第7話
教室に早く着いたため、うちわの内職をする。
そんな実弦に登校してきたクラスメイトは呆れたような笑いとともに挨拶をしてくる。クラスメイトとは順調に仲良くなれていると実弦自身も思う。
とりあえず悠矢を与えておけば良いと思われているからだろう。
『こっちみて』はまだいいが『投げキッスちょうだい』少々ハードルが高いだろうかと実弦はうちわを掲げて吟味する。
「おはよう!みんなのアイドルの登校ですよ!」
いつものように元気な声が教室に響く。
まるで何事もなかったかのような悠矢の姿に実弦はうちわを掲げたまま固まる。
「投げキッス貰って本当に嬉しいのか実弦?」
「ノリで作った。いける?我が推し。みんなのアイドル」
「くそう」
チュッ
拳を握って俯いたかと思えば、顔をあげた次の瞬間には完璧な投げキッスをしてきた。
悠矢のポテンシャルにいたく感動した実弦である。
思わず実弦が拍手をすると、教室にいた他のクラスメイトも拍手してきた。
「馬鹿⋯⋯!」
推しの珍しい照れ顔に実弦は笑ってしまった。
(ああ、いつも通りだ)
安心して、うちわを撫でた。
楽しくて、楽しくて。
少しだけ、虚しい。
・
「悠矢くん」
屋上でフェンスを背に黄昏れている悠矢に声をかける。
昼休みに姿が見えないから探したら、こんなところにいたらしい。
パンを口に含んだまま、驚いたように両目を見開いて実弦を見つめてきた。
「実弦、お前って本当に俺を見つけるの上手だな」
「そう?だってほら、推しのいる空間って空気が澄んでる気がして。探すの簡単だよ」
「意味が分からん」
もぐもぐとパンを口につめて会話をやめてしまう。
隣に座って悠矢からなにか言葉がないだろうかと待ってみた。
「昨日、驚いたよな」
「まあ」
「母さん、もう少し遅くなると思ったんだがな」
「うん」
「⋯⋯俺の母さんは、兄さんが死んでしまったことに耐えられなかったんだ」
パンを食べ終わって少しして、体育座りをした悠矢がポツリと語りだす。
「⋯⋯わざわざ人に語りたい事ではないだろう?」
「そうだよね。ねえ、悠矢くん。君は弟が一人って言ったけどさ」
「ああ。家の俺は兄ちゃん⋯⋯『星矢』なんだ。だから、いるのは弟だ。そうだろう?」
なにも嘘などついていない。そう言葉を返されて詰まる。
(悠矢くんは嘘をつかない。でも、嘘をつかない自分を守るために絶対的に何かが歪んでいる)
どうしたらいいだろう。
実弦に何ができるというのだろう。
「悠矢くん。僕にとっては君はいつでも悠矢くんだよ」
「うん。俺も実弦の前では俺は悠矢だと思うよ。⋯⋯好きなんだ」
不意にこぼれた悠矢からの「好き」という言葉に、実弦の心の奥で変な音がする。
「⋯⋯好きって、何が?」
口の中をカラカラにしてなんとか問いかける。
すると体育座りの体勢はそのまま、顔だけ実弦に向けて微笑みを浮かべた。
「実弦に、悠矢くんって呼ばれるの」
いつもの自信に満ちた明るい笑顔とはまったく違う。それは実弦の目にはひどく痛々しいものとして映る。
先ほど鳴った胸が今度はひどく傷んで、ギュウっと胸を押さえる。息ができなくなりそうなくらいに苦しい。
「じゃあ俺、先に教室に戻るな」
そう言って先に教室に戻る悠矢を見送る。実弦は衝撃で動けないままだ。だから、座ったまま考える。
出会ってからの悠矢との出来事を思い返していく。短い付き合いでもそれでもそこに答えがあって欲しいと思ったからだ。
学校の中で一際元気なのは家でのストレスを発散しているからだろうか。
楽しくユーモアのある学校での姿が本来の悠矢なのだろうか。
――本当に?
家であれほどまでに自分が歪むまで追い詰められているというのに?
