第33話 樹の亜人
——巣山二日目
リゼアノートは壁の上から東の空を見上げていた。
日が顔を出し、山の向こうから光が差し込む。
木々の先端が照らされ、霧の色が白から薄金へと変わった。
「ぴよぴよ」
弱く燃える焚き火のそばで眠っているギィロの頭をつつく。
ギィロはすぐに目を開けた。
「朝」
短く告げるとギィロは黙って起き上がる。
目を覚ますようにゆっくりと体を動かし始め、渡された保存食にかじりついた。
山に夜入ることはできない。
出来るだけ広く探索を行うには、早朝から出発する必要があった。
「長く歩く、慎重に行くぞ」
私たちはほとんど準備してあった荷をまとめ、砦の西側へと足を運んだ。
村から砦までは板が敷かれた申し訳程度の道があったが、その先はほとんど道と呼べるものがない。
あっても古く、いつのものなのかわからない年代物で、何となくだ。
足場の悪い岩場を選んだりしなければ起伏はそれほどではない。
それでもほぼ人の通らない山だ、短い草と湿った落ち葉は足を置くたびに柔らかく沈む。
根を張った木が地面を盛り上げ、ところどころ岩が突き出している。
風がなく、ただ冷たく爽やかな空気が鼻をかすめる。
足元に薄い霧が漂い、どこからか水の流れる音がする。
警戒しつつ歩いていたが山は穏やかだった。
いくら歩いても、ずっと。
「ふんふんふーん、ふふんふんふーん」
やがて暇になり、鼻歌を歌う余裕まで出てくる。
軽い調子の旋律が、霧と共にふわりと広がった。
「この辺は何もいないね?」
「昨日が嘘みたいだな」
短く言葉を交わした。
気を引き締めて出発したのがバカらしくなるほど何とも遭遇しなかった。
どれだけ行こうと木、草花、岩、空だった。
「真面目に探せ」
何のために歩いてるのか忘れてしまいそうになった頃、空を仰いでいるのを見られて言われた。
「探してるよ」
"集中してます"といった素振りで地面を見つめる。
少し歩いたところでしゃがみ込み、草の根元をかき分けた。
「ほら、玉水」
つまみ上げ、光に透かして見せる。
ちゃんと探してる事を証明するために、かろうじて見つけた救いの実だ。
「そんなんじゃなくて……」
玉水は水分補給に適した透き通った実だ。
口に運ぶと清涼感に溢れた。
そんな私をギィロは呆れたように見て、小さく息を吐いた。
私たちはまた歩き出す。
草や石を踏みしめる音、時折差し伸べられる手、霧に消えていく白い吐息、落ち葉に吸い込まれていく歌声。
それ以外、何もない。
ふっと花の香りがした気がして、私は記憶をくすぐられた。
「そういえば、あの子は何なんだろうね?」
「着てるものも気配も普通じゃない……亜人」
ギィロは前を見たまま答え、少し考えてから言葉をつないだ。
「亜人?」
「人間じゃないとして、人型で言葉を話すなら、そうなるんじゃないか?」
「山の亜人?」
「山っていっても元は樹だから、樹の亜人とか?」
「そんなの聞いたことないよ」
「俺も、自分で言ってて信じられない」
キノコを除き、植物のケモノ化はあまりない。
草や花が動物系のケモノに寄生している形が一番多く、代表的な動く木であるトゥリークでさえ珍しい。
亜人ともなれば奇跡に近い。
「でも、もしそうなら手を取り合えるかも?」
亜人は人と暮らせる。
多くの亜人がミケウには居る。
私は個人的に亜人とは仲良くしたいのだ。
淡い期待が胸を包む。
「……どうだろうな、信じられるか?」
ギィロは信用できなさそうに首を振った。
「ふんふんふぅーん」
沈黙と思案が二人を包む中、鼻歌が戻る。
「……私じゃないよ?」
足を止め、前方に目を凝らした。
「そこだ」とギィロが指さす岩の上に小さな影がある。
花の少女が、居る。
少女は上半身を横にふらふらさせながら、鼻歌を真似していた。
振り向き、私たちの視線を浴びている事に気づく。
「あ、見つかっちゃった」
と手を振ってくる。
「……なにしてる」
「お手伝い、だよ?」
ギィロの問いに少女が胸を張り答える。
だがすぐに注目は少女の後方へと流れる。
少女の後ろから、牙を剥いた随子がヌッと姿を現した。
丸呑みできそうな大きな口と牙が少女に迫る!
