第十三話 常闇の軍師

第一幕 学術国家ルーメン

カルナヴァを発って、数日。

三人は北東へ進み、学術国家ルーメンへと辿り着いた。

国境を越えた瞬間、街の空気が変わる。

道の両脇には、白い石を積み上げた古い建物が並んでいる。

柱廊を備えた大きな建築。

高い石柱。

幾何学的な装飾。

長い年月を経てもなお崩れぬよう、緻密に組み上げられた石造りの街並み。

華美ではない。

しかし、そこには他国とは違う重みがあった。

何百年、あるいはそれ以上の年月をかけて積み重ねられた伝統と知識。

街そのものが、そう語っているようだった。

道を歩く人々もまた独特だった。

学者らしき老人。

分厚い本を抱えた若者。

伝統的な衣装に身を包んだ者。

その隣を、最新式らしき魔道具を抱えた学生が駆け抜けていく。

古さと新しさが、奇妙なほど自然に同居していた。

ミアが辺りを見回す。

「……なんか、頭良さそうな街。」

「雑な感想ね。」

ザハラが苦笑する。

ヴァルドは建物を見上げた。

「学術国家だからな。」

「ヴァルドはこういうの分かるの?」

「一応、兵法や政治学の教育は受けている。」

「へぇ……。」

ミアが少し意外そうな顔をする。

「じゃあ、あの難しそうな建物の意味も分かる?」

「建築学は専門外だ。」

「分かんないんじゃん。」

「学術といっても全部が同じではない。」

「それはそうだけど……。」

ザハラも苦笑する。

「私には、どれも難しそうにしか見えないわ。」

「私も。」

ミアが即答した。

二人がそんな会話をしている間にも、ヴァルドは周囲を観察していた。

彼らがこの国へ来た目的は、一つ。

カルナヴァで出会った、名も名乗らなかった仮面の騎士。

その男が残した言葉。

――ルーメンへ行くといい。

――変人しかいない。

――学術おバカ。

――君たちとは一番話が合う。

そして。

「記憶魔法教授……テオン。」

ヴァルドが呟く。

その名を頼りに、三人は大学地区へ向かった。



ルーメン北部。

巨大な石造りの学術区画には、様々な研究施設が並んでいた。

その中でも一際大きな建物。

魔術大学。

そこへ入り、受付でテオンの名を告げる。

「テオン教授なら、記憶魔法研究棟ですね。」

案内された建物の中には、無数の魔道具と書物が並んでいた。

廊下を歩く学生たちは、皆それぞれ何かに夢中になっている。

ある者は魔法陣を描き。

ある者は本を読み。

またある者は、歩きながら小さな魔道具を操作していた。

やがて。

「記憶魔法研究室」

その文字が刻まれた扉の前に辿り着く。

その下には、小さく。

教授 テオン

と記されていた。

ヴァルドが扉を見つめる。

「ここだな。」

ザハラが頷く。

「ええ。」

ミアが耳を動かす。

「なんか怖い。」

「研究室が?」

「名前が。」

「記憶魔法?」

「うん。なんか頭の中いじられそう。」

「そんなことをする研究ではないと思うけれど……。」

ヴァルドは扉を二度、軽く叩いた。

コン、コン。

「はい! どうぞ!」

返事があった。

ヴァルドが扉へ手を伸ばす。

その瞬間。

内側から。

ガチャッ!

勢いよく扉が開いた。

「――どうぞ!」

ゴンッ!!

