11. Reflection

 生ぬるい水が、唇の隙間から舌の上へと流れ込んでくる。

 反射的に飲み込もうとすると、喉の奥が震えて軽くむせた。


 硬くざらついて、ところどころ砂のような粒が肌に食い込んでくる、冷たい床の感触を背中に感じる。


 重い瞼を持ち上げると、薄暗い天井の梁が、ぼんやりと滲んで見えてきた。


 顔の上に、影が落ちている。


 淡い色の髪が、頬のあたりへ垂れかかってくる。透き通るような白い肌、薄桃色の唇——何度も覗き込まれた、あの少女の顔が、すぐ近くにあった。


 その手が、欠けた縁の吸飲みを、私の口元へ傾けている。


 意識が途切れる寸前の記憶が押し寄せてきて、私は咄嗟に身を引こうとした。

 けれど、力の戻りきらない身体は、肘が滑って、わずかに床を擦るだけに終わる。


「……っ」


 少女は驚いた様子もなく、ただ静かに吸飲みを引いて、私を見下ろしていた。


「……あなたが」


 声を出そうとすると、乾ききった喉がひりついて痛む。

 私は少女が差し出した吸飲みを受け取り、残っていた水をすべて飲み干すと、ようやく喉のつかえが取れてくる。


「私を、助けてくれたの?」


 少女は無言のまま、顎を引くように頷いた。


 聞きたいことは山ほどある。

 ここで目を覚ますたびに奪われていた言葉を、今度こそ手放してはいけない。そう思った瞬間、堰を切ったように、言葉が喉を押し上げてきた。


「あなたは何者なの。あの男は……あの『先生』は、いったい何者なの。ここはどこ。私は、なぜここに連れてこられたのっ」


 声がもつれ、最後のほうは掠れて消えかけたが、それでも私は問いを重ねた。

 喉の奥が裂けそうに痛んでも、確かめずにはいられなかった。


 少女は私の問いかけには答えず、ただ静かにこちらを見つめている。

 垂れかかる髪の向こうで、その瞳が、私の顔の輪郭を、目から鼻へ、唇へと、ゆっくりとなぞっていく。


「……あなたは、本当に、お兄様にそっくりだわ」


 問いとはまるで噛み合わない、独り言のような呟きが、薄暗がりに落ちた。

 この状況にあっても変わらない、その澄んだ声音に、ぞくりと冷たいものが背を這う。


「違うわ……。私は女よ。あなたの……お兄様なんかじゃない」


 少女は、ほんの一瞬、何かを堪えるように睫毛を伏せた。

 その姿は、あの写真立ての人物をどことなく思い出させた。髪や目の色、顔の輪郭が似通っている。


「……あの写真の人が、あなたのお兄様なのね」


 私のその言葉に、少女は小さく頷く。


 私はふらつく身体を腕で支え、上体を起こしながら、言葉を続けた。


「あの男が、話していたわ。魂が、どうとか……器が、どうとか。あなたは、そんなことを——本当に信じているの?」


 この少女は、あの男の言いなりになっているのだろうか。

 でも、だとすれば、なぜ私を助けるようなことをするのか——。


「……私はあなたを助けたい」


 その言葉を発する少女の目には、初めて感情の色が見えた気がした。


「それなら教えて、ここはどこなのか、あの男は誰なのか。そして、あなたは——」


 少女の唇が動きかけた、その時——。

 ぎい、と、扉の軋む音が響く。


 私はそこではじめて、ここが小さな部屋の中だと気づいた。

 目の前に座る少女の後ろ、そこにこの部屋でひとつだけの扉がある。


 そちらに目を向けた途端、冷たいものが、首筋を駆け上がる。


 開かれた扉から入ってきたのは、ひとりの少女だった。

 淡い色の髪。透き通るような白い肌。薄桃色の唇。


 私の前に座っている少女と、寸分たがわぬ真っ白な少女が、そこに立っていた。


「ああ、お兄様。やっと……やっと目を覚ましてくださったのね」


 姿を現したもう一人の少女は、恍惚とした表情で微笑んだ。

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