レビューを書くときは大概読後の興奮のまま筆を走らせるのだが、たまに筆が止まる作品もある。この作品がまさにそれだった。本作は神の不在の中で壊れていく少年少女の話であり、失礼ながらその手の話であれば世に溢れている。ただ、多くの読者に突き刺さったであろう登場人物の少女の一言があるために、本作はそれらの作品とは明確に一線を画している。のだが、それを何と言語化しようか迷ったのだ。
一旦距離を置いて読み返してみると、本作は「自分の人生を自分で動かしたい」という欲望が基調にあると理解したので再び筆を取った。主人公の少年も、鍵となる一言を放った少女も、神様がバカンスに行ってて不在なんだと諦め気味の嘆息を吐かねばならないような理不尽な境遇にいる。少年は父の暴力が少女に及ぶにあたり、彼女を助けて逃避の旅に出る。だがそれも、弱者である自分が理不尽な世界の主体になりたいという欲望でしかない。自分と共に逃げさせる、自分のしたいバカンスにつきあわせる、自分が守る、自分の光でいてもらう。全部自分の欲望の物語だ。だから少女はあの一言を放つ。
主人公は彼女が正しいとわかっているからこそ、自分の物語の登場人物でいてくれない少女に逆上する。頭ではわかっていても感情が納得しない。そして最悪の結末を迎える直前、「助けてくれたのに(、なぜこんなことを?)」と、実は一番欲しかった承認の言葉を皮肉な形で受け取る。それ故に主人公は少女を自分の物語から解放する。
被害者意識から支配への反転。そこからさらに神が(誰かが)どこかで見ていて、いつか報われるはず、という世界観からの脱却。どうやって自分が主体たり得るか。その問いの答えを主人公は最後に掴む。神様はバカンスに行っているのではなく、最初から自分たちのことを見てくれてはいない。だがそれは悲劇や絶望でもなければ、父親と同じ道を行くことでもない。報われるという物語から自分自身を解放して主体性を確立する決意そのものである。だから主人公は、最後には安堵して眠るのだ。