第2話 櫛歯カリナについて

 昨日のことだった。

 夕方、リビングのソファに寝転がりながらスマホの動画を見ていると、さっきから別室で誰かとしばらく通話していた父が、重い表情でやってきた。

 口を開けるなり、

「カリナちゃん、亡くなったって」

 台所で料理をしていた母も、わたしも、その台詞の意味が、一度聞いただけではわからなかった。

 父の話を聞くにつれ、わたしたちは絶句した。

 櫛歯カリナは父の兄の娘で、小さい頃から同じ地域に住んでいた。だから何かにつけて交流はあって、中学に上がるまではよく一緒に遊んだ。

 本来は彼女も、わたしと一緒に清河女学院の高等部に進むはずだったのが、試験に落ち、この春から近所の高校に通っていた。

 彼女は二日前の深夜、一つ上の先輩の運転するオートバイに乗った。

 一般道で一二〇キロを出したその二輪車は、ある交差点で事故り、大破。乗っていた二人とも助からなかったという。

「どうして……」

 いったい何をいっていいかわからず、それだけが口をついて出ると、

「とにかく、明日の夜、葬儀があるから。それは三人で行こう」

 父は急ぐように、自分の部屋へと向かっていった。


 櫛歯カリナ。

 わたしが清河女学院に入ったきっかけを作ったひと。


 カリナは、いわゆる地頭のいい子だった。同学年といっても、生まれ月は彼女が四月、わたしは二月だったから、実質的には一歳近く違う。それで、わたしは彼女から色んなことを教わった。

 カリナは歳の割に、難しい本をよく読んでいた。成績は抜群で、でも遅刻と欠席が多いので、担任の先生からはよく怒られていたらしい。周りには珍しく、小学生の頃から塾に通っていた。まあ、それもしょっちゅうサボっていたけど、とは本人から聞いた話だ。

 特に得意だったのは、数学だ。

 中学一年の時点で、もう独学で高校数学を勉強していた。ある時、彼女が読んでいた参考書を見て、わたしは心底、吃驚した。

 まさか、中学生が高校生の勉強をするなんて!

 当時のわたしは、勉強なんて学校からいわれて無理やりさせられるもので、自ら進んで学習しようなどということは、とうてい思いつきもしなかった。

 いや、彼女にとっては、あれは「勉強」なんていうものじゃなかったのだと思う。本人にいわせれば、「趣味」ということになるのだろう。

 自分の好奇心を満たす。ただ、それだけのための。

 私の眼に映るカリナは、あらゆることに詳しかった。勉強も、音楽も、本や映画も、ファッションも、とにかくわたしの知らないことばかり知っていた。

 たまに漫画を借りると、紙のあいだからいつもわずかに煙草の薫りが立ち上った。わたしはそのにおいが嫌いではなくて、紙面に鼻を近づけるとまるでカリナがそこにいるみたいだった。


 ちょうど一年前。

 まだ遠いように思えた卒業後の進路について、わたしはなんとなくカリナに聞いた。

「うーん、清河に行けって、親からはいわれてんだけどね」

 それを聞いて吃驚した。

 清河女学院。

 さすがに名前くらいは聞いたことがある。

 私立の中高一貫だけど、高校からも入れる。

 といっても、自分たちとはまったく縁のない世界だと思っていた。

 まあ、カリナなら、そういうところへ行っても不思議じゃない。

 ……すると一瞬、わたしの中に冷たい予感がやってきた。


 カリナはもう、わたしの手の届かないところに行ってしまうんだ。


「メイもさ」

 そんなわたしの心を見透かしたかのように、カリナはいった。

「一緒に行ってみない?」

「……え」

「だから、一緒に受験すんの。清河」

 カリナの言葉が理解できない。


 その時のわたしはたぶん、よほど間抜け面をしていただろう。

「……ムリだよ、そんなお嬢さま学校」

「そう思うだろ。これが違うんだな」

 カリナはニヤッと笑い、それから、清河女学院を目指す利点を説明し始めた。

 場所は遠いけれど、授業料はそんなに高くない。

 試験の点数だけで入れるから、躾だのなんだのもそううるさくない。

 高校入学組はみな地域も違って似たような条件だから、一人だけ浮くということもないだろう。

 卒業後の進路の選択肢が多い。

 ……カリナの説明を聞くうち、だんだん自分とも無縁ではないような気がしてきた。

「何よりいいのはさ、やっぱ、内申点関係なく、試験だけで入れるんだよ。あたし内申は最悪だから」

 そうか。カリナの場合、そういう理由もあるのか。

 それでも、まだ自分が清河に入るなんて想像もできない。

「メイなら行ける。今から頑張ればね。それよりさあ」

 とカリナはいった。

「メイはこの先ずっと、ここで暮らしてたいと思う?」


 自分でも気づいていなかったことを、カリナに見抜かれたような気がした。

 同級生、先輩、後輩。

 変わり映えしないいつもの顔ぶれ。

 これからまた何年も彼ら彼女らに囲まれて生きていくのかと想像すると、それだけで、なんとなく息苦しい。

「大丈夫。勉強はあたしが指導するから。マジで考えといて」


 その日から、わたしたちは清河女学院を目指すことになった。

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