第51話 狂い始めた歯車

 ギルバートの私室へやって来た二人は、静かに椅子に腰を下ろす。向かい合う彼らの間にいつになく重い空気が漂っているのは、両人とも分かっていた。


「庭園には……気分転換をしに行ってたの?」


 しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのはギルバートである。


「今度の建設事業で何か活かせないかと思って、行ったんです」

「そうか」


 テーブルを見つめたまま静かに話すシャーロットに、ギルバートは質問を続ける。


「トンプソン伯爵子息も一緒だったんだね」


 何気ない会話のようにしようと、抑揚や間の取り方に細心の注意を払った。


 普段の自分であろうとすればするほど、普段は意識しないところに気を張ってしまう。この逆説的な現象を止める方法は、思い浮かばなかった。


「王立図書館からの帰りがけに、たまたま会ったので」

「そうか」


 他の相槌の仕方を忘れてしまったかのように、ギルバートは再びそう呟く。そして彼は、シャーロットが婚約者の不自然さに気付いているだろうかと思案した。


 しかし、それはすぐに放棄された。気付いていても、気付いていなくても良い。あの噂の真偽を──彼女の気持ちが誰に向いているのかを、知ることができさえすれば良いのだ。


「彼と君が親密な仲だと噂されてるのは、知ってる?」


 シャーロットはその問いに、顔を上げて目を見開いた。


「たった今、知りました」


 本当に、知らなかった。シャーロットは固まった。


 事業で関わった伯爵子息は単なる協力者で、それ以上でもそれ以下でも無い。それなのに、なぜそんな噂が立っているのだろうか。


 自問自答した結果、答えはすぐに見つかった。


「さっきのようなことが原因で……?」

「だろうね」


 頷くギルバートに、彼女の脳内で様々な考えが渦巻く。


 噂が広まっているのなら、自分だけでなく伯爵子息やギルバート、そして国王夫妻に対する周囲の目も変わるはずだ。もちろん、望ましくない方へ。


 否定したとしても、抑制力になるかどうかは怪しい。不特定多数の人の口を止めることは、想像以上に難しいのだ。


「どうすれば……」


 対策を考え始めたシャーロット。その時、ギルバートは口を開いた。


「噂は、事実なの?」

「……え?」


 シャーロットは彼が何を言っているのか、しばらく理解できなかった。


「君があの子息と親しい・・・のは、事実?」

「っ、それは、違います……!」


 シャーロットは思わず声を荒らげる。そんな彼女の目を見つめながら、ギルバートは尋ねた。


「本当に?」


 信じたかった。信じようとした。それでも、疑いを払拭することは不可能だった。聞き返さないという選択肢もあったが、ギルバートはそれを自分から退けた。退けて、後悔した。


 この質問に対する返答が何であっても、きっともう、彼女の言葉を信じられない。


「彼が君に、顔を近付けていたところを見たんだ」


 柄にもなく、弱気になる。どんな社交場でも芯の通っていた声は、ほんの少し震えた。


「あの時は、強風で木の葉が首元に引っ掛かったのを、取ってもらっていただけです」


 彼女の声も震えていることに気付き、ギルバートは何を言えば良いのか分からなくなった。


 眉を寄せ、困ったように微笑む彼を見て、シャーロットは言葉を失った。表情から、はっきりと分かる。彼にはもう、信用されていないのだと。


 悔しさや喪失感が拮抗しながら、心の中を支配した。そしてそれらは次第に、相手に対する攻撃へと形を変えていった。


「……殿下だって」


 絞り出すように口を開き、シャーロットはギルバートを見つめた。


「殿下だって、私ではなくリゼ王女を頼りにしてるんですよね?」

「え……?」


 珍しく、彼は動揺しているらしかった。そんな様子を初めて見たなどと考える余裕もなく、シャーロットの抱えていた不満は堰を切って出てきた。


「昨日の午後、リゼ王女と二人で話してましたよね。内容は詳しく知りませんが、同じ王族として随分と心の支えにしていらっしゃるようでした」

「それは……」


 ギルバートは何かを言いかけて、口を噤む。シャーロットはそれを見て、力なく笑った。


 やはり、図星なのだ。最近何か悩みを抱えていたことも、リゼ王女を頼りにしていたことも。


 目頭が熱くなった。喉の奥が苦しくなった。混沌とした気持ちを、飲み込むことなどできなかった。


「帰ります」

「シャーロット……!」


 立ち上がって扉へ向かい始めた彼女を、ギルバートは思わず呼び止めた。しかし、続く言葉が出てこない。


「トンプソン伯爵子息とは、本当に何もありません」


 振り返った彼女は、今にも消えてしまいそうな儚さを滲ませている。


 社交界での彼女の通り名『夜半よわ白雪しらゆき』が、ふいにギルバートの脳裏に浮かんだ。シャーロット・フォードという人物と関わり合う前の、何も知らなかった頃の認識。滅多に姿を現さない、幻のような、とても麗しい人。


 これだけ深い関係になったのに、もう二度と現れないような、そんな感覚に陥る。


 ギルバートは、静かに外に出て扉を閉めるシャーロットを、呆然と見ていることしかできなかった。

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