終章:答え合わせの夜

書斎の重厚なドアがあき、一人の男が入ってきた。私が呼び出したのは、黒崎グループで長年勤務してきた、執事であった。


彼は私に気づくと、以前も見せたの完璧な一礼を見せた。


「探偵様、このような夜更けにどうなさいましたか。まだお調べのことが?」


「ええ、執事さん。すべての答えが出ました。黒崎氏を死に追いやった犯人が、誰なのかがね」


私が静かに告げると、執事は微かに眉を動かした。だが、その美しい立ち姿は崩れず、冷ややかな微笑すら浮かべてみせた。


「それは行幸。ですが、私にそれを報告されるということは、まさか私を疑っておいでですか? 警察にもお話しした通り、私には完璧なアリバイがあります。旦那様が即効性の毒で亡くなった午後五時直前、私は自分の自宅で、複数の友人たちと酒を飲んでいました。私に毒を飲ませることは不可能です」


「ええ、知っています。五時の直前、あなたはこの屋敷にいなかった。大富豪の口に無理やり毒を流し込むことは、物理的に誰にもできなかった。なぜなら――毒を自らの意志で口にしたのは、黒崎氏本人、被害者自身だったからです」


執事の笑みが、ぴたりと止まった。


「自殺……と仰るのですか?」


「ただの自殺ではありません。あなたが『四時半』に彼へ手渡した毒を、彼は自分の手で飲まざるを得なかった。言うなれば、他人による自殺といったところでしょうか。動機は……あなたが、かつて黒崎氏の強引な事業によって、対応が遅れ事故死し

たとある従業員の女性の息子だからだ。」


私は手帳を閉じ、一歩、彼へと歩み寄った。


「あなたの本当の苗字は、現在のものとは違う。早くに父親も亡くし、母親が死んだあと、あなたは近くの親戚に引き取られて苗字を変えた。そして素性を隠し、復讐のためにこの屋敷へ潜り込んだ。……違いますか?」


部屋を長い沈黙が支配した。


執事は動かない。彫刻のように硬直したまま、じっと私を睨みつけている。やがて、執事はフッと短く、諦めたような、どこか哀しい息を漏らした。


その瞳から執事としての仮面が外れ、一人の傷ついた人間の顔がのぞく。


「……さすがは探偵様だ。そこまで調べ上げられては、言い逃れも無意味ですね」

執事はゆっくりと視線を落とし、自らの白い手袋を見つめた。


「ええ、私がやりました。あの男に毒を握らせ、死を強制したのは私です。ですが、探偵様……あなたに私の気持ちが分かるでしょうか。私の母からすべてを奪い、死に追いやった張本人が、何も知らずに私を側に置いている。毎日へりくだり、茶を運

び、夕食を用意し、手足を揉む。」


執事の口調は、激昂するでもなく、淡々と、しかし変えようのない事実を語るように静かだった。


「本当は、屋敷に潜り込んだ初日から、いつか殺してやろう、いつあいつの喉元を掻き切ってやろうと、そればかりを考えていました。……だけど、あいつの近くで、あいつの働く姿を毎日見ているうちに、私は迷っていきました。あいつの今の仕事ぶりはあまりにも誠実で、周りの人間を思いやる本物のカリスマだった。それを見るたびに、私は思ってしまったんです。『あの男は、母を殺したあの頃の悪魔とは違うんじゃないか。今はもう、変わったんじゃないか』って。そう信じて、許してやってもい

いのではないかと感じ始めていました。」


執事はきつく目を閉じた。引き裂かれそうな憎しみのすべてを吐き出すように。


「しかし、事件の日の午後三時、あいつはついに私に愛を告白して来ました。だから、私は真相を教えてやったのです。自分の愛した人物が、過去の犠牲者の息子だと知ったあいつは、涙を流して私に謝罪を乞いました。そして、四時半に私が以前から準備していた毒を片手に部屋に入ったとき、デスクの引き出しから1枚の紙を取り出し、泣きながら差し出してきたのです。『すまない、せめてもの償いだ。私の全財産を、あなたの本当の苗字宛てに譲る遺書を書いた、これを受け取ってくれ』と。」


執事は大理石の灰皿を見つめ、寂しげに微笑んだ。


「母を奪った男からの遺産なんて、一銭だって要るものか。私はあいつの目の前で、その遺書をマッチで煽り、灰皿に投げ捨ててやりました。あいつが絶望のどん底で顔を歪めるのを見届けたあと、私は五時というタイムリミットをあいつに突きつけて屋敷を出た。あいつは、黒崎は私の母が味わった絶望を数十分間なぞった末に、自分で毒を煽った。……恨みを晴らすために、私はそうするしかなかったんです」


執事はそう言って、自らのすべてを諦めたように静かに微笑んだ。


執事――いや、大富豪が命を懸けて愛し、そしてすべてを狂わされたその男は、通報によって駆けつけた警察の手によって静かに連行されていった。


彼の罪名は、殺人ではなく「自殺教唆」。自らの手は一切汚さず、言葉と毒薬だけで大富豪の心を完璧にへし折り、死を選ばせた、冷酷で悲しい関節殺人であった。


パトカーの赤色灯が、夜の書斎を不気味に赤く染めては消えていく。


誰もいなくなった部屋で、私は大理石の灰皿に残された、あの黒い燃えカスを一人見つめていた。


もし、大富豪の過去の罪がなければ。


もし、執事が大富豪の誠実さに触れたとき、復讐を捨てて逃げ出すことができていれば。


そして何より、大富豪が彼に抱いたあの狂おしいほどの愛が、別の形で紡がれていれば、こんな凄惨な幕引きを迎えずに済んだのだろうか。


一代で巨万の富を築き上げたカリスマが、自ら毒を煽って迎えた静かな死。 それは他殺よりもなお残酷な、犯人の歪んだ憎しみと、被害者のあまりにも不器用な贖罪の果てに行き着いた、必然の終着駅だったのかもしれない。


「……やりきれないな。」


私はそう小さく呟くと、手帳をポケットに仕舞い込み、冷え切った書斎をあとにした。 背後で静かに閉まったドアの向こう、黒崎の大切にしていた格言の掛け軸がコトリと揺れた。


そこには、彼が今の事業ををはじめ、富を築き上げる拠り所とした、とある格言が刻まれていた。


――『真の富とは、築き上げた城の高さではなく、その足元にいる人々をどれほど深く慈しんだかである』


周りの人々を大切にせよ。それこそが成功のすべてだと、彼は晩年、本気で信じて生きていたのだろう。


だからこそ、自分の誠実な働きで過去の罪を贖えていると信じたかったのかもしれず、最後に愛した青年の絶望を知ったとき、彼は自身の格言に従うように、自分で毒をあおったのだろう。


私は外に出て、タバコに日をつけた。吐き出した白い煙は、冷たい夜風に吹かれて、あっという間に形を失って闇に溶けていく。


まるで、大富豪が最後に遺そうとしたあの遺書の灰のように。


私は消えかけたタバコを携帯灰皿に始末すると、一度も振り返ることなく、静まり返った屋敷をあとにするために歩き出した。

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とある富豪の死 ぽとり @lazy_kotatsu

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