。
こんな聖女様の顔は、今まで一度も見たことがなかった。
私は身を起こして、聖女様の隣に座り直す。
「どうして……」
「分かりません、近くには草原しかありませんでしたので、今でもどこに行ったのか、皆目見当がつかないのです。もしかしたら争いに巻き込まれてしまったのかもしれませんが……」
とても見晴らしの良い場所でしたので……。
聖女様はそう言った。
「だから、つい私は今でも妹の影を追ってしまうのです」
聖女様は、私を見る。
優しい笑顔。
でも、聖女様はどこか別の場所を見ているように見える。
「……すみません、暗い話になってしまいましたね」
「いえ、そんなことは……」
「……私と、教会の近くを少し歩きませんか?」
聖女様が静かに立ち上がる。
衣擦れの音。
修道服に、傾きかけた西日が差し込んで、淡い陰影をつくっている。
「はい、ぜひ一緒に」
「ありがとうございます」
私も立ち上がる。
「ここは何もない場所ですけど、お気に入りの場所がいくつもあるんです」
聖女様の言葉に頷くと、私たちは二人で告解室を出た。
夕方の教会には、懐かしくて、親密な空気が流れていた。
なんでそう思うんだろう?
私は歩きながら考えた。
「イリア様。あと……えっと、フィオラさん、でしたか?」
教会内を歩く私と聖女様に、以前会った、水色の髪の少女が声をかけてきた。
「これからどちらへ行かれるのですか?」
少女が聖女様に尋ねる。
「ちょっと潮風にあたろうかと思いまして」
聖女様の答えに、少女は微笑む。
「そうですか。そろそろ暗くなってきますので、お気をつけて」
ありがとう、と微笑み返す聖女様に、少女は頷くと、私を見た。
「……あなたのことは存じています。あなたからいただくお花は、とても綺麗ですから」
綺麗な、女の子。
落ち着いていて、大人びた少女。
「もし良かったら……。帰ってきたら、一緒に夕食を食べませんか? 今日はたくさんのスープがあるのです」
少女のその言葉に、私はふと思いついた。
教会の中に漂う、親密な空気。
お母さんの厨房によく似た、夕方の匂いが流れていることに。
◇ ◇ ◇
教会の入り口には、花が植えられていた。
町へ続く坂道の前には、花壇があって、そこには色とりどりの花が植えられていた。
私たちはその道を抜けて、海の音のする方へ、足を向けた。
夕日が海の上に落ちていた。
脇道に逸れると、私たちは海を眼下に臨む、小高い丘の上に出た。
潮騒がはっきりと、聞こえてきた。
「どうですか? ここが私のお気に入りの場所の一つです」
私は聖女様の隣で、その海と空を見た。
「綺麗ですね。いつも見慣れた海が、なんだか違うものみたい」
聖女様は海を眺めたまま言った。
「ここは、ある人が私に教えてくれた場所なのです」
海と空の間にある、境界線。
青と赤に分たれたその境に、夜が顔を覗かせていた。
「近すぎて気がつきませんでした。一つ教訓を得た気分です」
近すぎて、気がつかない。
きっと私もそう。
聖女様は、ふっと笑うと、私に振り向いた。
「不思議ですね、なぜだかこの景色をあなたと共有したくなって、あなたを誘い出してしまいました」
「私も、一緒に見られて嬉しいです」
聖女様に、私も微笑み返す。
「……」
なぜだろう。
静かに口を閉じた聖女様に、私はもどかしさを感じる。
再び海を見る聖女様のその横顔に、胸がちくりとする。
「聖女様は、なぜ私を誘ってくれたのですか?」
沈黙。
「……なぜでしょうね」
「なぜなのですか?」
質問。
「……あなたといると、思い出せたからです」
「何をですか?」
沈黙。
「……あの日のことをです」
私も沈黙する。
「すべてが輝かしかった、あの日々。母と私と妹と過ごした、あの懐かしい日々のこと」
「……エマさんのことですか?」
聖女様は目を閉じる。
「……はい。その笑顔も、話し方も、食べ方も、すべてがエマに似ていたのです」
聖女様はそう言うと、手を後ろ手に組んで、私に背を向けて歩き出した。
「不快にさせてしまったら、すみません」
私は何も言わなかった。
その代わり、私もその後をゆっくりと追った。
足音は潮騒の音に似ていた。
ざっ、ざっ、と。
細かな音が足元で鳴っていた。
「私にはお気に入りの場所がたくさんあります」
聖女様の声が聞こえる。
「あなたの花屋さん、港町のレストラン、この海の見える丘、毎日皆さんと会う告解室……。この町の皆さんが、私に大切な場所を教えてくれました」
でも。
聖女様は言った。
「時折、怖くなるのです」
怖くなる?
