第26話 あたしを、助けて/お安い御用だ。

 リーゼはゆっくりと顔を上げた。本音薬を飲む前のような、感情の死んだ冷たい表情に戻っている。


「……あたしに、何をした」


「リーゼ、取引しないか」


 私は努めて冷静に言った。


 彼女の瞳が一瞬、鋭く細められる。


「なぜ、あたしの名前を知っている……!? あたしはなにも言ってないぞ。ってか、あたしはリーゼじゃない!!」


「いや、お前はリーゼだ。もうここにいる全員が知っている」


 私の言葉に、セレネアとリルフィアが小さく頷く。リーゼは悔しそうに唇を噛んだ。


「……名前を知っているからなんだ!! あたしはなにも喋らない!!」


「単刀直入に聞く。お前はカースローゼンという組織に、家族を人質に取られているな」


「……!?」


 リーゼの表情が、露骨に強張った。否定の言葉が出てこない。


「話さなくていい。もう、ほとんど把握している。安心しろ。ここにいる誰も、お前とお前の家族に手を出すつもりはない」


「信じるか、そんなこと……! そこの聖女は悪魔の使いだ! 民衆を惑わし、国を腐らせる存在だ!!」


 リーゼがセレネアを睨みつけながら吐き捨てる。


「カースローゼンでは、そう教わったのか?」


 リーゼは答えなかった。ただ、敵視するような眼差しを向けてくるだけだ。


 私は一歩前に出て、はっきりと言った。


「私が保証する。この聖女セレネアは清廉潔白で、誰よりも人々の幸せを願っている。私は彼女に救われた。だからこそ、ここまで強くなれたんだ」


 隣で、セレネアがわずかに頰を赤らめるのが見えた。


「お前も、お前の家族も、全員私たちが助ける」


 私ははっきりと言った。


 リーゼは吊り上げた瞳で、じっとこちらを見つめてくる。


「……できるの? あんたに、カースローゼンを敵に回すことが」


「私はこう見えて、普通の人間よりは強い。それに、頼もしい仲間もいる。だから、私たちを頼ってみろ」


 リーゼはまだ完全には信じ切れていない様子だった。そのとき、隣からセレネアの声がした。


「わたしからもお願いします。貴女の苦しみを完全に分かることはできませんが……分け合うことはできます」


 私はセレネアの顔を見なかった。それでも、その声の真摯さは十分に伝わってきたのだろう。リーゼの表情が、わずかに揺らいだ。


 長い沈黙のあと、彼女は低く、しかしはっきりとした声で言った。


「……あたしを裏切るようなことがあれば、または裏切るとわかった段階で、そこの聖女を殺す。その条件の上でなら、あんた達の計画に乗っていい」


 そう言い切ったリーゼは、次の言葉を少しだけためらうように口を開いた。


「……あたしを、助けて」


 その声には、これまでの冷たい仮面の下に隠していた、本物の懇願が混じっていた。


 私は短く息を吐き、真っ直ぐに彼女を見て答えた。


「お安い御用だ」


 取引が成立した空気の中、私はリーゼの正面に立ったまま、改めて口を開いた。


「では聞く。お前の家族は今、どこにいる」


 リーゼは縄で縛られたまま、少しの間沈黙した。やがて、諦めたような吐息を漏らす。


「……教団の『下層収容所』ってところ。表向きは倉庫になってる建物の地下。場所は、この街から東に半日くらい行った山間部。正確な場所は、あたしが案内しないと分かんないと思う」


「監視は?」


「常に二人はいる。交代制。ただ、下っ端しか配置されてない。大事な人質ってほど、厳重じゃない」


 リーゼはそこで一度言葉を切り、私を見上げた。


「……本気で助けるつもりなんだ、あんた」


「本気だ」


 短く答えると、彼女は苦く笑った。


「バカみたい。カースローゼンを敵に回すなんて。普通はそんなこと、しない」


「普通じゃないから、こうしてる」


 私の言葉に、リーゼは何も返さなかった。ただ、縄で縛られた指をわずかに動かしている。


「他に知っていることはあるか。教団の上層部や、次の計画とか」


「上層部の名前はほとんど知らされなかった。あたしみたいな末端は、命令を聞くだけ。ただ……」


 彼女は視線を伏せた。


「最近、『器』の話をよくしてた。魔王を降ろすための器を探してる、って。聖女を消すのも、その邪魔になるからだって聞いた」


「器、か」


 ライゼンから聞いた話と一致する。やはり、先日の教会襲撃もこの流れの中にあったのだ。


 私は一度、セレネアとリルフィアの方を見た。二人とも真剣な表情で聞いていた。


「……とりあえず、今はこれでいい。家族の件は、必ず助ける。ただし、嘘をついたり、途中で裏切ったりしたらその限りじゃない」


 リーゼはゆっくりと顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。


「わかってる。あたしだって、もう後がないんだから」


 その目には、本気の色が宿っていた。


 ◇◇◇◆


 リーゼを別の部屋に移し、リルフィアに監視を頼んだあと、私とセレネアは静かな居間に残された。


 ランプの灯りだけが部屋を照らしている。少し前までの緊迫した空気が、急速に落ち着いていくのがわかった。


 セレネアは窓の近くに立ち、外の闇を見つめていた。その横顔はいつものように穏やかだったが、どこか沈んでいるようにも見えた。


「……セレネア」


 呼びかけると、彼女はゆっくりとこちらを振り返った。


「エル。さっきの、少し怖かったです」


 予想していた言葉だった。私は小さく息を吐く。


「ああ。ああいう言い方をしてしまったな」


「いいえ。必要なことだったのだと思います。ただ……」


 セレネアは視線を少し伏せた。


「エルがあんなに冷たい目をするのを、初めて見た気がして。少しだけ、胸が痛みました」


 その言葉が、意外なほど深く胸に刺さった。


 私は自分でも気づかないうちに、セレネアの前では自分を抑えていたのかもしれない。彼女を守るために強くあろうとする一方で、彼女に怖いと思われたくないという気持ちも、確かにあった。


「……ごめん」


 短く謝ると、セレネアは小さく首を横に振った。


「謝らないでください。エルは、わたしを守ろうとしてくれているんですもの」


 彼女はゆっくりと近づいてきて、私の手をそっと握った。温かい。


「でも、一人で全部を抱え込まないでくださいね。わたしはエルの味方です。どんな姿でも、嫌いにはなりませんから」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。


 私は彼女の手を、そっと握り返した。


「……ああ。わかった」


 セレネアは少し安心したように微笑むと、そのまま私の手を離さなかった。


 夜の静けさの中で、ただそれだけの時間が、不思議なくらい長く感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る