2026年7月25日 14:43
セブンイレブンまでへの応援コメント
拝読しました。言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で人と人との位置関係がどう作られていくかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。五人の証言を読み終えたとき、拓海がどんな人だったかよりも、なぜこの人がこんなに長く「真ん中」にいられたのか、そちらのほうが、気になりました。この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。◇染谷さんの証言に、「断る側にコストが乗る」という言葉があります。拓海は、こちらの都合を計算せず、行くぞ、飲め、とただ言う人だったようです。けれど、それだけで三十年は続かない。断らない側には、断らない側の理由がありました。江野さんが言うように、「二番目から下の人たち」が、上の人が決めたことにして場を回している。千夏さんは、もっとはっきり言っています。「格付表を書いたのは、わたしたち」拓海が置いたのは圧だけで、それを実際の順番として運用していたのは、周囲の人たちのほうだったのだと思います。だから拓海一人が悪いとも、周りが勝手に彼を持ち上げたとも、どちらとも言い切れないところに、この輪の三十年があるように思いました。黙っていることも、この作品では、ひとつの力として働いています。「言わなかったことを、部屋中が聞いていた」何も言われなかったからといって、何も伝わっていなかったわけではない。むしろ、言わないままでいることのほうが、部屋の中に何かを残してしまう。拓海が死んで、証言が始まります。冒頭には「順番はこちらで決めた」とあります。五人はただ過去を思い出しているのではなく、何を話すか選び、距離や時間を測り直し、拓海と自分の位置をもう一度言葉にしています。拓海はもういないのに、五つの証言の真ん中には、やはり彼が置かれ続けています。大竹さんが、「あいつ、いないじゃん。言われっぱなしだろ、それ」と言ったあとに、「俺だって、いま喋ってるんだから、同じだよ」と続けるところが、特に残りました。拓海について語っている人たちも、外側から安全に説明しているわけではない。誰かを真ん中に置くような言葉を、いま自分も使っている。大竹さんの言葉は、そのことにまで触れてしまう。「ひどくて、楽しかった。両方でした」千夏さんの言葉にも、どちらかに決めてしまわない強さがあると思いました。楽しかったことがひどさを軽くするわけでも、ひどかったことが楽しさを嘘にするわけでもない。両方を口にできるまでに、三十年と拓海の死が必要だったこと。そして、言えるようになったときには、もう本人からは何も返ってこないこと。そこまで含めての「両方」なのだと感じました。拓海についての言葉を追っていたつもりが、最後には、語っている人たち自身がどこに座っているのか、そこまで見えてくる感じです。真ん中の席が空いたあとも、誰かを位置づける言葉は残る。その言葉は、語られる側だけでなく、語る側の場所まで、静かに決めてしまうのだと思います。
作者からの返信
拝読いただき、そして丁寧に言葉にしていただき、ありがとうございます。書いた本人が言い切らずに置いたところを、ここまで受け取っていただけるとは思いませんでした。「語る側の席」というお言葉、こちらが教わりました。
セブンイレブンまでへの応援コメント
拝読しました。
言い切られないまま残る余白や、言葉の配置にとても惹かれる読者です。本文の中で人と人との位置関係がどう作られていくかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。
五人の証言を読み終えたとき、拓海がどんな人だったかよりも、なぜこの人がこんなに長く「真ん中」にいられたのか、そちらのほうが、気になりました。
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
◇
染谷さんの証言に、「断る側にコストが乗る」という言葉があります。拓海は、こちらの都合を計算せず、行くぞ、飲め、とただ言う人だったようです。けれど、それだけで三十年は続かない。断らない側には、断らない側の理由がありました。
江野さんが言うように、「二番目から下の人たち」が、上の人が決めたことにして場を回している。
千夏さんは、もっとはっきり言っています。
「格付表を書いたのは、わたしたち」
拓海が置いたのは圧だけで、それを実際の順番として運用していたのは、周囲の人たちのほうだったのだと思います。
だから拓海一人が悪いとも、周りが勝手に彼を持ち上げたとも、どちらとも言い切れないところに、この輪の三十年があるように思いました。
黙っていることも、この作品では、ひとつの力として働いています。
「言わなかったことを、部屋中が聞いていた」
何も言われなかったからといって、何も伝わっていなかったわけではない。むしろ、言わないままでいることのほうが、部屋の中に何かを残してしまう。
拓海が死んで、証言が始まります。冒頭には「順番はこちらで決めた」とあります。五人はただ過去を思い出しているのではなく、何を話すか選び、距離や時間を測り直し、拓海と自分の位置をもう一度言葉にしています。
拓海はもういないのに、五つの証言の真ん中には、やはり彼が置かれ続けています。
大竹さんが、「あいつ、いないじゃん。言われっぱなしだろ、それ」と言ったあとに、「俺だって、いま喋ってるんだから、同じだよ」と続けるところが、特に残りました。
拓海について語っている人たちも、外側から安全に説明しているわけではない。誰かを真ん中に置くような言葉を、いま自分も使っている。大竹さんの言葉は、そのことにまで触れてしまう。
「ひどくて、楽しかった。両方でした」
千夏さんの言葉にも、どちらかに決めてしまわない強さがあると思いました。
楽しかったことがひどさを軽くするわけでも、ひどかったことが楽しさを嘘にするわけでもない。
両方を口にできるまでに、三十年と拓海の死が必要だったこと。そして、言えるようになったときには、もう本人からは何も返ってこないこと。そこまで含めての「両方」なのだと感じました。
拓海についての言葉を追っていたつもりが、最後には、語っている人たち自身がどこに座っているのか、そこまで見えてくる感じです。
真ん中の席が空いたあとも、誰かを位置づける言葉は残る。その言葉は、語られる側だけでなく、語る側の場所まで、静かに決めてしまうのだと思います。
作者からの返信
拝読いただき、そして丁寧に言葉にしていただき、ありがとうございます。書いた本人が言い切らずに置いたところを、ここまで受け取っていただけるとは思いませんでした。「語る側の席」というお言葉、こちらが教わりました。