第18話「桜と告白」
春が来た。
カフェの窓から見える桜がほんのり色づいてる。
いつものように、奥のテーブル席に座ってた。PCを開いて、朝のスタンドアップを待ってる。
◇
「今日もコーヒー?」
のどかが声をかけてきた。春物のブラウスにエプロン。
「うん」
「はいはい」
◇
カランコロン。しずくが入ってきた。クロが奥から駆け寄って、しずくの足元をくるりと回る。
「おはようございます」
眼鏡。薄手のカーディガン。笑うと、右の頬に小さなえくぼができる。前は気づかなかった。
「今日も窓際?」
「……いえ、今日はこっちで」
いつもと違う。こっちのテーブルに座った。隣。近い。クロがPCの横に落ち着く。
◇
カランコロン。あおいが入ってきた。
「おはよー!」
いつもの元気な声。ポニーテール。薄手のパーカーの前を、半分開けてる。トラが真っ先に飛び出してお出迎え。
「今から朝練?」
「うん! でもその前に」
あおいも、こっちのテーブルに座った。向かい。トラは膝の上。
◇
四人と、猫たちが揃った。いつもより距離が近い。
いつものカフェ。いつものLo-fi。
でも、空気が違う。
◇
「最初にお兄さんが来たとき覚えてる?」
のどかが聞いた。
「覚えてるよ」
「疲れた顔してたよね」
「今も疲れてるよ」
「今はマシ」
「そうかもね」
のどかが笑った。
◇
「お兄さん、相変わらずですね」
しずくが言った。
「相変わらず?」
「ぼんやりしてる。でも、仕事はしてる」
「まあ、そうだね」
タマがテーブルに乗ってきた。PCの隣。キーボードの隅に、器用に前足を揃えて座る。最近は賢くなって、排気口からはちゃんと逃げるようになった。
◇
「でも、それでいいんじゃない?」
あおいが言った。
「お兄さんはお兄さんのペースで」
◇
「ねえ、お兄さん」
のどかが、ふと聞いてきた。
「いつも会議で話してる人、女のひとだよね」
「田中さん?」
「その人」
しずくも、本から目を上げた。あおいも、こっちを見てる。
三人の視線が、ちょっとだけ、とがってる。
◇
「めっちゃ楽しそうに話すじゃん」
「そう?」
「そうだよ。声、ちょっとやわらかくなる」
「……気のせいだよ」
◇
ああ、これは。
なんか、勘ぐられてる。
「田中さんは、会社の先輩。すごく世話になってる人」
「ふーん」
「あと、子持ちだよ」
三人が、ぴたっと止まった。
◇
「……なんだ」
あおいが、肩の力を抜いた。
「べつに、心配なんてしてないし」
「うん。してない」
「ぜんぜん」
してた。三人とも、思いっきり。
◇
「……あ、でもさ」
こちらが、つい、付け足してしまう。
「離婚はしてるけどね」
三人が、また固まった。
「……どっち!」
あおいが叫んだ。
「いや、だから、子持ちで、バツイチの先輩。それだけ」
「びっくりさせないでよ……」
のどかが胸を押さえる。
◇
でも、しずくは、ほっとしきらない顔のままだった。
「……バツイチで、お子さんもいて。それで、あんなに楽しそうに話す相手」
返す言葉が思いつかなかった。黙るのが一番まずい場面なのに。
「むしろ、油断できないんじゃない?」
あおいが、ぼそっと言った。
「……たしかに」
のどかが、抜けかけた肩の力を、また入れ直した。
三人の視線が、また、ちょっととがった。
さっきより、深いところで。
◇
「さて、スタンドアップの時間だな」
カレンダーの通知が鳴った。
「え、ちょっと待って」
のどかが止めた。
「ちょっと時間ずらせない?」
「たぶん無理。毎朝の固定ミーティング」
「じゃ、終わってから」
「うん」
のどかが頷く。あおいとしずくが顔を見合わせた。
何かある。
◇
スタンドアップ開始。田中さんと、メンバーたち。
タマがさっきの席からPCの画面の下半分を覗いてる。他のメンバーが笑う。
「おっ、タマさんじゃん」
「最近うちのアイドル」
「猫のためにマージしたいPRがあるんだけど」
いつも通り。
田中さんが最後に、
「今日はわたしもカフェから入ろうかな、午後は」
「田中さん、カフェ見つけたんですか」
「一軒、近所でいい感じのあった。教えようか」
「あとで」
◇
スタンドアップが終わった。PCを閉じる。
のどかがすぐ近くに来た。あおいとしずくも、テーブルを囲む形で座り直した。猫たちは、なぜかみんな、のどかの周りに集まってる。タマとモチとクロとトラ。何かを感知したのかもしれない。あの臆病なモチまで、レジ裏を出て、椅子の下にいる。よっぽどのことだ。
「実は、話があるの」
しずくが本を閉じた。
「わたしも」
あおいも真剣な顔。
◇
「何?」
「あのね」
のどかが深呼吸した。
「わたし、お兄さんと、付き合ってみたい」
◇
「え」
言ってから、のどかが自分で顔をしかめた。
「違う。ちがくない。……えーと」
言い直そうとして、うまくいってないらしい。
「好き、って言い切っていいのかは、わかんないんだけど」
のどかが、自分の指先を見てる。
「でも、たぶん、好きなんだと思う」
◇
「わたしも」
しずくが、静かに言った。
「……たぶん、です」
「たぶん」
「はい。断言できるほど、わかってないので。でも、そばにいたいのは、確かで」
◇
「わたしも!」