「この思いが、消えてしまうんじゃないかと」
私は聖女様の言葉を待った。
「私の、エマへの思いが、この楽しい港町での思い出に上書きされてしまうのではないかと」
夜が落ちてくる。
「だから私は、どうしても、皆さんの中に妹を見つけようとしてしまうのです」
手のかかる、やんちゃな子に接するように。
優しく、柔らかく。
この罪を、少しでも償うように。
「それは……」
その顔に、その髪に、その仕草に。
妹の面影を自分から探し出して、勝手に重ね合わせて。
なんて、愚か。
「でも、聖女様」
私は聖女様に追いつくと、その手を取ろうとして、ふとやめた。
「その聖女様に私たちは救われています」
「それは……幸いです。この行いに、意味はあったのですね」
「当たり前です」
私は言った。
「私たちは、聖女様に救われているのです。他の誰でもありません。聖女様が何を考えていようが、聖女様は聖女様なのです」
だから、大丈夫です。
私は言った。
「聖女様は変わらず聖女様のままで。私たちの中にエマさんを探そうとしても構いません。聖女様がいて、私たちがいる、それだけで十分幸せです」
私たちが聖女様に救われたように。
私たちがいることが聖女様の救いになるのなら。
その傷が癒えるまで、今日も明日も明後日も、ずっとそばにいますから。
なんて。
偉そうなことを思ってしまいました。
「なんて、クロエさんと、シルヴィさんも言っていました! 聖女様に救われたと!」
クロエさんなんて、毎朝、聖女様のことを話していくんですから……。
シルヴィさんはまだまともだけど……。
「……」
聖女様の背中。
私の知らない背中。
ふと止まった聖女様の足が、いつまでも動かない。
聖女様がどこかを見ている。
どこか上の方。
どこかは分からない。
もしかしたらどこも見ていないのかも、しれない。
「……これだと、どちらが聖女か分かりませんね」
聖女様が呟いた。
「私の罪を赦してくれるのですか?」
罪?
「罪ってなんですか?」
私は考える。
「私はそんなこと、考えたこともありませんよ」
「……」
潮騒が、沈黙を埋めていく。
囁き声のような、細かな波の音が夜に鳴っている。
夜空の星を映した水面が、揺蕩っている。
「……この際、もう一つ告解をしても良いでしょうか?」
「私にですか?」
「あなただからこそです」
聖女様が静かな声で言った。
「分からないことが、もう一つあるのです」
月が見える。
空の上に、ぽっかりと浮かぶ月。
「この気持ちが分からないのです」
聖女様が振り向く。
「あの人のことを考えると、胸が高鳴るのです」
聖女様が私を見た。
潤んだ瞳。
赤みを帯びた頬。
「気になる人が女性なのです」
私が見たことのない、聖女様だった。
◇ ◇ ◇
私は結局その日、教会で夕食をご馳走になった。
教会の皆さんと一緒に、温かなスープを飲んだ。
聖女様はいつもとは違う様子で、何回かスープをこぼした。
大丈夫ですか? と私とセレナさんが布巾を持っていくと、聖女様は赤面して顔を逸らした。
私なんて、おっちょこちょいだから、これくらい、全然恥ずかしがることないのに。
相変わらずクロエさんは、聖女様の後に花屋に花を買いに来た。
シルヴィさんも、町中で会うと聖女様がいかに素晴らしいかを、じっくりと私に説いてきた。
いつもと変わらない、港町の日常だった。
それから、聖女様に会いに教会へ行くことがあったけど。
セレナさんはそのたび、笑顔で迎えてくれた。
私は罪悪感に囚われていた。
私はある約束を果たせていなかった。
いつもポケットには潜ませていた。
一通の封筒。
聖女様から預かった手紙。
いつも渡しそびれてしまう。
……だって、皆さん、あまりにも聖女様の話をするものだから。
あの人への手紙。
いつ渡したら良いかなあ……。
次回へ続く……。
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