第3話

館山城(たてやまじょう)の主、安西景連(あんざい・かげつら)のもとへ、家臣が知らせを持ってきた。


結城合戦から落ち延びた里見義実(さとみ・よしざね)が、二人の家臣を連れて海を渡ってきたという。


景連はすぐに返事をせず、平館城(ひらだてじょう)から来ていた麻呂信時(まろ・のぶとき)へ尋ねた。


「里見義実が来たという。どう思う」


信時は、追い払えと答えた。


「里見は名のある源氏ですが、われらとは何の縁もありません。足利持氏(あしかが・もちうじ)に味方して京都と鎌倉を敵に回し、今は居場所を失った浪人です。会う必要などありません」


三年の籠城を生き抜いた若武者なら、味方にすれば役に立つ。だが義実は、京都の室町幕府と鎌倉を敵に回した家の生き残りでもある。


景連は首を傾けた。


「使い道がないとは限らぬ。三年も籠城した男だ。勇気と力を試し、使えるなら山下定包(やました・さだかね)を討つ軍の大将にする。使えないなら、この場で殺して後の災いを除けばよい」


信時は賛成した。


*


館山城の客間には、安西家の兵二十人と、麻呂家の兵十数人が物々しく並んだ。弓、槍、薙刀(なぎなた)を目立つように飾り、廊下の幕の陰には鎧を着た力士十人余りを隠した。


義実主従が少しでも怪しい動きを見せたら、一斉に飛び出して捕らえる手はずだった。


*


義実は城外で長く待たされた。


ようやく門を通され、一室進んだところで、裃(かみしも)を着た四人の男が立ちはだかった。


「ご案内いたします」


口ではそう言いながら、四人は弓へ矢をつがえた。弦がきしみ、四つの鏃(やじり)が義実の胸へ向く。


後ろにいた杉倉氏元(すぎくら・うじもと)と堀内貞行(ほりうち・さだゆき)が一歩進むと、廊下の左右からさらに六人が現れた。短い槍の穂先が、今度は二人へそろえられる。


先を行く男たちは後ろ向きに歩き、義実から矢をそらさない。主従三人は、いつ射かけられてもおかしくない形で客間へ送られた。それでも義実は歩調を変えなかった。


「ずいぶん物々しいもてなしだ。


三年の間、結城で敵の矢面に立ち、槍の下をくぐったことは数え切れない。三方を海に囲まれ、穏やかだと聞いた安房も、話とは違うらしい」


氏元と貞行も皮肉を言った。


「小さな敵も侮るなとは兵書にありますが、三人の客へ、鏃(やじり)の汁物と弓弦(ゆづる)の麺を出すとは珍しいごちそうです。ありがたく味わいましょう」


三人は武器に囲まれたまま、客間へ進んだ。義実は遠くの景連と信時を見ても、へりくだらなかった。客の席へ着き、腰に差していた扇を右へ置いて名乗った。


「結城の敗将、里見又太郎義実です。亡き父、里見季基(さとみ・すえもと)の遺言に従って敵の囲みを抜け、流浪の末に参りました。


安房の民として身を寄せられれば望外の幸せです。さらに、この国には今、義のために力を尽くすべき事情があると聞き、面会を願いました。


連れているのは、亡父の忠臣、杉倉木曽介氏元(すぎくら・きそのすけ・うじもと)と堀内蔵人貞行(ほりうち・くらんど・さだゆき)です」義実が振り返ると、二人も頭を下げた。


景連は、義実が予想以上に若いのを見て侮った。わずかに目を向けただけで、礼を返さなかった。信時は声を張り上げた。


「私は麻呂小五郎信時だ。今日は別の相談があって平館から来ただけだ。


それにしても口の達者な若造だな。お前は私にも安西殿にも縁がない。京都と鎌倉を敵にして居場所を失った者を置き、災いを招くつもりはない。会うだけ無駄だった」


義実は穏やかに笑った。


「あなたが名高い麻呂殿ですか」


義実は穏やかな声を崩さなかった。


「安房の旧家なら、勇気と知略に優れると思っていましたが、残念です」


信時の眉がつり上がる。


「父季基は、落城すると分かっていた結城城へ入り、義を守って死にました。私は敵を恐れて逃げたのでも、命を惜しんだのでもありません。父の遺言に従い、時を待とうとしているだけです」