あおいが立ち上がった。トラが驚いて膝から転がり落ちて、むっとした顔で見上げる。
「……あ。わたしも、たぶん」
座り直した。
「二人が言うと、急に自信なくなった」
◇
「……え?」
頭が真っ白になる。
店主の言葉が蘇る。「好かれてるよ」。あれ、こういう意味だったのか。
◇
「ずっと言えなかったんだけどさ」
のどかが言った。
「彼氏と別れてから、ずっと考えてて。……で、思ったの。お兄さんとなら、付き合ってもいいなって」
「……いいな、って」
「あ、今の失礼だった?」
「ちょっとだけ」
「ごめん。でも、そのくらいの感じなの、正直」
◇
「わたしも、似てます」
しずくが俯きながら。
「お兄さんといると楽になるって、最初からわかってました。でも彼氏がいたから、考えないようにしてて」
「うん」
「いなくなって、はじめて考えて。……考えたら、お兄さんしか出てこなかったんです」
「それ、好きってことじゃない?」
のどかが横から言う。
「……わかりません。そういうことに、してもいいのかもしれませんけど」
◇
「わたしは」
あおいが真っ直ぐこっちを見てる。
「走ってるとき、たまにお兄さんのこと考えるんです。泣いたとき、なんにも言わずにいてくれたの、ずっと覚えてて」
「うん」
「それが好きなのか、ただ楽なだけなのか、走りながら考えてて。まだ結論、出てないんですけど」
あおいの目が潤んでる。でも、笑ってる。
「結論待ってたら、誰かに取られそうだから」
◇
三人が、顔を見合わせた。
「……つまり」
のどかが、まとめにかかった。
「三人とも、たぶん好き。言い切れないけど、たぶん好き。……それで、付き合ってほしい」
「そんなにはっきり『たぶん』って言われたの、初めてなんだけど」
「だって、嘘つくとこじゃないでしょ、ここ」
◇
三人が待ってる。
答えを。
◇
Lo-fiが流れてる。
ピアノ。ドラム。レコードノイズ。
窓の外で桜が揺れてる。テーブルの上でタマがしっぽを揺らしてる。
◇
三人とも、「たぶん」と言った。
嘘だとは思わない。むしろ、ちゃんと正直だと思う。
正直に言われたから、こっちも正直に返すしかない。
◇
「……ごめん」
「え」
「三人とも、大切だと思ってる」
正直に言った。
「でも、誰か一人って言われたら、わからない」
沈黙。
Lo-fiだけが流れてる。
◇
「……ずるいです、それ」
しずくが言った。目が赤い。
「わかってる」
「でも嘘はつかないんですね」
「……うん」
「お兄さんらしいね」
のどかが言った。笑ってるけど、目が笑ってない。
「選べないんだ」
「選べない」
「選ばないんじゃなくて?」
「……わからない。たぶん、両方」
「たぶん、ばっかりだね。今日」
のどかが、力なく笑った。
あおいが黙ってた。
しばらくして、息を吐いた。
「むかつく」
「……ごめん」
「でも、嘘言われるより、ましかも」
三人が顔を見合わせた。
怒ってる。でも泣いてない。呆れてるけど、嫌いにはなれない。
そういう顔。
◇
「……じゃあ、どうするの」
のどかが聞いた。
「わたしたち、このままでいいの? 気まずくない?」
「……また、来ても、いいかな」
それだけは言えた。
「三人と、猫たちがいないと、このカフェじゃない。俺、ここ以外で仕事できないから、困る」
◇
「……なに、その理由」
のどかが吹き出した。
「仕事の話かい」
「でも、本当」
あおいも笑い始めた。
「お兄さん、家で仕事できないもんね」
「……ばれてる」
「のどかが言ってた」
のどかがぺろっと舌を出した。
◇
しずくが、少しだけ笑った。
「仕方ないですね」
「……仕方ない?」
「はい。お兄さんがお仕事できるところが、ここだけなら」
「ちゃんと、来てもらわないと」
しずくがクロを膝に戻した。クロが「そうだそうだ」と言いたげに喉を鳴らす。
◇
「まあ」
のどかが溜息をついた。
「しょうがないか」
◇
「のどか?」
「だって、ここ好きだし。お兄さんいなくなったら、カフェの意味ないし」
のどか、コーヒーおかわり持ってきた。
「はい、ブラック」
◇
「わたしも」
しずくが言った。
「ここで本読む時間、なくなるのは嫌です。お兄さんと本の話する時間も」
しずく、また窓際の席に戻った。本を開いた。でも、ちょっとだけこっちを見てた。
◇
「わたしも」
あおいが言った。
「朝練前にトラと遊ぶの、もうルーティンだし。お兄さんの顔見ないと調子出ないし」
あおい、プロテインドリンクを一気飲みした。
「でも、覚えといてよ。わたし、まだ結論出てないから」
「……それ、脅し?」
「予告」
◇
「わたしも」
のどかが言った。
「わたしもです」
しずくが言った。
◇
三人が笑った。
怒ってて、呆れてて、でも、笑ってる。
◇
Lo-fiが流れてる。
ピアノのループ。ドラムのキック。かすかなノイズ。
窓の外で桜が舞ってる。タマがPCの横で、寝息を立てている。
◇
何も解決してない。
誰も選んでない。誰も、結論を出してない。
ぐるぐる回ってる。Lo-fiのループみたいに。
◇
でも、ここにいる。
四人と四匹で、ここにいる。
つづく
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