第8話:一万年から一年へ

 

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「───ストさーん!? ちょっとー!? アストさぁん!!!」


「……はっ!?」


 気がつくと、目の前に裸の女の子がいた。

 

「あ……ルシファーか……う、うーん……」


 ゆっくり身体を起こすが、もの凄いめまいと倦怠感で、とてもじゃないが立てそうにない。


「あ……」


 そこでようやく気づいたが、右腕は元へと戻っていた。

 どうやら成功してはいたらしい。


「だ、大丈夫ですか?」


「あ、いや、大丈夫じゃないな……なんかくらくらするし、身体がすっげぇ怠い……お、俺はどうなったんだ?」


「ブエルの力を使って腕を治したら、そのあと急に倒れたんですよ……びっくりしました……」


「なんで……だ、代償は魔力のはずだよな?」


 一応確認したが、やはりリストには魔力と書いてある。

 おかしい……やり方を間違えたか?


「あー……ひょっとしたら、魔力切れかも」


「ま、魔力切れ……?」


「はい。アストさんって、鍛えたりしてました?」


「それって……戦う為にってことか?」


「はい。特に魔術とか」


「……いや、戦いとは無縁だったし、魔術なんて使ったこともないけど」


「あー……この世界の人間の魔力って、質はいいんですけど、基本的に量が少ないんですよ。まぁ、私たちと比べたらの話ですけど。だから、特に鍛えてない一般人のアストさんの場合、魔力が一発で全部なくなっちゃうのかもしれません」


 一発で全部……いや、それじゃあ───


「やりたい放題じゃ……ない?」


「そう……なっちゃいますね。使うたびに毎回気絶することになりますし、回復し放題が出来ないとなると……ちょっと……」


 マジかよ。

 せっかく痛みがない身体なのに、魔力が足らなくてそれが無駄になるとか……なんだよそれ。

 それじゃ、せっかく一万年耐えても意味が───


「……ん? いや、俺はバカか? そしてお前もバカだ」


「はぇっ!?」


 そう言ってルシファーに指をさすと、彼女は目をまんまるにして驚いていた。

 面白い顔だ。そしてバカだ。俺もお前も。


「簡単な話じゃないか……少ないんだったら、鍛えればいいだけだろ?」


「そ、そりゃまぁそうですけど……あの、正直に言いますね? 気を悪くしないでくださいよ? アストさんって……めちゃくちゃ平凡なんですよ。多分、才能ないです」


 ぐっ!? こ、こいつ……!


「ず、随分とはっきり言ってくれるじゃねぇか……けど、俺に才能があろうがなかろうが、そんなもん関係ねぇんだよ。なんせ……時間はたっぷりあるんだからな」


「……あっ! そ、そうか! 一万年!」


「そうだよッ! お前のせいで一万年あるんだよこっちにはなぁあッ!?」


「ひぃっ!?」


 一万年経つのはこの世界だけ……つまり、鍛えりゃいいんだ。

 体力も魔力も、一万年かけて身体を鍛えまくってやる。

 そして、全部使いこなしてやる。

 やってやるよ……奴らを確実にぶち殺す為にな。


「……協力しろルシファー。お前らの為にも」


「も、もちろんですよ! いやぁ、一万年にしといてよかったですねっ!」


 満面の笑みを浮かべ、こいつは人の気も知らないで平然とそんなことを言う。

 もう少しだけでいいから、ほんの少しでいいから俺の気持ちも考えてほしい……と、思ったが、どうせ無駄なので諦めた。


「ん? ところでお前、いつまでいられるんだ?」


「あ、そうでしたそうでした。それはまだ話していませんでしたね……えっと、能力を使わなければ二十四時間くらいはいられますよ。それで、力を使うたびに召喚時間が減っていって、使い切ったら消えちゃいます」


「なるほど……で、俺に攻撃することは出来ないし、命令にも逆らえないんだよな?」


「……ん、まぁ……はい……」


 彼女はジトッとした目をすると、僅かに後ろへと下がった。


「構えるなよ……何もしねぇって。お前らに恨みはないし、むしろ協力者な訳だから、損得勘定ありきではあるけど……なるべくいい関係でいたい」


「ア、アストさん……!」


「で、なんでお前裸なの?」


「………………ほわぁぁぁぁぁあッ!?」


 ルシファーは自分の身体を見た後、奇声を上げながらしゃがみ込み、手で局部を隠しながら顔を赤らめる。

 それを見て、ちょっとスッとした。


「なんッ……なんでぇ!? なんで裸ッ……いつからぁ!? いつからですかぁ!?」


「最初から」


「ひぃぁぁぁぁぁあッ!? な、なんで言わな……あ! 分かった! け、けだものっ……アストさんはけだものですっ! そうやって楽しんでたんだ! 私の裸をニヤニヤ見て───」