自問自答の声に負けそうになって無意識に不安から、実弦は自分の頬の傷を撫でる。あの日、悠矢からどんな言葉を貰ったんだったか。
「だってさ、どうしようもない現状を打開するために足掻いた証ってことだろ?」
「それってすげぇ格好良いし、尊敬する」
――ああ。ようやくあのとき悠矢がくれた言葉を理解できたと合点する。
実弦は、空を見上げる。
(悠矢だって、このどうしようもない現状をどうにかしたいって願ってるんだ)
胸が張り裂けそうなこの感情を、他の人はなんて名付けるのだろう。
自分の気持ちも理解できないことが情けない実弦は、空を見上げながら嗤った。
・
「新垣くん。悠矢くんは嘘をつかないって言ったけど、昔からそうなの?」
放課後、たまたま二人きりになったタイミングで実弦に話しかけた。それに新垣は驚いた様子で目を丸くしてしまう。
タイミングが悪いのかいつも人を驚かせる実弦だが、あまり反省はしていない。
「ああ。あのさ俺、いま彼女に振られたとこなんだよ」
「うん。頑張れ」
「頑張れじゃなくて空気読んで!」
「空気は読むものじゃないよ」
実弦の言葉に新垣はため息をつく。
「ああ。それで、悠矢のこと?あいつ小学生のときからそうだよ。兄ちゃんが嘘はだめって言ってた!って」
「悠矢くんのお兄さん」
「あ、そうか。流石に聞いたか?うん。あいつの兄ちゃん小学生の頃に亡くなってるんだよ」
沈痛な面持ちの実弦に、話を聞いたのかと合点して新垣は実弦の知らないことまで話し出す。
「兄弟はいいものって言ってたし、悠矢くんお兄さんのこと大好きなんだね」
「⋯⋯どうかな」
差し当たりのない感想を選んだ実弦を、新垣は真っ直ぐに見つめてくる。
言うかどうか、迷いながらという印象だ。
「なに⋯⋯?」
「⋯⋯あいつの兄ちゃん。悠矢が川で溺れたのを助けて亡くなってんだよ。だからさ、悠矢にお兄さん大好きだったんだねって絶対に言うなよ。というか兄弟の話そのものを厳禁にしとけ」
新垣は、鈍感なところがある実弦にわかりやすいように、言ってはいけない理由を言い含めた。それは悠矢を思ってのことだろう。
そこで実弦はハッと気がつく。
(僕と違って友人が多いのに、今まで誰も悠矢くんの歪さに気がつく人がいなかったのって⋯⋯)
込み上げてきたのは吐き気だ。
口を抑えて震える。
ああ、駄目だ、こんなのは駄目だ。
助けたい。
(僕が、悠矢くんを助けたい!)
実弦は驚く新垣に「ありがとう、ごめん」と告げたあと、慌てて教室を後にした。
早足に廊下を進む。
(悠矢くんの家に行こう。なんとか、とにかく少しでも早くなんとかしないと⋯⋯!)
握り締めた拳に爪が食い込んで「冷静になれ」と実弦に言うのに、そんなことにも気が付かずに実弦は走り出した。
・
玄関の前で息を整える。
インターホンを押すと、昨日すれ違った悠矢の母が出てくる。
悠矢の顔と似ているのに、表情はどこか虚ろだ。
「あら、星矢のお友達ね。ごめんね、あの子いまお使いに行ってるのよ。どうぞあがってちょうだい」
「失礼します」
誘われるままにリビングに上がりテーブルを勧められて実弦は素直に座る。
ぬいぐるみだらけのファンシーな部屋だ。少し汚れた大きな男の子のぬいぐるみが席についている。
甘ったるいお菓子のような匂いがリビングには漂っている。
「ふふ。悠矢、星矢お兄ちゃんのお友達だって。ご挨拶しなさいね」
カウンターキッチンの向こうからぬいぐるみに「悠矢」と話しかける悠矢の母は「おいしいおやつがあるのよ」と吊戸棚を背伸びで漁っている。
実弦は、口元が汚れた「悠矢」を見る。
まるでぬいぐるみに日常的に食べ物を与えているかのようだ。
(そうか。この家に悠矢がいない訳じゃない。このぬいぐるみを悠矢にして、悠矢が星矢になって。どちらもいるんだ)
