第2ゲーム

幕間

「だからさ、結局社会保障スコアっていうのは、社会にどれだけ迎合しているか、っていう指標なわけ。社会にとってどれだけ都合が良い人間かって話なのよ。それってつまり、社会保障スコアが低いことがクズとか底辺ってことじゃないんだよ。逆に言えばさ、社会保障スコアが低いことは、今のヤタ・ネットワークが求めているものとは違う能力を持っていたりすることの証明なわけ。それってさ、多様性だよね、ダイバーシティ。そういうのがもっと評価されるようになれば、むしろ今スコアが低い人が、今後社会で有利な立場になっていったりすることも考えられるわけよ。だから俺は、今の俺を肯定してるよ。世間的にクズって言われても、他人を見下すお前らが、じゃあ、どれほどお偉いんですか、って話じゃない?」


 部屋の中で、男を映すカメラと、そのカメラが接続されている先のコンピュータは、他の家具に不釣り合いなほど高級品だった。

 コンピュータのスクリーンには、男の身振り手振りに合わせて同じように動く、悪魔と美男子を足して二で割ったような──正確には美男子の要素を少し多く残したようなキャラクターが映っている。見ればその背景も、立派な本棚ではなく、いかにも『魔王の城』というか、いわゆるパンデモニウムといったようなバーチャル空間だった。


「ん? ──そうそう、コツコツ頑張って社会保障スコアを貯めた方が良いって人もいるよな。いや正論だと思うよそれは。でも、それでマトモな生活ができるようになるのにどれくらい掛かるんだって話じゃない? もう既にマトモな生活ができてるとか、恵まれた生活をできてる奴が、『コツコツやるしかないんだ』って言うんだよ。そりゃ、お前はたまたまそれができたから良いよ。でも結果論だろそれ、って俺は思うんだよね。お前が仮に今ド底辺で、他人に『コツコツやろうよ』って言われて、『確かに!』ってやる気が出るかって話。だからさ、結局、成功者なのよ、正論を言うのって。だから俺たちにできるのはさ、その正論が気に食わないなら、気に食わないから、何かで世間をあっと言わせることだけなんだよな」


 視聴者に見えているのはバーチャル空間だけのはずだが、そのカメラの画角に、本棚だけは律儀に収められている。そこに並んでいるのは古典哲学だったり、近代の思想家の本だったりして、如何にも博学そうな印象を受ける。

 だが、その画角の外には、整理されていないテーブル、椅子の上に脱ぎっぱなしになっている服、床には空のコンビニ弁当のごみが入って口を結んだビニール袋も落ちている。ごみ箱はとっくに一杯になって溢れてきていた。本棚以外の家具は、どれも少なくとも二度くらいは持ち主を変えたのではないかと思われるようなものばかりだ。


「あ、ごめんごめん。今日はこの後予定があってさ、一時間だけの配信のつもりだったのに、長くなっちゃった。いや皆からのコメントを読んでたらあっという間だったわ。また突発で何かやるかもしれないけど、そんときはよろしく。高評価とチャンネル登録もな! 怠惰を肯定しろ! 我が名は〈焉崎えんざきベルフェゴール〉!」


 いつもの口上を言って、〈焉崎ベルフェゴール〉こと縁堂えんどう秀優しゅうゆうは、マイクをオフにして、配信画面の設定を切り替えた。

 スクリーンには『配信終了』の文字が表示されている。既に自分がカメラで配信されていないことを確認して、縁堂は近くに置いてあった水を飲んだ。配信のときには常に準備してある。ずっと喋り続けるから必須なのだ。最初は味の付いたものを飲んでいたが、最近は結局水の方が声に影響がなくて良いと思っている。

 深呼吸をして、配信を閉じる。スマホの時間表示によれば、現在時刻は午後九時四十五分。普段ならこのままゲームでもやって日付が変わったら寝るところだが、今日は客が来る予定がある。部屋の中を少し片付けなければなるまい。予定時間まではあと十五分しかない。