「いや? 俺はお前に興味がない。だから何も感じない。その無駄にでかいケツを見ても、バカみたいにでかい胸を見ても、一切、何も、思わない」


「う、うそだ! そんなはずないっ! っていうかデリカシーとかないんですか!? 無駄にでかいとか言わないでぇ!」


 デリカシー……それをお前が言うか。


「嘘じゃない。なんだったら心を読んでみればいい。そうすりゃ分かる」


「わ、分かりました! いきます……んっ!」


 俺はフィオナにしか興味がない。

 だから、お前なんかに欲情することはない……永遠に。


「………………うわーん……」


 泣いた……魔界の王なのに。

 というか、恥じらいとか、女としての感覚とか、そういうものはあるんだな。


「まぁ、そういう訳だから。服を着られるなら着ろ。目障りだし」


「……はい」


 次の瞬間、涙目になったルシファーの身体が細かいレースの装飾が美しい、黒いロングドレスによって覆われる。

 うん……銀色の髪にも合うし、これはよく似合っている。


「ありがとうございます……」


「……今のは許すが、もう心を読むなよ」


「あ……はい……」


「さて、それじゃ……早速始めるか」


 そうして、俺の特訓の日々が始まった。

 だが、この時の俺は何も分かっていなかった。

 一万年。

 それがどれだけ長く、どれだけ途方もないものなのかということを。

 ある意味それは、あの夜よりもずっと……ずっとずっと……恐ろしいものだったのに。



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 一年目~百年目。

 それは彼にとって、様々なものを知り、そして全ての礎となる期間であった。

 ルシファーが作り出したこの空間にいる限り、彼は歳を取らず、腹は減らず、喉も渇かず、睡眠も必要としない。

 故に、彼は憎悪を糧とし、ただひたすらに身体を鍛え続けた。


 さらに、知識の悪魔アガレスの力を借り、彼はどうすれば強くなれるのかを学ぶと、それらを全て忠実に実行。

 黒い世界で、ただただそれのみに没頭する。

 この時点で、彼は本当の意味で狂い始めていた。


 時折発狂を繰り返しながら、やがて百年が経過する頃には、彼の肉体は鋼と化し、内包する魔力は、人間の中でも高位に位置する程へと成長する。

 狂気に身を委ねた百年という歳月は、才能なき凡夫を天才へと変えた。



 百年目~一千年目。

 この頃になると、彼の時間感覚が少し曖昧になり始める。

 気がつくと三、四日過ぎていた、などということが頻繁に起き始め、自身がおかしくなっていっていることを理解しつつも、飽きることなく更なる力を追い求めた。


 まず彼は、再びアガレスに頼り、彼の蔵書を貸してもらえるようになると、ありとあらゆる知識を詰め込み始める。

 そこには魔界のものだけではなく、彼自身の世界も含めた様々な本が納められており、言語をアガレスから学びつつ、無限にあるとも言えるそれらを彼は片っ端から読み始めた。


 突然奇声を上げながら走り回ることもあったが、やがて二百年ほどが経過し、ある程度満足した彼は、今度はまた悪魔の力を使って様々な武器を手にすると、それら一つ一つを数十年単位で鍛錬し、やがてあらゆる武器を使いこなすに至る。

 その際、悪魔を召喚して師匠代わりにするなど、悪魔たちとの交流も同時に深めていった。


 同じように、魔術についての知識を得ていた彼は、自身の世界のそれはもとより、師匠代わりの彼らから魔界の魔術の指導も受けた結果、黒い世界で過ごし始めてから一千年が経つ頃には、通常人間が到達することなど絶対に不可能な領域へと足を踏み込み、誰一人比肩し得ることのない存在へと昇華する。