このリビングで悠矢がぬいぐるみを相手に兄として振る舞う姿がありありと想像できて、実弦は冷や汗を流す。
悠矢は、求められた役割をこなすのが上手い。
上手すぎるくらいだ。
その理由が、こんな残酷な「ままごと」なのかと気づきたくないことに気がつく。
「僕は弓月実弦と言います。悠矢くんと同じ年齢の子役だったので、テレビでご存知かもしれません」
「ああ、悠矢と同じ年のあの子ね。大きくなったのねぇ。どこかでみた顔だと思ったのよ」
「はい。僕は悠矢くんと同じ年です」
実弦はお菓子を手に貼り付けたような微笑みを浮かべる悠矢の母を、真っ直ぐに見つめた。
大人の考えを読もうとする幼い頃の自分を思い出しながら。
相手の言う事の違和感を探し出すように。
「あら?でもあなたは星矢のお友だちで。ねぇ悠矢?おかしなお兄ちゃんね」
ぬいぐるみに同意をもとめて、その仕草で実弦から視線を逸らす。
けれど、彼女の手が小刻みに震えているのを実弦はしっかりと見咎めた。
(やはり。この人は、どこかで理解している)
なにもかも狂気に飲まれてしまった人とは違うと、理解出来てしまう。狂気に染まった人間はこんな悪いことが見つかったかのような表情は浮かべない。
実弦が説得の言葉を何かないかと考えていると、玄関の開く音が響く。
「ただいま母さん。卵買ってきたけど⋯」
リビングの扉の前で目を見開いた悠矢が荷物を落とす。床に落ちた衝撃でグチャリと潰れる音がした。
買い物袋から飛び出た卵のパックから、黄身と混ざりながら液体が床へと染みていく。
けれど卵を無言で見つめる実弦と違い、それを気にする素振りもない悠矢は、リビングに居る実弦に、血の気のない顔で問いかける。
「⋯⋯お前、なんでここにいるんだ?」
震える言葉で問う悠矢に向けて、実弦は笑顔を浮かべる。
「悠矢くん!」
「――!!」
言葉を失う悠矢に一歩近づく。返事が欲しかったからだ。
悠矢が一言この呼びかけに答えれば何かが変わる。そんな確信が実弦にはあったのだ。
「悠矢くん?」
その場にうずくまって耳を塞いで、何も聞いていないとばかりに悠矢が実弦に答えることはない。
ハッ、ハッと浅い呼吸を繰り返していて、実弦の存在を全身で拒絶していた。
それでも、実弦は卵で汚れることも構わずにしゃがんで、悠矢の肩に両手を置く。
背中をさするようにして、息を落ち着けようと試みる。
「ねえ、悠矢くん。返事をしてよ。僕に名前呼ばれるの好きだって言ったじゃないか」
「――くれ」
「え?」
「やめてくれ、お願いだから」
か細い声で悠矢は声を絞り出すように実弦に伝える。
「あの、実弦くん?その⋯⋯星矢をからかうのはそこまでにしてもらえるかしら」
必死で拒絶する悠矢を庇うためだろうか、キッチンから出てきた悠矢の母は胸の前で拳を握って実弦へ強い口調で止めに入る。
その愛情はどう見たって偽物じゃないのに、こんな地獄ができてしまうらしい。
実弦に「顔にしか価値がない」といった母の方が、嫌いになれるぶん、いっそマシかもしれないとさえ思った。
「違います。僕の友達はゆう」
「呼ぶな!母さんの前で、俺をその名前で呼ぶなよ!」
張り裂けそうな叫びがリビングに響く。
いや、声の大きい悠矢の叫びだからもしかしたら家の外にまで響いたかもしれない。
(あ――失敗した。やりすぎた)
実弦がようやく気付いたときには酷い有様だった。
固まって動かない悠矢の母、名前を呼ぶなと繰り返し呟いて、ついには泣き出した悠矢。
悠矢を泣かせるつもりなんて少しもなかった実弦は、自分が作った修羅場をどうすれば良いのかが分からない。
「ごめん。違う、僕は、ただ、悠矢くんのこと、なんとかしたくて」
