大人びた君の目を見られない

 十五歳の、誕生日。


 照りつけるような日差しの中を歩き、電車に乗って到着した昼前の東京駅。

 構内は、夏休み特有の大きな荷物を持った旅行客たちの熱気と喧騒で溢れ返っている。


 行き交う人波の向こう側に、視線を漂わせていると。

 やがて――雑踏の中、周囲より頭ひとつ分抜きん出ている姿を見つけた。


 航だ。


 彼もこちらに気づき、微かにその目元を和らげる。


 あの街から、鈍行で四時間以上かけて来てくれた。

 小気味よい電子音を鳴らして改札を抜け、まっすぐに私の目の前までやってきた。


「…………」

「…………」


 一年ぶりの再会。

 お互いに言葉を探すような空白が落ちる。


 やがて、航が先に口を開いた。



「……誕生日、おめでとう」



 その響きに、心がじんわりと温められていく。


「……ありがとう」


 そして、また少しだけ、沈黙が降りる。


 たまらず、私は小さく口を開いた。


「実はね……一人で賭けてたの」


「……何を?」


「航が最初に言う言葉。『久しぶり』か『誕生日おめでとう』の、どっちかなって」


「……で、どうだったの」


「……勝った」


 航は少し照れくさそうに視線を外し、ふっと笑った。

 その緩んだ横顔を盗み見ただけで、今日が最高の一日になることがすでに確定してしまうのだった。


 ◇


 今日は、ここから数駅先にある遊園地へと向かう。

 乗り換えの案内板を見て「こっちだよ」と指差し、並んで歩き出した。


「ねえ。また背、伸びた?」


 彼を見上げる首の角度が、去年の夏よりもさらに急になっている気がする。


「うん。また五センチ以上伸びた」


「えっ」


 驚いた声を出すと、航はそっと見下ろしてきた。


「夏帆はあんま、変わってないな」


 意地悪でも、馬鹿にしているわけでもない。

 眩しいものを見るかのように細められた、優しげな瞳。


「……っ」


 それはなんだか、無防備に甘えたくなってしまうようなもので――。

 急に恥ずかしくなって、思わずフイッと下を向いてしまった。


 ◇


 遊園地の最寄駅に着いたものの、まずは腹ごしらえということで、お洒落なハワイアンテイストのハンバーガーショップに入った。


 窓際にある木のカウンター席を選び、椅子を引く。


 何気ない動きまで、ぎこちなくなっている気がする。

 航と食事をするのは初めてなので、緊張しているのだ。


「やっぱり東京は、人も車もすごいな」


 窓ガラスの向こうを見ながら、航が言う。


「あー、うん。騒がしいよね」


 なんとか冷静になろうと、お冷を飲んだ。


 やがて、可愛らしいバスケットに入れられたハンバーガーとポテトのセットが運ばれてきた。


 ハンバーガーというものは――口を大きく開けて食べ進める必要がある。

 それを航に見られないよう、横目で警戒しながら食べていたのに、不意に視線を感じた。

 観察されていたことに気づいてジロリと睨むと、小さく笑われた。


 いつ、どのタイミングで、あの時の『返事』を聞かされるのだろう。

 そんな緊張感を常に抱えつつも。


『見慣れた街に、今、航がいる』


 その事実がたまらなく感慨深くて、嬉しくて仕方なかった。


 ◇


 食後はすぐに、茹だるようなアスファルトの熱気の中、目的の遊園地へと向かった。


 到着して最初に選んだのは、フィニッシュで激しい水飛沫を浴びる急流滑りのようなジェットコースターだ。

 平日の昼間とはいえ、夏休みに入った学生たちでそこそこ混み合っている。


 列に並び始めると、航が口を開いた。


「来たことあるんでしょ? ここ」


「うん」


 少し歩くけれど塾から徒歩圏内なので、塾の子たちと息抜きとして何度か遊びに来たことがある。


「友達と?」


「そうだよ」


「…………」


 意味深な沈黙を落とされ、ハッとする。


 もしかして――『友達』の中に男子がいたかどうかを気にしている、とか。

 多少は察しが良くなった私は、そんなことを思った。


 実際は、女の子だけのグループだったけれど。

 はっきりと聞いてこない彼に、こちらから弁明するのもなんだか悔しくて、訂正せずに黙っておいた。


 その後、お互いの修学旅行の話になった。


 事前に「見せて」とお願いしていた、学校で購入した写真を見せ合う。

 彼が持ってきてくれたものの中には、悠也くんや去年の肝試しで見かけた地元の子たちが写っていた。


 そこに、葉月ちゃんは写っていなくて――密かに安堵する。


「これが、サッカー部で仲いい奴で……」


 航は、写真を指しながら教えてくれるけれど。


「…………」


 男の子らしい指先。

 Tシャツから漂う、洗剤の香り。


 それらのせいで、話はまったく頭に入ってこなかった。


 航は、私が二年坂を背景に撮った、何の変哲もない制服姿の写真を、じっと見つめていた。


 ◇


 三十分ほどが経ち、ようやく順番が来た。

 額や背中に、汗が滲んでいる。


 ワクワクしながら乗り込んだコースターが、頂上に辿り着いた。

 そして、急降下する。


「……キャーッ!」


 私のワンピースの、安全バーに押さえられていない部分が、風を含んで揺れる。


 少しでも大人っぽく見られたくて、紫の小花柄のものを選んだというのに。

 高い声を上げてバンザイし、子どものようにはしゃいでしまった。


 隣の航は相変わらず「おー」と落ち着いた反応だったけれど、そのトーンは僅かに弾んでいるように思えた。


 ラストの急降下とともに、盛大な水飛沫が上がる。

 思った以上に顔の全面に水を浴びてしまった。


「うわっ! 目に入ったー!」


 視界が良くないままケラケラと笑う私に対し、航は「冷たくてちょうどいいわ」などと涼しい声で言っている。


 到着口へ向けて、機体がカラカラと進む間。

 私は笑い続けながら、ショルダーバッグを手探りし、引っ張り出したタオルで目元を拭った。


 横を見ると、航も私につられて笑っていたけれど。

 視線がぶつかると、ふとその笑いを止め――静かに口を開いた。



「彼氏、できた?」



「…………はっ!?」


 唐突な質問に、思い切り不意を突かれる。


「……できてない」


「好きな人は?」


「……!?」


 他愛のない質問かのように、さらりと尋ねてくる。


 たまらず前を向いたけれど――。



「それは……わかるでしょ?」



 動揺のあまり、思わず本音をこぼしてしまった。


 コースターはガタン、と重い音を立て、発着場に停まった。

 スタッフから、陽気な「お疲れ様でしたー!」という声がかけられる。


 航は何事もなかったかのように、安全バーを持ち上げ、先に降りた。


 私は一体――何を言わされたのだろうか。


 顔が熱くなるのを感じながら、バッグを掴んで立ち上がろうとした、そのとき。

 目の前に、手のひらが差し出されていることに気がついた。


「…………」

「…………」


 迷いながらも、それに掴まる。

 ただ手を貸してくれただけかと思いきや――航はそのまま歩き出した。


 初めは、遠慮がちに包んでいるだけのような感じだった。

 けれど、人波の中で何かの拍子に離れてしまいたくなくて、私は少しだけ指に力を込めた。


 そうしたら航は、安心する力強さで、ぎゅっと握ってくれたのだった。

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