 この頃になると、悪魔たちとの交流もかなり深まり、やっと十分の一か、などと笑い合ったりもしていた。

 おそらく彼にとっては、この頃が一番楽しいと感じていた時期だったのかもしれない。



 一千年目~五千年目。

 虚無である。

 やり尽くしたのだ。

 もう彼は到達してしまった。

 誰も拝むことすら出来ない、その孤高の頂に。


 あまりの虚無さに気が触れた彼は、その鍛え上げた力でルシファーが生み出したこの空間を破壊しようと試みる。

 だが、彼が繰り出す最高の技も、至高の魔術も、更にその上をいく究極の力も、全てが闇に飲み込まれるだけであった。

 ルシファーはそんな彼に、"この空間は完全に世界と断絶していて、空間を引き裂いた先も結局ここですし、そもそも壊れるという概念がないから無理ですよ"と自慢げに語る。

 その際、ブチ切れた彼渾身の拳が、ルシファーの顔面を打ち抜いたのは言うまでもない。


 そして、五千年が近づいた頃、彼が最も恐れていたことが起き始めた。

 そう、憎悪の消失である。

 十八歳だった彼の精神は、とうの昔に成熟を通り越し、もはや無我の境地にまで達していると言っても過言ではなかった。

 この辺りになると発狂するというより、まるで廃人のようになり、数年間全く動かなくなることもしばしばあった。

 彼が積み重ねてきたその年月は、憤怒と怨嗟を維持するには、あまりにも長過ぎたのである。

 故に彼は、再び悪魔の力に頼った。


 過去を見る眼を持つ馬の悪魔、オロバス。

 彼は左眼と引き換えに、対象の過去を契約者に見せるという力を持っていた。

 そしてそれは、彼が目論んだ通り、非常に有用であった。


 彼はオロバスの力を借り、ある日から自身の過去を見続けた。

 要するに、彼は毎日毎日繰り返し、あの日の地獄を追体験し続けたのである。

 繰り返される両親の死、自身に行われる残虐な行い、嘲り、侮辱、罵倒、辱め、そして連れ去られる想い人の悲痛な叫び。


 彼はそれらを見る度に、強い怒りと憎しみと悔しさで、何度も何度も涙を流す。

 そして同時に、同じ数だけ笑っていた。

 彼は、心の底から安堵したのである。

 自分は悟ってなどいないと。

 この感情は枯れることなどないのだと。

 それを証明することが出来たと、そう思って。

 そして、彼は再び悪魔たちを呼び出し、力の研鑽に勤しみ始めた。



 五千年目~九千年目。

 半分の五千年が過ぎても、彼は特に何も思わなかった。

 そして、ただひたすらに己を磨き続ける。

 ただ、当然ながらどうしても心が折れそうになることが何度もあり、彼はその度に過去視をしては憎悪を蘇らせ、再び鍛え続けるというローテーションで前に進んだ。


 彼はそれを良い方法を見つけたと喜んでいたが、その思考自体が既に壊れており、まさしく自身が狂っていないと思い込んでいる異常者のそれであった。

 親交の深い悪魔たちはそれに気づきつつも、さすがに彼を哀れに思ったのか、召喚されればそれに気づかないふりをして、極めて優しく彼に接していた。


 また、八千年を過ぎた頃、彼は自身の時間感覚が急速に早まっていることに気づいた。

 少し横になって五分ほどぼーっとしていただけのつもりが、身体を起こした時にルシファーから"五十年経った"と告げられた時、彼は愕然とする。

 そして、このままではまずいと彼は感じた。

 現実世界への帰還まで残り二千年を切り、今の感覚のまま戻れば大変なことになる。

 彼はそう思い、必死に時間感覚を戻す作業を始めた。


 その際、彼は悪魔たちがどう感じているのかが気になり、ルシファーを含めた何人かを呼んで話を聞いてみたのだが、彼らは一万年どころか、もういつから存在しているのかすら分からないらしく、時間感覚は今の彼と同じかそれ以上であった。

 何も参考にならなかったので、彼は大人しく自力で時間感覚を戻すことを決意する。



 九千年目から一万年目。

 約一千年をかけ、彼は時間感覚をなんとか取り戻すことに成功する。

 しかしその結果、今度は残りの一千年が彼を大いに苦しめた。


 長い。とにかく長い。

 九千年の時が今では一瞬に思え、遂にやることもなくなった彼は、その時間の牢獄の中でのたうち回る。

 たまに悪魔たちを呼び出し、様々な方法で暇を潰してみるが、それはもう既に通った道。

 長くは続かず、彼はとにかく必死に耐えるしかないと諦め、ただただ時間が過ぎるのを待ち続けた。


 ただ、彼が完全に狂わなかったのは、無論その尽きぬ憎悪も多分にあっただろうが、それ以上に間違いなく、ルシファーを始めとする悪魔たちとの触れ合いがあったからこそである。

 人はやはり一人では生きられないのだなと悟りながら、彼は虚無の空間で暗闇の空を見つめ続けた。



 そして、遂にその時がやってくる。



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「アストさん……あと、一分です」


「……ああ」


 一分……一分か。

 一分ね……一分……。


「ふふっ……一万年の最後の一分って、なんか笑えるな」


 そう呟くと、既に召喚していたルシファーが、なんだか申し訳なさそうな顔で俺のことを見た。


「……あの、アストさん。本当に……本当にごめんなさい。私がミスしたばっかりに……本当に悪いと思ってます。苦しませて……ごめんなさい」


 魔界の王は、そう言って頭を下げる。

 下げたまま、彼女は待っているのだろう……俺の言葉を。


「……心を読んでいいぞ。伝わるだろ……その方が」


「…………はい……では、失礼します……!」


 一万年間、ありがとうルシファー。

 これからもよろしくな。


「……ッ! はいっ……はいっ! こちらこそ……ぐすっ……よ、よろしくお願いしますっ……!」


「ああ……もう読むなよ」


「はいっ……!」


 彼女は泣きながら笑っていた。

 もういいさ。

 今……終わるんだから。


「アストさん、お疲れ様でした……一万年です」


 彼女がそう言った直後、突然ブツっと……俺の意識が途切れた。

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