第7話ほっぺたキス。
「今日は手伝いません」
入店して最初に、あかりは宣言した。
「はい」
絢音は素直に頷いた。
「絶対です」
「分かりました」
「何が起きても」
「今日はお客様ですね」
あまりに簡単に受け入れられ、あかりは拍子抜けした。
窓際席へ座る。目の前には思い出プリン。今日は最後まで自分で食べるつもりだ。
店内は珍しく静かだった。
ララはテーブルで紙ナプキンを折っている。アリスは読書。まーくんは豆を挽き、絢音は黒板メニューへ絵を描いていた。
平和だ。
あかりがスプーンを入れた時、店の電話が鳴った。
絢音が受ける。
「はい、さくらカフェです。……本日ですか? はい。二十名様」
店内の全員が顔を上げた。
「二十!?」
アリスの本が閉じる。
「はい。お席は……ええと」
絢音は店内を見渡した。数を数えようとして、途中でララを二回数えた。
「あの、少々お待ちください」
まーくんが受話器を引き継ぐ。
「六時なら。料理は限定で」
電話を切ると、時計は五時二十分だった。
「四十分」
アリスが言う。
「何をすればいい?」
ララが立つ。
「まず折った鳥を戻して」
紙ナプキンが全部、鳥になっていた。
「飛べそうです♡」
「飛ばす前に開いて!」
あかりはプリンを見た。
手伝わないと決めた。
今日は自分のために過ごす。
厨房ではまーくんが材料を確認し、絢音は予約席を作ろうとして札を逆さに置いている。
「……絢音さん」
「はい?」
「予約名、逆です」
「あ」
「席は四人掛けを三つ、二人掛けを四つ。通路を塞がないように寄せてください。ララさんはナプキン。アリスさんはカトラリー。私は――」
言いかけて、あかりは止まった。
「私は、今日は客でした」
「そうでした」
絢音は笑った。
「でも、お願いしてもいいですか?」
「嫌です」
「はい」
また、すぐに引き下がる。
あかりは眉を寄せた。
「……そこで終わりですか」
「嫌だと言われましたから」
「少しくらい困ってください」
「困っています」
絢音は、困っているのに笑っていた。
「でも、あかりさんが嫌なのにお願いしたくありません」
胸の奥に、変な隙間ができた。
断っても、嫌われない。
断っても、扉を閉められない。
あかりは一度座り直し、残ったプリンを三口で食べた。
「三十分だけです」
「いいんですか?」
「私が決めました」
「ありがとうございます」
絢音が両手を合わせる。
「あかりさん、ほっぺにキスしてもいいですか?」
「なぜ!?」
「嬉しいので」
「感情表現が独特すぎます」
「嫌ですか?」
あかりは絢音の顔を見る。
ちゃんと待っている。勝手に距離を詰めず、答えを待っている。
「……一回だけなら」
絢音は、羽が触れるように頬へ口づけた。
あかりの顔が一気に熱くなる。
「わ、本当に赤くなりました」
「誰のせいですか!」
「絢音さんです♡」
ララが答える。
「知ってます!」
アリスが笑いながらナプキンを開く。
「これ、毎回やったら働いてくれそう」
「やりません!」
「キスをご褒美にして働かせないでください。それとこれは別です」
「はい。働くことと、触れていいかは、別々に聞きます」
絢音が真面目に頷く。
四十分後、予約客が入ってきた。
あかりは入口で人数を確認し、自分で決めた三十分を十分超えていた。
「十分延長します。これで終わります」
「はい」
延長も終わりも、自分で決めた。
それでも不思議と、損をした気はしなかった。
帰り際、絢音が言う。
「今日は、あかりさんが選んで助けてくれました」
「念押ししなくても分かってます」
でも、その言葉を、あかりは帰宅するまで何度も思い出した。
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