凪の勇者は、魔王の請求書を読む

 井戸の底にあったのは、魔王の城ではなかった。


 地下へ続く階段と、壁いっぱいの帳簿だった。


 紙は湿っていない。火にも濡れにも負けない薄い膜で覆われ、どのページにも同じ数字が並んでいる。


 使われた魔力。返された魔力。返せなかった名前。


「魔王領で、名前を燃料にしている」


 光輝が言った。


「違う。名前を担保にして、魔力を借りている」


 リゼッタが帳簿の欄を読む。


 借り手は街。保証人は住民。返済期限は、世界の魔力が戻るまで。


「期限が、存在しません」


「だから借金が終わらない」


 壁の奥から、低い声が聞こえた。


「終わらせる必要がないからだ」


 黒い外套の男が現れた。角はない。魔王に見えるほど強そうでもない。だが、誰も彼の名前を呼ばなかった。


「あなたは誰だ」


 光輝が問う。


 男は少し考えた。


「昔は、勇者だった」


 バンが息をのんだ。


「お前は……十五年前に消えた召喚勇者か」


「消えたのではない。名前を担保にして、ここに残った」


 男は壁の帳簿を指した。


「王国は、魔力を使う者へ借金を負わせる。魔王領は、世界を延命するために名前を借りる。どちらも、返す相手を間違えている」


 俺は帳簿をめくった。


 最後のページに、見覚えのある名前がある。


 ギデオン・ヴァルト。


 その下に、俺の名前。


 さらに、光輝の名前。


「俺たちは、借金の返済者じゃない」


「では何だ」


「帳簿を読むための鍵だ」


 男が笑う。


 その瞬間、地下の鐘が鳴った。


 地上から、王国兵の足音が近づいてくる。


 ドマ侯爵が、魔王領の帳簿まで取りに来たのだ。


 俺は、赤いページを一枚破った。


 世界の借金を消すには、まず誰が数字を書いたのかを明らかにする必要がある。


 井戸の底の帳簿には、魔王の印だけでなく、王都の財務府の印も押されていた。二つの印が同じ頁にある。魔王領だけの借金ではない。王都と魔王領が互いに請求し合い、その差額を冒険者へ押しつけている。


 ドマ侯爵は、赤い頁を奪えば証拠を消せると思った。だが、俺は風で頁を井戸の壁へ張り付けた。リゼッタは印の位置を写し、光輝は侯爵の部下に、誰がどの時刻に頁へ触れたかを書かせた。


 帳簿の端に、古参勇者の名前が並んでいる。彼らは借金を返したはずなのに、同じ金額が次の契約へ移されていた。数字を書き換えた人間は、一人ではない。

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