人気ラブコメ「時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん(ロシデレ)」。
片方は知っていて、片方は知らない。
その非対称性がもどかしさを生み、かわいさを生んでいるのであるが、この評論ではその前提に対して提言を行っている。
テーマをざっくり言えばこうなる。
隠された気持ちの吐露を、その人の意図しないところで傍受し続けることは、盗聴に――何らかの権利侵害に当たるのか?
・
私はこの作品で問うているものに対しては、良いテーマだと思っている。
何が良いか。おそらく人同士で意見が合わないという点にだ。
説得力のある意見なのか、はたまた詭弁なのか。
それは是非とも一読いただきたいところであるが、私が個人的に思うのは、ロシデレとは逆のパターンが存在しないか? という点である。
つまり、例えば日本人に対する罵倒を、わからないだろうと思って母国語やジェスチャーでこっそりと溢していたとする。
しかし、日本語とその言語のバイリンガルだった人が見抜いて、その人物の本心を知る。正誤はともかく聞きたい。これは何らかの侵害か?
もう一つ例を挙げよう。誰かが電車でASMRを聴いていたとする。イヤホンの質が悪いのか、これが周りに垂れ流しになっている。空気を読んでか誰もそれを指摘しない。当人だけが気づかずに楽しんでいたとしよう。これは何らかの侵害か?
外に溢さなきゃいい。それだけ。
例えば公衆の中で「死にたい」なんて普通は言わない。それは言葉が伝わるからじゃない。そんなネガティブな本音を口にしたら、自分や周りが嫌な気持ちになることを分かっているからだ。そこに言語は関係ない。
そうだ。身も蓋もない話なのだ。それをやると話にならないからやってないわけだが。
・
とはいえ、作者の意見にも頷ける部分はある。
いわばこれは密着系のドッキリショーなのだ。ターゲットが調子に乗ったり、怯えたりする様を仕掛け人側、観客側として眺めるのだ。
不意に好意を向けられる主人公はともかく、知った上で見る読者としてはそういった楽しさみたいものがきっとある。
アーリャさんが巨大な落とし穴に落ちるとかそういう話ではないが、何となくこの関係性にモヤっとくる人はいるだろうなとは感じられた。