義実は、客間に並ぶ武器へ目を向けた。


「お二人が管領の報復を恐れて私を置けないというなら、ここを去りましょう。ただし、一つだけ教えていただきたい」


「何だ」


「主従わずか三人を、なぜそこまで恐れるのです。兵に武器を持たせて案内させ、客間へ刃を並べ、幕の中へ力士を隠したのは、何のためですか」


信時は顔を赤くし、景連を見た。景連は白を切った。


「弓矢や刀は武士の身を守る物で、あなたを脅すためではない。だが、案内役に武器を持たせ、力士を隠したことを、私は少しも知らなかった。誰が勝手にそのようなことをしたのだ。すぐ退け」


家臣たちは逆らえず、槍や薙刀を屏風の後ろへ隠し、警備の部屋へ退いた。


企みを見破られた兵たちは、陰で汗をぬぐった。


信時はなおも義実を責めた。


「命を惜しまぬというなら、関東にはほかにも頼れる所があるはずだ。なぜ縁もない安西家へ来た。命惜しさに逃げてきたと、正直に言え」


氏元と貞行は耐えられず、そろって進み出た。


「ご自分の心を物差しにして人を測れば、見当違いも起こります」


氏元と貞行は、信時を正面から見返した。


「義実様は、敵に追われて偶然この国へ来たのではありません。昔、源頼朝(みなもとの・よりとも)公が石橋山で敗れて安房へ来たとき、麻呂家と安西家の祖先が真っ先に従いました」


二人は言葉を切らなかった。


「同じ源氏の義実様が、その吉例に従って安房へ来たのです。あまりに見下すのはおやめください」


信時は言い伏せられ、怒りで何も言えなくなった。義実はすぐ家臣を叱った。


「貞行、氏元、無礼を言うな。私に頼朝公と比べられるほどの徳があるものか」


だが景連は冷笑した。


「頼朝公には、関東の武士が昔の恩を思って従った。里見家は違う。領地も兵も失い、今は落人ではないか。


主が黙っているのに、家臣が何を議論する。考えを改めて私に仕えるなら取り立ててやろう。身のほどを知れ」氏元と貞行は、義実の意をくんで言い返さなかった。


義実は微笑した。


「安西殿のお言葉どおりかもしれません。ですが、この国へ来てから、民の悪評が絶えないと聞きました。


氏元と貞行は、不忠な家臣と肩を並べ、民の声を聞かない主君へ仕えることを望まないでしょう」景連の顔色が変わった。


「何をそしっている。民の噂とは何だ」


「まだご存じないのですか」


義実は景連と信時を見比べた。


「神余(じんよ)、安西、麻呂の三家は、古くから力を合わせて安房を守ってきました。それなのに神余家の家臣、山下定包が策略で主君を殺し、長狭(ながさ)と平(へぐり)の二郡を奪っています」


