第5話
実弦の家のソファにごろりと我が家にいるかのようにくつろぐ。
実弦と話し合い、ペットカメラを導入して猫を留守番させることにした。実弦の家から学校までは徒歩10分という近さである。
今は昼休みに一度学校を抜け出して猫の世話をするというこれまた刺激的な一日を過ごしている。
それでも、学校に毎日連れて行くよりは猫のストレスも少ないだろう。
「悠矢くん、楽にしていいとは言ったよ。でも人ん家だよここ」
「なんだよ。推しが家にいるんだぞ〜、それだけで最高だろう」
手足をバタバタと動かして、実弦のだらしないという言葉に抗議する。
虚しくなってゆっくりとソファから起き上がった。
「コーヒー淹れたよ。ミルクと砂糖はここね」
「ありがとう」
促されるままダイニングテーブルに座って、動物の本の隣りにある作りかけのうちわをジッと見つめる。
悠矢は疑問が確信に変わりつつある。
(遊んでる、実弦は俺で遊んでいるのだ⋯⋯!)
「実弦、俺で遊ぶのどうにかならない?」
「遊ぶ?まあ、確かに遊ぶといえばそうかもだけど。僕が感じてることや悠矢くんに言ってることは全部本当だよ?こんなに構いやすい理由ができたのに駄目なの?」
「友達に構ってほしくて推し活するやつは普通はいないんだよ」
「楽しいのに。というかもう僕らの関係ってそういうもんって思われちゃったし」
「策士なのか天然なのかどっちだ⋯⋯!」
自分のペースをとことんまで乱す実弦の主張に悠矢は脱力する。
「大好きも、悠矢くんを見たら元気になるのも、ファンサが嬉しいのも本当だって。そもそも悠矢くんが全力でノッちゃうから学校の名物になってしまったわけで。声、大きんだからさ」
「自分のサービス精神が憎いぃ!身体が反射的に動くんだよ!アイドルのファンサを真面目に研究しちゃった俺の几帳面さが悪かったということか!」
「悠矢くん、実はアイドルが天職だったのでは?」
「そうかもしれんな!」
悠矢はやけくそ気味に同意した。
用意されたコーヒーは美味しいし、ミルクと砂糖を見て、すっかり仲良くなったなと思う。いや、そもそも仲良くならなきゃこんな漫才みたいな関係にはならない訳で。
「あのさ。猫の里親、見つかった」
「そっか⋯⋯うん。あの子、生命力高いし、大丈夫とは思う。それに僕が飼うのは良くないから」
こんなに動物や子猫が好きなのに、頑なに自分が飼うのは「良くない」と決めつけている。この点についてはまだ良くわからないままだ。
「向こうのほうで引っ越しとか、ゲージとか色んなもの用意してるからもうしばらくは預かってもらえると助かるって」
「へぇ、引っ越し⋯⋯引っ越し!?」
「うん。ペット可の物件に移るって」
衝撃の行動力である。流石に実弦も驚いたらしい。
「それは、凄いね。そりゃ悠矢くんがあの中から里親にしようって決める人だけある」
「ああ。話を聞きに来たヤツ、10人以上いたもんな。でも引っ越すって情熱には感動しちゃって」
「うん。それは僕も認めざるを得ないかも」
二人で顔を付き合わせて、子猫という問題の解決が見えて笑い合う。
穏やかで平和な放課後はとても心地が良い。
拾ってから3週間目に入る。そろそろ歯も生えてくる頃だ。
・
初夏の風があまりにも心地よく「眠ってしまおうか」なんて考える。せっかくの昼休みだ。図書室に行けばいいだろう。
そう、ついにゴールデンウィークに猫が無事に引き取られたのだ。昼休みに学校を抜け出す理由はなくなったのだ。
理由もなしに行くのもどうかと思って、悠矢はここ2日、実弦の家を訪ねていない。
「悠矢くん」
声をかけられる可能性をまったく意識していなかったときに呼びかけられた。それに驚いて振り返る。
実弦はよく悠矢が一人でいるタイミングで話しかけてくる。
(ずっと見られている感覚もないから、たぶん俺を見つけるのが上手いだけなんだと思うけど)
振り返った先には「ウィンクして」という新作うちわを手にした実弦がいた。
「よーし、よしよし!ウィンクだな?」
一瞬意識が飛びそうになったものの、すぐさま切り替える。
アイドルのファンサを研究したときに練習をしてみたことはある。確か、出来なかったはずだ。だが、出来ないからと恥ずかしがってはいけない。こういうのは堂々としてこそだ。
そう考えた悠矢はポーズを決める。
ギュッ!
