萌える構造の影、痛み、数えへの応援コメント
心理的安全性を破壊することをコメディの要件にするなという文意でしょうか。あるいは力の勾配を物語の推進力にするなと。
キャラクターというものは消費されて初めて生きることが出来るし、消費されて資源が尽きるというものでもないので、搾取理論は成立しないんですよね。尊厳もまた存在しない。
救済という現実の人間に与えられるべき福祉の対象とすべきなんでしょうかね。
アイデンティティ・ポリティクスは属性で人やキャラクターを関連付けて、属性で人やキャラクターを評価しようとしますが、原則としてすべては個であり別の存在ですから、属性という共感の檻に閉じ込めようとすることが自由を奪うグロテスクにさえ思えます。それは属性そのものを愛でることもですが、属性表象を正しい形に保護しようという営みも、です。
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萌える構造の影、痛み、数えへの応援コメント
実は同じことを考えていました。
「属性萌え」の強い記号に覆い隠された陰に,《知見の非対称性》を利用した搾取の構造が潜んでいるのではないか,との旨です。
そこを承知のうえで私は,「嗜虐要素を内包したコンテンツ」として公然と存在していてほしいと考えています。
▶あえて現実社会の話をします。たとえ一方的消費(≒搾取)の構造があって不道徳・反倫理的な状況だったとしても,当事者に具体的不利益をもたらしているのでない限り,第三者が割り込んで妨害すべきではないと思っています(内心の自由と通底する)。
「覗き」だろうが「ストーカー行為」だろうが,被害者が覚知しない限り何の被害も存在しない。被害がない以上,それを取り締まることも裁くこともできない。倫理とか道徳とかの領域でしか語れない。
▶……というのが罪刑法定主義的な価値観だったわけですが,どうやらこれは,現代の現実社会の道徳観と齟齬をきたしはじめているようですね。
本邦では近年,「覗き」を定義して禁じる条例ができたり,ストーカー規制法もじわじわと改正されています(「重大犯罪を未然に防ぐ」との建付けからスタートしているためほとんど何もできない法律だったのが,非親告罪化され,徐々に行為そのものを規制できるようになっていき,最近ではかなり警察主導で動けるようになってきました)。
▶現代社会に《「知らないところで消費されている」という体験への忌避感》が広がっていることは事実として受け止めないといけない。コンテンツ消費のフィールドにおいても,たとえば「ラッキースケベ」に違和感を感じ,心から楽しめない人がいる。
そのうえで,非実在人物を対象に,創作の世界でそうした一方的消費(搾取?)をある種の嗜虐趣味として楽しむことは大いに流行したらいいと思います。
私は,友人の異性が酔っぱらって素直になって,暴言の合間にデレ見せてくるの大好物ですね。んで本人はそれ覚えてないの。かわいいですね。創作を通じて多くの人にこれを疑似体験してもらいたいです。
▶枝葉の話ですが,「ロシア語でつぶやけば誰にも聞かれない」と当事者が思い込んでいること自体が,端的かつ乱暴にいえば「ポンコツかわいい」を形成しています。「スカート履いてるからパンツ履かなくても平気」に近いポンコツぶり。そこにハプニングが襲ってきてコメディが始まる。そう考えると,そこまで悪辣な構成ではないようにも思えます。
ちなみに,かの大黒屋光太夫は,ロシア帝国宰相ベズボロドコへの悪口を「キリル文字による日本語」で書き散らかしたそうです。後世ばっちり読まれちゃってます。かわいいですね。
▶あ,あと,サキュバスとかわりと好きです。東大女子とかもわりと好きだったこともあったかもしれません。よろしくお願いします。
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これは念のためのステートメント:
私は創作表現や言論が萎縮していく社会を望みません。
言論によって表現を批判することを歓迎しますが,
表現を排除する運動には反対します。
批判を排除する運動にも反対します。