「こっち!」
息を呑む間もなく反射的に剣に手をかけ前方に駆けていた。
少女を逃がすためと、なんとか随子の注意を引こうと声を上げた。
けど遠すぎた。
間に合わないと思ったその時、随子へと振り返っていた少女は手をかざした。
「しつこい」
かざした手を嗅ぐような仕草をした鼻を、少女はペシッと叩く。
随子は背を向けて山の奥へ消えていった。
「うそ……」
「なんだ……」
私は目の前で起きた光景に目を丸くし、少女に向けて伸ばした腕は固まった。
ギィロも似たようなものだ。
花の少女は何でもないことだったというように、ぴょんと岩から飛び降りる。
「探してるんでしょ?歩きやすくしてあげてたんだよ」
得意そうに笑う。
私は少女の目の前まで歩み寄り、一度その後方を確かめてから膝をついて問いかける。
「もしかして、随子を追い払えるの?」
そうとしか見えなかった。
随子という単語は通じなかったため、山のケモノと言い換えて伝え直した。
「うんそうだよ、リゼは違うんだよ〜って教えてあげるの。嬉しい?」
「すごいよ!ねぇギィロ!?」
あまりの有用な力に驚愕した。
この子の力は必要だ。
私は少女の両手を取りギィロに同意を求めた。
「何者なんだ、なんでつきまとう」
冷静な目線で少女を見ていたギィロは、問いには答えず疑問を口にした。
私はそんな言い方ないと思って不満気な顔を向けた。
「つきまとってない、よ〜」
花の少女はぷんとする。
私だってぷんだ。
「仲良くなりたいだけ」
そう言いながら身を寄せてくる。
人懐っこくてかわいいと思えてきた。
ギィロは私の腕に抱かれる少女の様子を見て、ため息をひとつついた。
・
私たちは少女を質問攻めにした。
少女は最近、寂しくて山から産まれたのだという。
その意味は不明だったが、食われ再生されたのではない。
つまり通常の随子とは異なる誕生の仕方をしていた。
名は無い。
亜人かどうかは自分ではわからない。
私のことはいい香りがするから好きになったという。
随子が私に近寄ってくるのも理由はほとんど同じで、まるで返り実を食べた者のように感じるのだと。
街で人を襲っていたのは、抗えぬ山の意志ということだ。
"仲良しになりたい"と、繰り返し言った。
質問攻めが一段落して、探索も折り返しと判断したその帰り道。
花の少女の持つ随子を除けるという力は本物だった。
現れる随子は少女を見ると立ち去り、立ち去らぬ者は小突けば去っていった。
少女は足取りも悪くない。
これなら明日からも探索が捗る。
私たちは少女の名前を考えながら歩いた。
「樹の子どもならキノコでいい」
「え、ひどくない……」
ギィロのセンスのなさに顔が引きつる。
とはいえ自分も特に気の利いた名前なんて思いつきはしなかった。
「それだとひどすぎるから、キノちゃんはどう?」
「いいよ!えへへ」
安直ではあるけど、喜んでくれたのなら良いだろう。
「リゼぇ、手ぇ繋いで?」
「うん、いいよ〜」
愛らしさと人懐っこさが内包された小さな手で掴まれると、私は心まで掴まれてしまう。
「リゼ、さっきの歌教えて」
ゆっくり旋律を歌い、キノちゃんもすぐ真似をする。
「そこは上がるの」
「こう?ふーふふーん」
「うん、そう上手」
何度も繰り返したけど、あまり上手くはなかった。
しばらく練習すると、キノちゃんはタタタっとギィロの横に付き、覚えたばかりの歌を楽しげに歌い始める。
聞いてるのか聞いてないのか、ただ進むだけのように見えるギィロは内心気持ちが悪かったのだろう……
「そこは違うと言われただろ、ふんふんっふーんだ」
ギィロは我慢しきれないという様子で、旋律が間違っている箇所を指摘する。
だけど少女は「え?」と首を傾げる。
それはそうだ、ギィロも違うのだから。
「下手くそ、ふんふふっふ〜ん、ね?」
私はすかさず修正を入れた。