ウィンクを試みてみたものの、予想通りギュッと両目をしっかりと瞑ってしまった。
「うん、無理だな!ところで実弦はできるのか?」
「僕?できるよ」
悠矢が振りをそのまま跳ね返すと、キラキラとしたうちわを持つイケメンという変な絵面のまま、実弦は完璧なウィンクを決めた。
(じつに顔はいい)
そんな感想とともに悠矢は静かな表情を浮かべる。
とんでもなくカッコいいというのに、とんでもなく残念な男である。
「さて、ファンサを貰ったところで。実は僕、先生方にお礼と報告に行ったんだ」
「うん。あれ、待って。なんか嫌な予感がするんだけど」
「正解。次のテスト全科目平均以上でって言われてね」
「え、先生たち鬼すぎるだろ⋯⋯!」
「平均以上だと曖昧なんで70点以上でどうですかって交渉してきたよ!」
「馬鹿かよ!」
確かに頑張れば全科目70点以上はいけるかもしれない。しれないが、できるかできないかで言えば絶妙に「できそう」なラインを提示されて悠矢は泣きそうである。
「でもほら、迷惑かけちゃったし。僕なんか2日くらい保健室で寝させて貰ったりしたし」
「ぐ、ぐう」
ぐうの音もない。
確かに学生にできるお礼など点数くらいのものだ。
「待て、まず実弦!お前の成績はどのくらいだ!」
「えっ⋯⋯?順位で言うなら18位くらい」
「それは⋯⋯俺より厳しくないか?なんでそんなに余裕そうなんだ」
「いやぁ、大丈夫大丈夫」
「コラ、自分で約束したことだろう!ああもう、今日から一緒に勉強するぞ!」
悠矢の成績はクラス順位12位、調子がいいと10位くらいの成績である。学年順位も50〜60位台という中の上の成績なのだ。
その悠矢で絶妙にできそうなラインだというのに、ヘラヘラと笑っているようにしか見えない実弦の様子に頭を抱えた。自分で提案していて結果が駄目な成績になるのは目も当てられないだろう。
「⋯⋯えっと、うーん。うん!よろしくね!」
「まったくもう」
「良かった。猫もいないし悠矢くんも来なくなって、ちょっと寂しかったんだよね」
「あ⋯⋯そうか」
自分が実弦に「寂しい」を覚えさせたことを突きつけられた悠矢は口を噤む。理由がなくてももっと一緒にいたほうが良いのかもしれない。
(うん。だって実弦は俺を親友だって言ってたし)
「よし、みっちり教えるから覚悟しとけよ!」
「うん。それで、ゲームなにする?」
「今日からするのは勉強だって言ってるだろ!」
実弦はなぜか上機嫌にケラケラと笑っていた。
・
猫はいなくともなぜだか実弦の家に通うことになった悠矢は、実弦が苦手だという数学のプリントを一枚渡した。実力を把握しようと思ったのだ。そのプリントを採点し終わり、机に置いた悠矢は神妙な表情で実弦を見つめる。
「弓月実弦くん。大切なお話があります」
「はい」
「18位ってなんの順位ですか」
「学年順位だね」
80点を叩き出した数学のプリントと予想通りの答えを反芻して、悠矢はテーブルに突っ伏す。
「勘違い分かってたなら早く言えよ!あと自分は余裕の条件出すとか酷いだろ!」
「いやぁ。だって悠矢くんって理由がないと遊んでくれないのかなって思って」
「遊びたいなら人を罠に嵌めるような方法を使うのではなく、素直に遊ぼうと言いなさい!」
「それは本当にごめんなさい」
天然と計算高さって共存することがあるのかと恐ろしさを抱く。両手を合わせてあざとく謝るポーズをしている。あまりにも質が悪い。
そして判明した事実がある。勉強を教わらなければならないのは悠矢だということだ。
苦手な英語を前に突っ伏す。
「無理。英語って教えられてどうにかなるやつじゃないじゃん」
「だよね。リスニングずっと流す?」
「頭痛くなりそう」
英語は一旦脇に避けて化学の範囲を確認する。進級後初のテストなので範囲は一年の総まとめといった感じだ。一学期はテストが二回ある。
5月に行われる学力テストと7月に行われる学期末テストだ。6月は体育祭がある。
「範囲が広い。全教科⋯⋯泣いてもいいか」
「でもほら、聞いた感じ英語以外はだいたいケアレスミスだし、悠矢くんだって余裕だよ」
「英語苦手だぁ」
泣きながら教科書を捲る。
渋々と理解できてるか出来ないか自分で分からないまま読んでいると、珍しく実弦のスマホから標準設定だろうコール音が響いた。
「電話だ。ごめん」
「ん、いいよ。一人でやっとくし」
スマホを手にリビングを出て行く実弦を見送る。少し顔色が良くなかった気がする。
「今の世の中、泥臭く勉強しなくても翻訳機に頼って生きていけるだろ」
現実逃避をした悠矢は勉強に意味はないと自分を肯定するような言葉を呟いた。そういうことをするからますます苦手になるというのは分かっているのだが、一度染み付いた苦手意識というのは根が深いものだ。
「はは、そういや兄ちゃんも英語は苦手だったな⋯⋯」
そんなことを思い出して、同じような愚痴を無意識に呟いている自分が面白すぎて悠矢は自嘲の笑みを浮かべた。
「悠矢くん」
ボケっとしていると、急にどこか不安そうな声音で呼びかけられて振り返る。
「どうした、実弦」
「あ、ごめん。なんでもなくて」
「なんでもなくはなさそうだなぁ」
「ううん。本当になんでもないんだ。嫌な電話だったから⋯⋯なんかさ、ここに悠矢くんがいてくれて、嬉しかっただけ」
首を横に振って、実弦は本当にそれだけだと繰り返した。
「やっぱ、嫌なことがあっても推しを見ると元気が出るね」
「実弦ほんとそのノリ好きな」
「ノリじゃなくて僕はいつも真面目に推し活してるよ?楽しいし」
元気になったというのは本当のことなのだろう。実弦はすっかりいつもの調子に戻っていた。
「まあ、実弦が楽しいならいいよ」
「さすが僕の推し。心が本当に広い」
「だろうだろう。俺の心の広さに感謝しろよ」
二人しかいないというのに学校と同じように馬鹿なやりとりを続けることが本当に馬鹿みたいで、顔を見合わせて笑った。
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