「…………。」

「…………。」

ヴァルドの顔面に、扉が直撃した。

「……。」

数秒。

誰も動かなかった。

扉の向こうから、恐る恐る顔が覗く。

黒いロビンフッドハット。

黒を基調とした洒落たコート。

整った顔立ち。

知的で冷静そうな雰囲気を纏った、美しい女性だった。

ただし。

今は目を見開き、明らかに動揺している。

「あ……。」

女性はヴァルドの顔を見る。

それから扉を見る。

もう一度、ヴァルドを見る。

「……すみません。」

ヴァルドは額を押さえた。

「……痛い。」

「ですよね……。」

女性は申し訳なさそうに眉を下げる。

「本当にすみません。」

「いや……いい。」

「大丈夫ですか?」

「ああ。」

「そうですか。」

女性はほっと息を吐いた。

そして。

何事もなかったかのように姿勢を正す。

「では、どうぞ中へ。」

「……。」

ヴァルドは無言でザハラを見る。

ザハラも困ったように微笑んだ。

ミアだけが小声で呟く。

「この人、大丈夫?」

「……俺も今、それを考えている。」




第二幕 常闇の軍師

場面は変わる。

ルーメンの酒場。

木製の丸卓を挟み、ヴァルドとノクティアが向かい合っていた。

ノクティアは昼間と同じ黒いコート姿。

ただし、帽子は椅子の背へ掛けてある。

目の前には酒。

そして。

「いやー、本当にびっくりしましたよ!」

「何がだ。」

「まさかあの焦熱の騎士さんが、普通に大学まで来るとは!」

「……。」

ヴァルドはジョッキを傾ける。

ノクティアは楽しそうに笑った。

「私、ずっとお会いしてみたかったんですよ。」

「俺に?」

「そうです!」

「なぜ。」

「だって有名じゃないですか。」

「悪名だろう。」

「それも含めてですよ。」

あっけらかんと言って、ノクティアは酒を飲む。

「それに、私、昔は普通の子だったんです。」

「……普通?」

「普通ですよ。」

ノクティアは指を一本立てる。

「普通の家庭に生まれて。」

二本目。

「普通に学校へ行って。」

三本目。

「普通に友達と遊んで。」

そして、にっこり笑った。

「普通に幸せでした。」

ヴァルドは黙って聞いていた。

ノクティアは続ける。

「それで、こっちに来てから魔法を覚えて。」

「記憶魔法が好きになって。」

「研究して。」

「テオン先生に拾ってもらって。」

「今に至ります!」

「……そうか。」

「はい!」

妙に明るい。

あまりにも明るい。

ヴァルドは酒を一口飲んだ。

目の前の女について、まだ何も分かっていない。

テオンは、二つ返事で彼女を預けた。

本人も、こちらが何者かを知っているにもかかわらず、あっさりと同行を決めた。

しかも。

少し前のヴィズレニアによるルーメン侵攻。

その侵攻を食い止める上で、最も大きな功績を上げたのが、このノクティアだという。

――本当に?

ヴァルドはノクティアを見る。

黒いコート。

柔らかな笑顔。

楽しそうに酒を飲みながら、研究の話をする姿。

「それでですね、この記憶魔法というのが面白くて――」

「……。」

話が頭に入ってこない。

カルナヴァで出会った、あの仮面の騎士もそうだった。

妙に軽い。

妙に飄々としている。

そして、あまりにも核心だけを残して去っていった。

その紹介された教授の教え子が、この女。

虫も殺せぬような、知的で柔らかな態度のテオン教授。

その教え子が、軍師として自分たちを導くという。

「……。」

少し、不安になってきた。

ノクティアが酒を飲み干す。

「ぷはっ。」

そして、空になったジョッキを置いた。

「それでですね。」

「うん。」

「そういうことなので。」

「……?」

ノクティアは笑顔のまま。

ほんの少しだけ声の調子を落とした。

「私と一緒に、厄災の主を倒しに行きましょう!」

「…………。」

ヴァルドは瞬きをした。

「なんて?」

ノクティアは、にっこり笑う。

「厄災の主を。」

「倒しに行きましょう!」

ヴァルドはジョッキを置いた。

「……なぜそうなる。」

ノクティアは満面の笑みを浮かべた。

「そこから説明しますね!」

ヴァルドは頭を抱えた。

どうやら。

この女を軍師として迎えるという判断は。

思っていた以上に、大変なことになりそうだった。

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