 小さなゴミ袋をまとめるための大きなゴミ袋を取り出して、その中に部屋中の要らないものを手当たり次第に搔き入れながら、縁堂は珍しく緊張していた。


 縁堂秀優は、〈焉崎ベルフェゴール〉という名前と悪魔モチーフのアバターで活動する配信者──本人の言い方で言えばインフルエンサーである。聞いていても耳障りでない程度の声と、マシンガントークや声の抑揚のつけ方、そして何より社会保障スコアが低いことを全肯定する情報発信が一部の層に受けている。

 そうしてそこそこ人気があるバーチャル配信者である彼のもとには、時々、企業などから『案件』が来ることがある。例えば『社会保障スコアを高められる短期プログラム』だったり、『栄養価が高いので不摂生が続いていても健康を保てるお菓子』だったり、様々あり、自分のキャラクターに合っていると思うものを受けたり、受けなかったりしている。

 今日ここに来るのもそうしたクライアントだろうと縁堂は考えていた。数日前にSNSのDMに、『ぜひお願いしたいことがある』という旨のメッセージが届き、そのお願いしたいこととやらの詳細を、これからここで聞くのだ。

 縁堂の経験上、わざわざ人の家にまで来て話をしようというクライアントは多くない。今なら通話だけとか、そうでなくてもビデオ通話とかでやり取りを済ませてしまうことがほとんどだ。だからこそ、リアルの自分を映すとき、その画角の範囲だけは印象が良いようにしてある。〈焉崎ベルフェゴール〉は知的な悪魔だ。だからアバターの幻想が取り払われても、知的な印象を与え続けられる必要があると、縁堂は考えていた。

 しかし今回は実際に家に来るというのだから、ちゃんと片付けなければいけない。

 加えて、それだけ手間を掛けてくるということは、大口案件の可能性もあるのだ。


 ──ピンポン


 と、マンションの入口に客人が来てこの部屋の部屋番号を入力したことを示すチャイムが鳴った。

 この年季の入ったマンションには特に入口の来訪者を目視できるようなカメラはないので、通話だけで相手を確認しなければならない。


「はい」

「夜分に失礼いたします。メッセージでご連絡差し上げました──」

「あ、はい。どうぞ」と言いながら、縁堂は手元のボタンで入口の施錠を解除した。


 少し待つと、今度は自室の前でチャイムが鳴らされた。

 機械越しではなく、急いで直接出向ける。

 扉を開けると、そこにはスーツ姿の女の人が立っていた。


   ・・・


 スーツの女性を部屋の中に入れて、低いテーブルの近くに座らせ、日中に買っておいた適当なお茶を出す。椅子は自分のデスクのものしかなく、客人を、しかも恐らくは上質なクライアントを、その上さらに女性を地面に座らせるのはどうかと思ったが、仕事用のデスクの前に他人を座らせる嫌悪感の方が上回った。

 それでも自分も椅子に座ることはせず、客人と向かい合うように秀優は床に座った。すぐに目の前のスーツの女性は内ポケットから名刺入れを出し、それを秀優から見えるようにテーブルにおいた。


「初めまして。ひいらぎ雪音ゆきねです。今日は、お時間をいただきありがとうございます」

「いえ。あ、あの、すみません、俺名刺ってなくて」

「ご心配には及びません。〈焉崎ベルフェゴール〉様──いえ、縁堂秀優様」


 まだ自己紹介もしていないのに自分の本名を口にされたことに、秀優は多少なりとも驚いた。ここまでのやり取りは、住所は確かに伝えたが、すべて〈焉崎ベルフェゴール〉の名前でやり取りをしていたからだ。


