石見銀山の歴史物語。ともに若い坑夫の男と灰吹きの女の生涯が、突き放した視点から淡々と語られる。一言で言えば凄惨である。坑夫は単に落盤や出水の危険に身を晒すだけでなく、岩盤の熱破壊に伴う有毒ガス、粉塵の吸引、酸欠、きつい労働などが命を徐々に削っていく。一方の灰吹きも同様である。銀鉱石の精錬は鉱石を破砕し焙焼するが、その際に硫化水素や砒素などの毒を吸引することは免れられない。高温の炉の光は目を灼き、視力を少しずつ奪っていく。だが彼らは他に生きる地もなく、父を奪った鉱山や命を縮める銀吹屋で働くしかない。自分たちの運命は百も承知。それでもここで生きると覚悟が決まっている。その生き様は淡々として凄まじい。
やがて銀山は役割を終える。年老いた二人は山を降り、まもなく亡くなる。多くの命が或いは短い、或いは苦しみの生を閉じた。だが掘り出された銀はこの世のどこかを今も回っている。物語の終わり、一人の女性が銀山跡を訪い、人々の営みに頭を下げる。果たして現代の我々の感謝だけで彼らの苦しみを贖えるのかよくわからないが、彼らには彼らの生があり、そこには誰にも否定できない生き様があった。その人生への敬意を表して頭が下がるのは、自然なことなのだろう。