第6話 副団長が守るべきもの
思わず反射的に剣を手に取り、階段を駆け下りようとしたところで、そうだ、自分はもう騎士ではなかったのだと思い出した。
「ショルガの群れだ! 城門の中へ早く避難しろ!!」
外からそんな声が聞こえてきて、先日、討伐依頼を断ったせいだという後悔が胸を占めたその瞬間、前線に立つことは出来ずとも、有志として市民の避難を手伝うことは可能だと思い、外套も着ぬまま土砂降りの雨の中へ飛び出した。
避難を急ぐあまり、ぬかるみに足を取られて転んだ子供を抱き上げれば、
「副団長!」
周囲がまた口々にその名でオレを呼んだ。
うまい訂正の仕方を先に考えておくべきだったと思いながら、
「ここはオレが守るから大丈夫だ。だから、落ち着いて行きなさい」
そう言えば、泣いていた子供はぐっと涙をこらえ、コクリと頷いた。
市民の避難が無事完了したところで、他の冒険者たちがそうしているように外門へ向かう。
リリの街は無事だろうか。
そんなことを考えていると、
「ラディさん!!」
この街へ戻って来て初めて名前で呼ばれ、思わず声のした方を振り返る。
すると、先日の魔獣討伐で一緒に簡易パーティーを組んだ若者が、嬉しそうにこちらへ向かってブンブンと大きく手を振っていた。
「えっと……」
散々呼び名にこだわっていたはずなのに、肝心の彼の呼び名を思い出せないでいると、
「アーヴィンです」
彼は気分を害した様子もなく、こんな時だというのに、嬉しげに、またあっけらかんと笑った。
「副団長がいてくれるおかげで命拾いしました!」
「ここは俺たちが命に代えて守りますから、本隊の方へ行ってください!」
口々にそう言われ、押し出されるようにかつての自分の持ち場へ向かえば、
「副団長!!」
現副団長のゼクトにまでそう呼ばれ、もうこんな時だ、訂正も遠慮もどうでもいいかと、しばし居直ることを決め、
「戦況は?」
かつてのように上から短く尋ねれば、
「二年前の倍の頭数と聞いています」
想定外の数字が返ってきて、思わず血の気が引いた。
突然、あわただしく出撃の準備を始めたゼクトに驚いて、お前は一体何をしているのかと声を掛ければ、
「ご存じでしょう。副団長と違って、僕は頭より体を使った方が性に合ってるんです」
そんなとんでもないことを言う。
「二年前のオレの失態を忘れたのか?!」
思わずゼクトの腕を掴み、怒鳴るようにそう言えば、
「失態? 副団長の指示がなければ、僕だけでなく、皆あの時死んでいました」
真っ直ぐな目でそんなことを言い返されてしまい、何と返せばいいのか分からなくなってしまった。
「副団長、僕は今でも誰より貴方を信頼しています。……大体」
ゼクトは王都育ちらしい、洗練された落ち着きを持ってそう一度言葉を切った後、
「あんたはスピードアタッカー気取って前線で体張って、無茶ばかりやってましたけどね。本当は実戦でも試合でも、守備に徹されるとクッソ厄介極まりないんですよ! ほんと、いい年したオッサンなんですから、いい加減その自覚持ってください!!」
下町育ちらしい巻き舌で一気にそうまくし立てた後、フンと鼻を鳴らして兜を被った。
肩を壊したオレは、もう前線で戦えない。
だから騎士としての価値はない。
この二年、ずっとそう思っていた。
しかし、ゼクトは元オレの副官だ。
あいつの言葉を信じられなければ、一体誰の言葉を信じればいいというのか。
そう思う一方で、こいつはまた、自分を犠牲にして皆を守ろうとしているだけではないのかという疑いも消えず、一刻を争うこの場で、何一つ決断を下せずにいた。
そんな自分に失望し、あぁ、だからオレは騎士を退いたんだったと、やはり外門へ戻ろうと一歩後ろへ下がりかけた、その時だった。
『痛みますか?』
そう言ってオレに触れた、リリの細く柔らかな指先の感触を不意に思い出した。
あぁ。
痛いな。
胸の中で彼女にそう呟き、耳ではなく、後悔と葛藤に激しく痛む胸を押さえれば
『この傷のこと、覚えていらっしゃいますか?』
そう尋ねたリリの声が、続けてよみがえった。
恐らくこれは、リリを助けた時に負った傷なのだろう。
しかし、やはりその時のことは思い出せない。
あぁ、歳を取るということは、衰え、失っていくだけではなく、こんなにも沢山の、大切な記憶まで、その時確かに感じたはずの感情まで、失っていく事なのか。
そんな事を思い、ガクリと肩を落とした時だった。
強く抑えていた痛む胸から手を離した拍子に胸ポケットの中で、入れっぱなしにしていた地図がクシャッと小さな音を立てた。
ずっと大切に持っていた世界地図ではない。ただの地域地図。
そうだ、アレ《夢の欠片》は、リリに託したのだった。
そう思った瞬間、あの地図が、いつか彼女を本当に行きたい場所へ導いてくれるならいいと、本気で願った日のことを思い出した。
「…………」
あの日、オレは。
田舎で後悔にまみれたまま朽ちていくだけだったはずのオレに、その人生にも意味があったのだと教えてくれたリリの幸せだけを願った。
彼女なら、あの古地図と共に、自分の足で明るい未来へ歩いて行ける。
そう信じて送り出した。
だから。
あの子の幸せを今でも、心から願うのならば、オレは……。
オレは、他の誰でもなく、オレ自身の決断を信じる事を、止めてはならないのだろう。
「……オレに言い返すなんて、ゼクトも偉くなったもんだなぁ」
ゼクトの副官のオットーに向かいそう愚痴れば、こんな危機的状況にも関わらず周囲から好意的な笑いがどっと沸いた。
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