第26話 約束が途切れる日
白い光がゆっくりと消えた。
悠斗は見慣れた旅館の帳場に立っていた。
しかし、空気が違う。
静かだった。
あまりにも静かだった。
「……?」
玄関には宿泊客の靴が一足もない。
ロビーにも誰もいない。
時計の針だけが、
カチ……カチ……と響いていた。
⸻
祖父は帳場に座り、
宿帳を開いていた。
何度もページをめくる。
予約欄は真っ白だった。
一週間先も。
一か月先も。
何も書かれていない。
「……。」
祖父は深く息をついた。
その姿を見た悠斗は胸が締めつけられた。
(こんな日が……。)
⸻
昼になっても、
電話は鳴らない。
玄関の扉も開かない。
仲居たちも仕事がなく、
静かに廊下を掃除している。
「今日は……。」
「誰も来ませんね。」
一人の仲居が申し訳なさそうに言った。
祖父は笑顔を作る。
「そんな日もあるよ。」
でも、
その笑顔は少しだけ寂しかった。
⸻
夕方。
一人の旅館主人が訪ねてきた。
「今日はどうだった?」
祖父は苦笑いした。
「ゼロ。」
「そっちも?」
「ゼロだ。」
二人は顔を見合わせる。
責める人はいない。
ただ、
時代の流れを受け止めるしかなかった。
⸻
夜。
食堂。
広い部屋には誰もいない。
昔は宴会で賑わった場所。
笑い声が響いた場所。
今は照明だけが静かに灯っている。
祖父は一人で椅子を並べ直していた。
誰も座らない椅子を。
誰も使わない机を。
悠斗は思わず声を掛けそうになった。
しかし、
何もできなかった。
⸻
閉館時間。
祖父は玄関の灯りを消そうとして、
手を止めた。
外を見る。
誰も歩いていない。
それでも、
玄関の灯りだけは消さなかった。
「もしかしたら……。」
小さくつぶやく。
「遅くに来られる旅人がいるかもしれない。」
その言葉に、
悠斗の目から涙がこぼれた。
(最後まで……。)
(最後まで、お客さんを信じていたんだ。)
⸻
その時。
玄関の戸が開いた。
カラン……
祖父が顔を上げる。
「いらっしゃいませ。」
立っていたのは、
昼間会った旅館主人だった。
「営業は終わったか?」
「まだです。」
主人は笑った。
「今日はうちもお客さんゼロだった。」
祖父も笑う。
「同じですね。」
主人は温泉まんじゅうを差し出した。
「食べよう。」
「一人で食べるより美味しい。」
祖父は少し驚き、
そして笑顔になった。
「ありがとうございます。」
二人は静かな食堂で、
温かいお茶を飲みながら話を続けた。
昔話。
旅館の話。
温泉街の未来。
誰も諦める話はしなかった。
⸻
その光景を見た悠斗は気付く。
(約束は……。)
(途切れなかった。)
宿泊客が来なくても。
苦しい時代でも。
旅館同士が支え合っていた。
だから、
この町は今まで続いてきた。
⸻
その瞬間、
『1000年の約束』が静かに光る。
ページが開き、
新しい文字が浮かび上がる。
『第十九の約束 約束は苦しい時ほど試される。それでも支え合う心が、町を未来へつなぐ。』
ページはゆっくり閉じた。
悠斗は祖父の背中を見つめながら、小さくつぶやく。
「じいちゃん……。」
「俺が、この約束を受け継ぐよ。」
外では静かに湯けむりが夜空へ昇っていた。
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