「あの、どうして俺の名前を──?」

「わたくし、ヤタ・ネットワーク管理部の者です」

 そう言って、柊はテーブルに置いたばかりの名刺の、自分の名前の上を軽く示した。確かに、そこには『ヤタ・ネットワーク管理部』と書いてある。

「ヤタ・ネットワーク管理部ってことは──」

「はい、言い換えれば、今の日本国内のネットの情報のすべてを管理しているということになります。失礼ですが、秀優様──」

「あ、焉崎って呼んでくれますか。その方が慣れてるんで」

「失礼いたしました。焉崎様は、ヤタ・ネットワークについてはどの程度ご存知ですか?」


 焉崎ベルフェゴールこと縁堂秀優は、自分が知っている限りの知識を引っ張り出してその質問にたどたどしくも答えた。

 十年ほど前、人工知能の発展の末、シンギュラリティの後に、YATAと呼ばれる人工知能が日本に生まれたこと。

 その人工知能の技術が既存のネットワークのあらゆる場所に用いられるようになり、ネットワークのすべてがYATAの管理下となったことでヤタ・ネットワークと呼ばれるようになったこと。

 ヤタ・ネットワークでは、社会保障スコアが用いられていること。社会保障スコアの算出方法は極秘とされているが、社会貢献したり、一般的に良い社会的地位を得たりすることで高まるとされていること。


 一度社会保障スコアが低くなると、そこから抜け出すのが困難であること。


「──ってとこです、俺が知ってるのは」

「では、ヤタ・ネットワークがどのように維持されているかはご存知ですか?」

「え? いやまぁ、結局は人工知能なんですし、やっぱり、大量のデータによって維持されてるってことなんじゃないですか?」

「そのデータがどこから得られているかはご存知ですか?」

「俺たちの、普段の社会生活でしょ。そういうデータを提供することに同意すれば、最低限の暮らしは保証されるようになってるし。あと、災害訓練とか、そういうのもたまにありますよね。それに参加するとスコアが上がるって聞いたことがあります」

「仰る通りです。しかし、それだけでは足りないのです」

「足りない?」

「外れ値の学習データが必要なのです。普通に暮らしている人間からは得られない、外れ値──これがあれば、イレギュラーさえも予測できるようになります」

「そういうものですか。それで?」

「その外れ値の学習データを得る場所、これが〈バックドア・ゲーム〉です」

「──何ですかそれ?」

「選りすぐりのプレイヤーを集めて、ゲームをしていただきます。その勝者の社会保障スコアは、飛躍的に増加します」

「ひ、飛躍的に増加って、例えば──?」

「具体的な数値は申し上げられません。ただ、例えば一切の信用情報がなく、どこからも借金ができなかったという方が、かつていらっしゃいました。その方はこの〈バックドア・ゲーム〉に参加し、勝者となることで、無担保かつ無利子で五千万円を借り入れることができるようになりました」

「ご、ごせんまん……」

「その方はそれを元手に起業し、今はその社会保障スコアをさらに高めています。その会社名を言えば、きっと焉崎様もご存知のはずですよ」

「それで、まさか、俺に用ってのは──」


 頭が痺れる。

 視界が狭くなる。小さくなる。

 目の前の黒いスーツの女の人以外、すべてがぼやけるようだった。

 小柄な、行儀良く正座で座っているその女性の形に、自分の部屋の一空間が切り抜かれたような。

 枠の中にひとつだけあるジグソーパズルのピースだけをじっと見つめているような。

 涙が出そうになる。

 目が乾いたからだ。

 瞬きを忘れていたからだ。


「──はい。〈焉崎ベルフェゴール〉様に、この〈バックドア・ゲーム〉にご参加いただきたいのです」


〈焉崎ベルフェゴール〉は、ふたつ返事でこれを快諾した。

 彼が快諾した後で、スカウトマンである柊雪音は諸注意を──ゲームの参加資格は社会保障スコアが最低でもゼロでないこと、スカウトマンにスカウトされること、ゲームに負ければ社会保障スコアを失うこと、ゲームの内容やその他委細は決して他言してはいけないことなどを話し、改めて意志を確認したが、彼の気持ちは変わらなかった。


 一世一代のチャンスだ。

 世間をあっと言わせるチャンスが、ようやく自分に来たのだと思った。

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