「下手くそぉ」
すると少女も真似してギィロを罵った。
「うるさいな、聴く専門なんだよ」
私たちはくすくすと笑い、歌い、進んだ。
岩の段差が現れると、キノちゃんは下を見て立ち止まる。
「ギィロぉー!下りられない」
ギィロはため息をつき、「下りられるだろ」と文句を言いながらも、仕方ないとばかりに片手で抱えて下ろしてやった。
「ありがとう。ギィロも手ぇ繋ごうよ」
「ここまで一人で来たんだから、自分で歩けるだろ」
ケチだと膨れ、寄り添い、飽きもせずまた歌う。
もう同じ箇所で間違えるのを誰も修正しなくなった。
砦が近くなってきた頃、キノちゃんが聞いてきた。
「リゼ、妹のニナって?」
「ギィロの妹、昔山で龍に連れ去られたの」
「リゼ……」
勝手に話したのが不満なのだろう。
低い声で注意される。
「知ってるかもしれないでしょ?」
でも山のことは山の者に聞けばいいのだ。
キノちゃんが妹の詳細をギィロに問うと、ギィロは諦めたように話した。
「たぶんわかる、探してくるよ」
「大丈夫なの?」
「うん」
そう言うとキノちゃんは軽く手を振り、山の中に消えた。
・
砦に帰還したときには、薄暗くなっていた。
「はぁ……」
ギィロは大きなため息をついた。
「キノちゃんが必要だよ」
焚き火を起こしながら、わかってもらいたくて言った。
「……役には立つのかもな」
ギィロは完全に肯定しようとはしなかった。
ギィロが距離を取り、警戒し、不満そうにしていたのは、道中の態度で感じ取れた。
「仲良くなれば、龍も呼んでくれるかもしれないよ?」
キノちゃんはこの探索の近道である。
そのことを別の言葉を使い主張するも、ギィロは火を見つめたまま答えず、少し黙った。
「……なんでそんなに肩入れできる、一度襲われてるんだぞ?」
ギィロは何か考えながらも、理解できないという様子で言った。
「話してみれば普通の小さな女の子だよ、協力もしてくれてる、今は敵じゃないでしょ?」
私は、『かわいい』『亜人の』『子どもである』
という、三拍子揃った個人的な贔屓目は棚に上げて言った。
「龍を呼ぶなら考え直すかもしれない」
「あの子がいなかったらまた随子と戦いながらニナちゃんを探すことになるんだよ?」
「そうだけど……」
ギィロはその点については有用であると認めるが、視線は外れた。
「ねぇ、もしかしてひとりのほうが探しやすいとか思った?」
自分の体質が荷物になっていたことは、実体験とキノちゃん話で理解していた。
自分の弱点をキノちゃんは補ってくれる。
それは"私に"必要な力だった。
「そんなこと思ってない。心配なだけだ」
ギィロは視線を戻し、強く言い放った。
「そう……それならいいけど」
そう言いつつも、不安は消えることはなかった。
「リゼ、俺たちは龍と山を討伐しに来たんだ、山と友達になりに来たわけじゃない」
「わかってるけど、じゃああの子を斬るの?敵じゃないかもしれないのに?」
なんで仲良くできないのか理解できなくて、語気を強めた。
「そんなことは言ってない、けど入れ込みすぎるな」
「なんで?亜人って言ったのはギィロでしょ?それなら手を取り合いたいよ!」
「だからっ……!いや、俺もわからないことの方が多いんだ、警戒するに越したことはないだろ」
ギィロが言い過ぎないように注意したことがわかった。
堂々巡りの喧嘩をしても仕方がない。
そうわかっていても、簡単に感情が収まることはなかった。
「ならギィロはそうしてなよ。ごめん、先に寝るね」
火がぱちりと弾けた。
「おい」と呼びとめる声を無視し、聞こえない距離まで離れてからため息をついた。
たぶんギィロも今頃同じだ。
巣山の夜が、またゆっくり降りてくる。
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