二人は黙っていた。


「お二人は神余家のために定包を討とうともせず、その下風に立っている。民が悪く言うのも当然ではありませんか」


義実は扇を取り上げた。


「私は、用いていただけるなら力を尽くそうと思って来ました。ところが出陣の支度も、軍議も見えない。定包を討たぬ、勇も義もない武士は頼れません」


席を立つ。


「これまでです。退出します」


義実が席を立とうとすると、景連が慌てて止めた。


「こちらの考えを話していないのだから、そう思われても仕方がない。もう少し座ってくれ」


信時が義実の右へ回り込み、刀の柄をつかんだ。


「今日ここへ来たのは軍議のためだ。策は秘密にするものだろう。初めて会った者へ軽々しく話せるか」


鯉口を切る音がした。


「われらに勇気があるか知りたいなら、まずこの刃に聞け」


氏元と貞行はすぐ義実の左右へ寄った。二人の視線が、信時と周囲の家臣の間を走る。麻呂家の家臣たちも立ち上がり、今にも飛びかかろうと身構えた。


景連は横から信時を抱き止め、その耳元へ何かを言い聞かせた。安西、麻呂双方の家臣にも手で合図し、次の部屋へ退かせる。


義実は扇の留め金を指で回しながら、その様子を眺めていた。刀へ手を伸ばそうともしない。


景連は元の席へ戻った。


「信時殿は戯れただけだ。心に留めるな」


景連は義実へ座るよう手で示した。


「何度も試したが、どうやら本物の武将らしい。わが軍へ加わって定包を討つなら、軍令に従ってもらう。手柄を立てれば恩賞も与えよう」


「指揮下へ入ることを断れば」


「自分の力だけで定包を滅ぼし、滝田城を取るがよい」


景連は義実の目を見据えた。


「従うか、去るか。決めて答えよ」


義実は、景連の条件が難しいものだと分かっていた。それでも断らなかった。


「つながれていない舟となった今、身を寄せる岸が主です。ここで用いていただけるなら、何を嫌うことがありましょう。ご命令ください」


景連はうなずいた。


「では、最初の務めだ。


安西家では出陣の前に軍神(ぐんじん)を祭り、供え物として大きな鯉を用いる。私のために鯉を釣って持ち帰れ。それは強敵を討ち、首を取ったことと同じだ」


「承知しました」


義実が立とうとすると、氏元と貞行が左右からその袖を引いた。


「お待ちください」


二人は義実の前へ進み、景連へ向き直った。


「釣りは漁師の仕事です。義実様にさせる役目ではありません。供え物が必要なら、われらの首をお使いください」


景連の目が細くなった。


「無礼者め。義実は承知した。それを家臣の身で妨げるか」


景連が膝を打つ。


「軍令に背く罪は重い。引き出して斬り捨てよ」


警護の武士が動いた。氏元と貞行はなお言い募ろうとしたが、義実が鋭い声で二人を叱った。遠くへ退かせ、自ら景連へ頭を下げた。


景連はようやく怒りを収めた。


「鯉を見るまでは、二人を義実へ預けよう。必ず自分の手で釣って来い。期限は三日だ。


むだに日を過ごせば、家臣二人だけでなく、お前も覚悟せよ」


義実は恭しく承知し、氏元と貞行を連れて城を出た。


*


別室から聞いていた信時は、その後ろ姿を冷笑して見送った。


「安西殿は手ぬるい。なぜ家臣たちまで生かして帰したのです。網に入った魚を逃がしたようなものではありませんか」


景連は笑った。


「義実も家臣二人も、軽々しく手を出せる相手ではない。ここで殺せば、こちらにも死人が出る。そのうえ、定包を討たずに恨みのない者を殺したと知れれば、民の悪評はいっそう激しくなる」


「では、なぜ鯉なのです」


「安房には鯉が一匹もいないからだ」


信時が目を見開いた。


「あの者たちは、それを知らぬ。三日をむだにして手ぶらで戻れば、軍法違反として斬れる。私怨とは言われまい」


信時は手を打って喜んだ。


「見事な策です。追い出して定包に仕えられれば、敵へ力を与える。こちらで用いれば、家を乗っ取られかねない。城の外へ置き、罪を作って殺すのが最善です」


*


そのころ、義実主従は白浜(しらはま)の宿へ向かっていた。道は遠く、着かないうちに日が暮れた。


翌朝近く、ようやく宿へ戻った義実は、眠りもせず釣りの支度を始めた。氏元と貞行は喜ばなかった。


「まだお分かりになりませんか。信時は力任せの男、景連は人の才能をねたむ男です。われらを仇のように見ています」


二人は釣り具へ目を落とした。


「そんな者のために鯉を探して、何になるのです。早く上総へ行き、害を避けてください」


義実は首を振った。


「麻呂と安西が定包を恐れていることは分かっている」


義実は釣り針を手に取った。


「だが、ここを避けて上総へ行き、そこも同じなら、次はどこへ行く」


「それでも、釣りとは」


「太公望(たいこうぼう)は世に知られぬころ、水辺で釣りをして時を待った。今の私が嫌う理由はない」


義実は針先を確かめた。


「それに、龍門(りゅうもん)の滝を登った鯉は龍へ変わるという。私は三浦で龍の尾を見て、白浜へ来ると鯉を釣れと言われた。二つの兆しがつながっているようではないか」


「本当に鯉が得られたなら」


「持ち帰り、景連がどうするか見届ける」


氏元と貞行は視線を交わし、黙って釣り具を取った。三人は釣り針と竿を整え、弁当を腰に付け、名も知らぬ淵を探しに出た。


森の烏が枝を離れ、空は少しずつ明るくなっていった。

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