「そんなの頼んでない!もうやだ。やだ⋯⋯嫌い!」
「嫌い」という言葉の衝撃に固まる。
実弦にとって悠矢に言われるなんて考えてもいなかった言葉だ。
青天の霹靂といってもいいほどの衝撃だ。
なにより、こんなことを悠矢に言わせた失敗の酷さが身に沁みてしまう。
「実弦なんて嫌い!」
そう叫んで走り出した悠矢は二階に駆け上がっていく。そしてすぐにバンッと殴るようにドアが閉まる音が響いた。
「悠矢くん⋯⋯」
実弦は再び嫌いと言われたことに呆然とする。
顔に傷をつけたときの数倍痛い。胸を刺されたような痛みにうずくまって、ポタポタと涙を零す。
(僕が悪い。そう、僕が悪い。なんで僕なんかが何かできるだなんて思い上がったんだろう)
「悠矢くんに、嫌われた⋯⋯」
誰かに嫌われることがこんなに辛いなんて知らなかった。だから迷わず行動していた。
嫌いという言葉で、まるで目の前から光が消えたような絶望を感じる。
(僕、どれだけ悠矢くんに依存してるんだ)
自分が情けなくなった実弦は涙を拭って、尻もちをついてしゃがみ込む悠矢の母へ手を差し出した。
「申し訳ありませんでした。でも、お母さん。僕は悠矢くんのことが大好きだから、後悔しません。酷いことしたし大失敗だって分かってるけど、でも。僕が悠矢くんが大好きな気持ちは変わらないから」
「あ⋯⋯あ」
呆然としているその身体を椅子まで誘導して、なんとか座らせる。
「悠矢⋯⋯あれは、悠矢なの?」
「⋯⋯そうですよ」
「そう、そう⋯⋯そうよね。私、知ってたのに⋯⋯」
悠矢と似た顔が泣き出して、実弦は彼女の両手を握った。
「悠矢くんは家での自分を星矢だって、自分自身で思い込んでいます。だから⋯⋯」
「だから私になんとかしてほしかった、のね」
「はい。でも、どうしていいか分からなくて⋯⋯ほんとうに、申し訳ありませんでした」
再度頭を下げた実弦を見て、彼女は涙を拭った。
「ごめんなさいね、星矢のこと⋯⋯悠矢のこと許してあげて。嫌いなんてあるはずがないわ」
「でも、また泣かせたらどうしたら良いんですか?」
「泣かせたあと、笑わせればいいのよ」
あまりに頼りない問いかけだったのか、先ほどまでとまるで別人のように彼女は微笑んだ。
けれどすぐに、ぼうっと反応のなくなった姿に実弦は小さく息を吐く。
キッチンから布巾を見つけて、床の卵を片付ける。
「悠矢くんに声をかけてから帰りますね」
リビングでぼうっとしている彼女に声をかけ、2階を静かに階段をあがる。
どちらの部屋にいるか判断はつかなかったが、実弦は「ゆうやの部屋」というドアプレートのかかった部屋に声をかける。
「悠矢くん、ごめんなさい。僕のこと嫌いでもいいよ。でも、僕が悠矢くんを好きなのは許してくれる?」
「⋯⋯だよ」
ガチャリとドアが開くと、ぬいぐるみに顔を埋めた悠矢が出てきた。
「嫌いなんて嘘だよ。でももう、今日は無理だから」
「⋯⋯うん。あのね、悠矢くん。嘘じゃなかったよ。君は酷いことした僕のこと本気で嫌いって思ってた。嫌いでいいよ。僕に嘘つかないでくれたほうが嬉しいから」
ぬいぐるみごしに見上げるように実弦を見つめた悠矢は、擦りすぎたのか目元を真っ赤にしたままポカンとした表情を浮かべた。
「実弦、泣いてるのか?」
「泣いてないと思うけど」
「⋯⋯実弦だって嘘つきだから、おあいこな」
指先は白いし、声だってようやく絞り出せたように震えている。
それでも、実弦の泣き顔をみながら悠矢は笑顔を浮かべた。
(カッコ悪いなぁ、僕)
抱きしめて慰めたかったけれど、それをする資格は実弦にはない。
思わず浮いた手を慌てて背中に隠した。
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