第13話「それぞれの朝」
午前四時半。目覚ましが鳴る。
布団から出る。顔洗って、ストレッチして、机に向かう。司書の採用試験まで、あと半年。
参考書開く。昨日の続き。静かに知識を積み重ねる。
◇
六時になると外が明るくなり始める。
窓の外を見る。朝焼け。綺麗だな。
誰にも見られてない時間。でも、それでいい。
一生懸命は、派手じゃなくていい。
◇
支度して家を出る。鏡の前でちょっとだけ迷った。いつものセーターか、この前買ったやつか。
……いつものでいい。別に誰に見せるわけでもない。
でも、リップクリームだけ塗った。なんとなく。
◇
今日もあのカフェに寄ろう。鞄の中に今日読む本。
クロ、待ってるかな。
カフェに着いたら、いつもみたいに膝に乗ってくる。あの子は、いつもそこにいる。
お兄さん、来てるかな。
今日は出社じゃない日だって、のどかから聞いた。
……なら、いる。
◇ ◆ ◇
午前五時。アラームが鳴る。
「よし」
布団から飛び起きる。ストレッチ始める。昨日の練習の疲れ、まだ残ってる。でも頑張った証拠。
◇
ランニングウェアに着替えて外に出る。
走り始める。最初は体が重い。でも少しずつエンジンかかってくる。
走ってると余計なこと考えなくなる。足音だけが聞こえる。
◇
三十分走って公園で止まる。水飲む。空が明るくなってきた。
今日もいい朝だ。走れる体があるだけで、じゅうぶん。
◇
ランニングウェアのまま行くか、着替えるか。
……着替えよう。汗臭いのはちょっと。
髪を結び直す。ポニーテール。いつもより丁寧に。
別に、誰かのためじゃない。
◇
あのカフェまでは、電車で数駅。走れない距離じゃないけど、走ったら、また汗かいちゃう。今日は電車で行こうっと。
トラが待ってる。じゃらしを持って、朝のウォーミングアップをする。
お兄さんも、いるかな。
◇ ◆ ◇
午前五時半。アラーム三つ目でやっと起きる。
「ねむい……」
二度寝したい。でも今日もバイトある。
◇
シャワー浴びて目を覚ます。
鏡の前。今日はどの服にしよう。どうせエプロンで隠れるけど。
……この色、久しぶりに着るな。
まあいいか。気分上がるし。
◇
今日のこと考える。しずくは来るかな。あおいは練習前に寄るかな。タマとモチは昨日もいい子にしてたし、クロとトラも今日も気ままに過ごすんだろう。
お兄さんは在宅の日かな。
みんなの顔を思い浮かべると、少し元気が出る。
お兄さんの顔を思い浮かべると、もうちょっと元気が出る。
「よし」
◇
カフェに着く。まだ誰もいない。でも奥のスペースから、タマが「にゃー」と挨拶してくる。モチはレジ裏でまだ寝てる。
鍵開けて、電気つけて、湯を沸かして、カップ並べる。
スピーカーの電源入れる。Lo-fi流れ始める。
冷たかった店内が、少しずつ、あたたまっていく。湯の沸く音。豆を挽く、ゴリゴリという手回しの音。タマが、あくびをして、体を伸ばす。
◇
猫たちの、ごはんの時間。
まず、水。四つのボウルを、ぜんぶ新しいのに替える。冷たいのが好きだから、朝いちばんの、きれいなやつを。細く注ぐ手つきが、コーヒーを淹れるときと、ちょっと似てる。
それから、カリカリ。
袋をカサッと鳴らすと、トラがいちばんに飛んでくる。器に顔をつっこんで、あっという間に平らげた。食べ終わると、もう次の遊びを探す顔。
タマは、そのとなりでマイペース。ひと口食べて、顔を上げて、また食べる。急がない。
クロは、窓際からゆっくり来て、匂いをしっかり確かめてから、少しずつ口をつける。しずくがいなくても、お行儀はいい。
◇
モチだけは、出てこない。
レジ裏をのぞくと、白い体が、いつもの隅で丸まったまま、こっちを見ている。
無理には呼ばない。のどかは器を、モチから見える位置に、そっと置いた。
