東京湾に沈められた詐欺師が、貨幣経済の存在しない異世界で紙幣一枚を武器に成り上がる――着想の初速がとにかく速い一作です。
「挙証責任」「諾成契約」といった現代の法概念、そして紙幣そのものの技術的価値(深凹版印刷・ホログラム)を武器に、異世界の商人を出し抜いていく手際は、読んでいて素直に面白いです。
一方、物語の中の「理屈」の部分では引っかかった点がいくつかあります。
①紙幣を渡して価値を認めさせた場面について。今回主人公が成功させたのは、正確には「貨幣システムへの信用」の獲得ではなく、「紙幣を精巧な工芸品として認めさせた」ことです。信用経済とは、紙そのものに価値があるのではなく、それを誰もが等しく受け取ってくれるという社会的な合意にこそ価値が宿るものです。
トカゲの商人が最終的に納得した理由も、ホログラムやすき入れといった「工芸品としての希少性」であって、「日本円という通貨システムへの信頼」ではありません。
この違いを踏まえると、この後の展開でとても面白いことができる余地があると思います。同じ一万円札を二人目、三人目に渡した瞬間、「さっきの奴と同じ絵柄だ、量産品じゃないか」と気づかれて価値が暴落する、というリスクも本来はあるはずで、そこも今後の展開の火種になり得ます。
②「挙証責任」の適用の仕方について。トカゲ商人が「この紙は金じゃない、偽造罪だ」と疑いをかけた場面で、主人公は「疑いをかけた側に証明義務がある」というロジックで押し切ります。しかしこれは本来、刑事訴訟における「疑わしきは罰せず」の原則であり、商取引の現場で未知の通貨の真贋を証明する責任とは文脈が違います。むしろ実務的には、見慣れない通貨を持ち込んだ側(主人公)が、その価値を証明する立場にあるのが自然です。つまりこのロジックは、詐欺師の詭弁として意図的に描かれているなら筋が通りますが、地の文とシンの解説が「これが正しい理屈だ」という体で押し通しているため、読者はこれを妥当な法理論として受け取り、誤解が生じてしまうリスクがあると感じました。
ただこれは表と裏があって、歴史を振り返れば、複式簿記や為替手形といった金融技術は、個々の商人の抜け駆け的な工夫が積み重なって、少しずつ信用経済へと育っていきました。この作品も、個々の”詐術”の積み重ねが、気づけば市場の構造そのものを変えていた――というところまで踏み込めたら、単なる無双劇を超えた凄みが出ると思います。
技法面でも、いくつか気になった箇所があります。
トカゲの商人を言い負かす場面、
「貴様は先ほど、20ケルン以上はビタ一文として高く買うことを拒絶した。その宣言をした時点で、貴様はこの商談のテーブルから自主的に退場したんだよ」
上記の論理展開は、やや読みにくく感じました。ここは相手自身の台詞をそのまま引用して
「貴様はこう言った。『20ケルンだ。ビタ一文負からねえ』とな。つまり、お前は今回、この魔石を”買わない”と宣言したんだよ。取引から降りたんだ」
とする方が、詐欺師が相手の言質を証拠として突きつける構図が際立ち、キャラクター性とも噛み合うと思います。
また、トカゲの威圧感に対して主人公が「正直に言えば、俺だってこのトカゲは恐ろしい」と一度感情を認めた直後に、「五臓六腑を揺さぶるような脅迫。だが、俺の心にさざ波すら立たない」と、感情が全く動じなかったとも書かれていて、内的な状態の記述がやや矛盾して見えます。
この主人公に本当に似合う胆力は、「怖いけど我慢する」でも「そもそも怖くない」でもなく、感情を挟まずリスクを客観的に見積もる冷静さではないでしょうか。
「巨躯の膂力なら、素手の人間では抗う術がない――それが冷静な見積もりだった」のように、感情語を使わず力量差の計算として描く方が、このキャラクターの持ち味がクリアに立ち上がる気がします。
契約成立の場面、「俺は、極上のハイエナのような笑みを浮かべて振り返った」という地の文の主観形容も、やや直接的すぎる印象を受けました。
この場面はすでに周囲の耳目を集めやすい状況(トカゲの怒声、涙を溜めた少女)が整っているので、群衆のどよめきを一言挟むだけで、主人公の不敵さを間接的に、かつ説得力を持って描けると思います。
またトカゲが最後に漏らす「あちゃあ……」という敗北の合図も、少し勢いを削いでいるように感じました。
ここは逆上したトカゲが主人公に掴みかかろうとした瞬間にシンを起動させ、「魔法」の出現に相手が怯む――という一連の動作の中で決着させると、言葉の力(交渉)で一度制し、物理の力にも技術力で応える、という主人公の手札の多層性を一場面で見せられて、格好良さの説得力が増すはずです。
あらすじや作風からすると「ざまぁ」系のピカレスクロマンとして走る可能性が高そうですが、個人的には、詐術と経済理論の両輪で読ませる方向――たとえるなら「ウシジマくん」より「ギャラリーフェイク」寄りの路線――も見てみたいと思わせる、伸びしろのある一作でした。まだプロト版とのことなので、正式連載でどちらに転ぶか、楽しみにしています。