第14話 果てしなく長い二ヶ月


 結人の話は、茉子が考えていたものとはかけ離れていた。これが、スター選手ゆえの悩みなのだろうか。肩書きでしか見られないという……。


「私は、サッカーはよく分かりません。それでも、想像はできます。上手く言えないけど……」

 

 茉子は顔を上げ、結人の顔をよく見た。こんなに自信なさそうにして、影が残る笑顔を見せている。これは、エースストライカーの笑顔じゃない。


「結人さんは、凄い選手です。サッカーを好きで、極めたら、いつの間にか日本代表になってワールドカップでゴールを決めてるんです。心の中ではただの青年なのに、自分の存在だけどこか遠くへ行くような……」

 

 茉子は結人の頬を伝う雫を指で拭った。


「スポーツって、残酷ですよね。芸能人は、なりたくてなるけど……スポーツ選手は、その分野を極めて世界レベルになると、有名になっちゃうから……」

 

 茉子は、見つめ合ってから結人を抱きしめた。ほんのりとバニラの香りがして、陽に焼けた頬に触れる。この匂いも手触りも、忘れたくなかった。

 

「これからも、あなたのこと……ただの彼氏として見させてください」


「……うん」

 結人が頷いたので、茉子はゆっくりと結人と唇を重ねた。


「茉子さん」

 唇が離れ、結人は茉子の髪を撫でた。


「……これからも、一緒にいてください」

 

「もちろん……」

 茉子がそう言うと、結人はついばむようなキスを重ねてきた。やがてキスは深まり、結人の腕は茉子の背中に回される。


 もしかして、私はここで結人さんと、このまま……。甘い吐息の中から、茉子の体は少しだけ震えた。


「あ……。ご、ごめんなさい」

 茉子の震えを感じとったのか、結人は背中に触れていた手を離した。

 

「すみません。……大丈夫です。茉子さんのペースがあるだろうから」

 結人は乱れた息を戻すように深呼吸をした。そして立ち上がり、窓を覗く。深呼吸は二回繰り返された。


「いえ……私こそ」

 茉子はお茶を一気に飲んだ。一気に顔が熱くなる。どうしたらいいのか、自分でも分からない。

  

「茉子さんのペースを、大事にします」

 結人もお茶を飲んでいた。深呼吸をしても、多めの瞬きは収まってはいなかった。



 お正月の三が日は、すぐに過ぎていった。一月二日は、人があまりいない神社で初詣をしたあと、東京湾沿いの道をブラブラと歩く。冬の澄んだ空気が気持ちよく、茉子は自然と結人の手を繋いだ。

 

「東京湾は静かですね……」

 

 茉子は周りを見渡したが、誰もいなかった。東京のお正月は地元に帰省する人ばかりなので、東京湾の景色は、まるで貸し切りだ。

 

 ベンチに座り、結人は茉子にホットの缶コーヒーを渡した。茉子は缶を頬に当て、じんわりとくる熱さに心がやられそうだった。

 

 しばらくして、夕日が沈んでいく。茉子は海に消えていくオレンジ色の光を見つめながら、結人の肩に頭を預けた。結人もそっと茉子を抱き寄せる。

 

「……誰もいないよ」

 結人は膝をかがませて、茉子に口づけを落とした。


 一月三日。茉子は成田空港まで結人を見送りに行った。結人は名残惜しそうにしながら、「三月の代表戦の時に帰ってきます」と言って、出国ゲートへ消えていった。茉子はその背中を消えるまで見つめたあと、近くのベンチに座った。


 遠距離恋愛にとっての二ヶ月は、果てしなく長い気がした。



***


 その後の茉子は、結人に会いたい気持ちを抑えながら仕事に打ち込んだ。というより、打ち込むしかなかった。


 一月に社員が立て続けに辞めたため、派遣社員の茉子にも社員がやるような仕事が回ってきた。

 

「これができたら社員登用も考えてあげるから」

 

 課長のセリフに、茉子は違和感しかなかった。この会社で、社員として働きたくはない。私は、派遣社員で十分だ。そう思っても口には出せず、茉子の残業時間はどんどん増えていった。

 

「宮下さん、いつも残業ありがとう。社員の皆は、宮下さんのおかげで助かってるって、すごくありがたがってるよ」

 そう言って、社員の伊藤くんは茉子のデスクにエナジードリンクを置いた。

 

「だから、その……。四月以降も、ここにいてほしい」

 伊藤くんは頭を下げた。茉子は軽くうなずき、視線を目の前のパソコンへ戻した。


 結人と会えるのは三月。それまで、頑張らなくちゃ。


 茉子はエナジードリンクを一気に飲み干した。


 カフェインが、まだ残業できると言っていた。


  

*****


 二月。季節は冬だが、ニースの外の気温は温かかった。結人はフランスリーグの試合に出場しながら、茉子とのメッセージのやり取りは欠かせなかった。


『茉子さん、今日食べた店のガレットが美味しかったので、今度一緒に食べましょう』


 結人は茉子にメッセージを送信すると、もう一件、メッセージが来ていることに気づいた。


『結人、久しぶり。今度、仕事でフランスに来るから会えない?』


 有紗からのメッセージだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る