「ちょっとずつでいいよ。置いとくから」
少し離れて、見ないふりをする。
……カリ、カリ。
背中越しに、小さな音。臆病でも、お腹は、ちゃんと空くのだ。のどかは、少し笑った。
◇
誰もいない、この朝の時間が、のどかは、けっこう好きだった。一日の中で、いちばん、静かで。
今日もいい一日になりますように。
◇ ◆ ◇
午前六時半。目が覚める。
在宅の日。今日は金曜。
うちの会社は、週一日だけ出社、あとは在宅。出社の日は、たいてい終電近くまで働く。たまに終電を逃す。出社=長時間労働のスイッチが入る古い癖が、まだ抜けない。……最近ちょっとマシになった気もするけど、気のせいかもしれない。
で、在宅の日はその反動で、朝起きるのが遅い。
うちの会社にリモート制度ができたのは、今年の春。働き方改革の、いちおうの成果だ。制度化したのは、人がいなくなって慌てた側面もあると思う。
◇
で、蓋を開けてみると、自分は家で仕事ができないタイプだった。
在宅の日、家でPC開いても、全然集中できない。布団が呼んでくる。冷蔵庫を開ける。SNSを見る。気づいたら午前中が溶けてる。
制度ができたのはありがたい。でも自分には、家以外の場所が必要だった。
◇
あのカフェを見つけたのは、ちょうどその頃だった。
たまたま早起きした朝、散歩してて、窓のオレンジ色に吸い込まれた。
それから少しずつ、在宅の日の居場所になってきた。
◇
シャワー浴びて、支度して。
鏡の前で止まった。
いつもならそのまま出るのに、なんか、髪をちょっと直してみた。
……何やってんだ。
でも、まあ。
◇
バックパックを背負う。PC、電源、ヘッドセット。仕事道具一式。
玄関で靴紐を結ぶ。
朝の空気が気持ちいい。
カフェまでは、歩いて十五分。前は、ただの移動だった。でも最近は、この時間も、悪くない。足を動かしてると、頭の中が、少しずつ、ほどけていく。走るのが好きって言ってた子の気持ちが、ちょっとだけ、わかる気がした。
あのカフェに行けば、みんながいる。
それだけで、なんか安心する。
◇ ◆ ◇
午前七時。四人と四匹がカフェに集まる。
しずくは窓際で本。膝にクロ。あおいはカウンター寄りの床でトラとストレッチ兼遊び。のどかはコーヒー淹れてる。タマはカウンターの上。モチは今日も端っこで丸まってる。
自分は奥のテーブル席。PCを広げて、今日の仕事を始めようとしてる。
「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよー」
◇
それぞれが、それぞれの朝を過ごしてきた。
誰にも見られてない時間を過ごして、ここに来た。
それぞれが、ほんの少しだけ身だしなみを気にして。
それぞれの猫を連れて、あるいは待っていて。
◇
「今日も一日頑張ろうね」
のどかが言った。
「頑張るって言うなって前に言ってたじゃん」
「今日は気分で」
「適当だなあ」
「適当がいいんだよ」
◇
PCを開く。スタンドアップの時間が近い。
タマが定位置、PCの排気口の近くに陣取る。もう毎回のことなので、退かさない。退かしても無駄。
田中さんからSlackで一言。「今日もカフェ?」
「はい」
「うらやま」
◇
カフェには朝の光。Lo-fi。コーヒーの香り。猫の毛。
四人ぶんの朝と、四匹ぶんの朝。それぞれ違う朝を過ごして、ここで、ひとつになる。
一生懸命は、派手じゃなくていい。静かに、それぞれのペースで。
それがこの場所のルール。
◇
今日もそれぞれの場所で、それぞれの一日が始まる。
でもまた明日の朝、ここで会える。
それだけで今日なんとかなりそう。
◇
つづく
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