第39話 オールドメイド⑥ - 決着 -

「ラスト一枚……ですか」


 八城にジョーカーを押しつけたことで、黒部の手札は残り一枚になった。逆に八城が持っているカードは、ジョーカーとスペードの〝クイーン〟の二枚。次の手番ターンは、黒部が八城からカードを引く番だ。


「次で黒部さんにジョーカーを押しつけられなければ、僕の負けですね」

「そうだな。だが、たとえ俺がジョーカーを引いてしまっても、それできみの勝ちになるわけじゃない」

「ババ抜きでは、ジョーカーを持っていない側が[#「持っていない側が」に傍点]圧倒的に有利ですからね」


 黒部が八城の〝クイーン〟を引いて勝利する確率は二分の一。

 しかし八城が勝利するためには、まず黒部に二分の一の確率でジョーカーを引かせた上で、さらに二分の一の確率で黒部の〝クイーン〟を引かなければならない。

 確率的には凄まじく不利だ。


「これで俺のヒキが悪ければ互いの立場が逆転することになるわけだが……面倒だ。悪いが、ここで決めさせてもらう」


 黒部が、哀れむような視線を八城に向けた。勝利を確信した表情だ。


「——命令だ、八城丈佳。〝ジョーカーではないほうのカードを差し出せ〟」


 普通に考えて従うはずのない命令。しかし黒部の声が聞こえた瞬間、八城は持っている二枚の手札のうち、一枚を三センチばかり上にずらした。


 声を上げそうになった繰嶋が、慌てて自分の口を押さえる。

 観客席にいた囚人たちが、納得と落胆の入り混じったようなざわめきを洩らす。


 彼らは、最初から黒部の勝利を疑ってはいなかった。

 黒部のことを嫌っている囚人たちも、八城の勝利を願っていたわけではない。

 圧倒的な強者に対しては無条件で憧れを抱くのが人間だ。〝殺し屋〟と呼ばれる黒部が、生意気な新入りの八城を蹂躙することを心のどこかで期待していたのだ。


「これが、黒部さんの第三の異能スキル——〝服従強制オビディエンス〟ですか」


 対戦相手に一つだけ、どんな命令でも聞かせることができる最強の異能スキル。黒部はその切り札を、勝利を確定する完璧なタイミングで切ってきた。八城には、この状況を覆す手段はない。


「残念だ。きみには俺にかけられた嶋瀬円花の呪いを解いてくれることを期待したんだが」


 感傷のこもった口調で独りごちて、黒部は八城の手札から一枚のカードを引いた。黒部に命令されて、八城が差し出したカードである。

 しかしカードを確認した瞬間、彼の表情は凍りつく。


「なんだ……これは……?」

「知らなかったんですか、黒部さん。それがジョーカーというカードです」


 幼い子供を教え諭すような口調で、八城が言う。

 黒部が引いたカードの絵柄は道化師。ジョーカーだ。


「そんなことはわかっている! なぜ、ジョーカーがここにある⁉︎」


 黒部が初めて感情を剥き出して怒鳴った。

 彼に〝ジョーカーではないほうのカードを差し出せ〟と命令されて、八城はそれに従った。

 異能スキルによる命令は絶対だ。八城がジョーカーを差し出すことなどあり得ない。


「俺はきみに、ジョーカーではないほうのカードを要求したはずだ……!」

「生憎ですが、僕にはそんな命令に従う理由がありませんので」


 八城はにこやかに微笑んで言った。まるで最初からこうなることを予見していたかのようなふてぶてしい態度だ。


「俺の〝服従強制オビディエンス〟を破ったのか……⁉︎ どうやって?」

「……ババ抜きは、いいですよね。対戦の最後の最後まで、プレイヤー同士に差がつかない。そして些細なきっかけで、逆転のチャンスが回ってくる」

「なに?」

「黒部さんの〝服従強制オビディエンス〟は、たしかに最強に近い異能スキルです。けれど、その代償として遊戯ゲーム中に一度しか使えない。だから、あなたは最後まで異能スキルを温存して、必ず勝負を決める場面で使ってくると思っていました」


 八城の説明を、黒部は無言で聞く。たしかに八城が言うとおりだ。そして黒部は〝服従強制オビディエンス〟を使った。これ以上はない最高のタイミングで。


「ですが、強力な異能スキルであるがゆえに、それが破られたときのリスクも大きい。なぜなら二人制のババ抜きでは、必ず勝負は一手違いになる。つまり、勝利のチャンスを逃した直後こそ、敗北の可能性がもっとも高まる瞬間だからです」


 黒部はハッとして自分の手札を見た。

 ジョーカーが一枚と〝クイーン〟が一枚。もしも八城が〝クイーン〟を引けば、黒部の敗北は確定する。ババ抜きとはジョーカーを持たない側が圧倒的に有利なゲームだ。

 そして黒部と八城の立場は、今や完全に逆転してしまっている。


「だが、まだきみが勝つと決まったわけじゃない」


 黒部は二枚のカードを入念にシャッフルする。八城が〝クイーン〟を引く確率は二分の一。つまり勝利の可能性はいまだに五十パーセントでしかないのだ。


「いえ。もう、この遊戯ゲームは終わりです。黒部さんの敗因は、〝服従強制オビディエンス〟を最後まで出し惜しんだことですよ」

「なに……?」

「あなたは、僕がカウンティングをしていると気づいたときに、その異能スキルで無理やり聞き出すべきだったんです。なぜ、〝無気力化アパシー〟が無効化されたのか、と」


 黒部の口元が大きく歪んだ。

 黒部の〝幻影イリュージョン〟が八城の〝認識阻害オーバーサイト〟に似ているように、〝無気力化アパシーと〝服従強制オビディエンス〟は、どちらも対戦相手の精神に作用する、同じ系統の異能結晶スキルオーブだ。〝無気力化アパシー〟が無効化されたということは、〝服従強制オビディエンス〟も同様に無効化される可能性が高い。その可能性を黒部は見落とした。〝服従強制オビディエンス〟があまりにも強力な異能スキルであるがゆえに、無効化される可能性を完全に失念してしまったのだ。


「あとひとつ——僕はさっき言いましたよね。僕の異能スキルはもうすでに発動している、と」


 八城は黒部の手札の片方へと手を伸ばした。最初からそのカードの正体を知っているかのような躊躇のなさだ。


「八城丈佳……」

「この遊戯ゲームは、僕の勝ちです。黒部さん、お疲れ様でした」


 八城が黒部から引いたカードは、ダイヤの〝クイーン〟。二枚揃った〝クイーン〟をテーブルの上に捨てて、八城の手札はゼロになる。

 劇的な幕切れ。八城の勝利だ。


 信じられない光景に場内は静まりかえり、繰嶋は人形のように目を見開いたまま固まっている。

 そして黒部は、最後に自分の手の中に残った道化師のカードを、いつまでも呆然と見つめていたのだった。

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