第12話 婚約破棄イベント、毎週開催されてるんだけど
王都中央広場は、人で埋まっていた。
白い石畳。
中央の噴水。
色とりどりの花壇。
広場を囲むように並んだ商店と貴族向けの高級店。
本来なら、ただ美しい場所なのだろう。
市民が休み、商人が品物を売り、子どもたちが噴水の周りで遊ぶ。
そんな、王都の中心らしい明るい場所。
でも今は違った。
広場の中央に、人の輪ができている。
その中心に立っているのは、金髪の青年だった。
整った顔立ち。
白と青を基調にした王族らしい服。
胸には王家の紋章。
腰には装飾剣。
王子レオンハルト。
そう表示されている。
【対象:レオンハルト・ルミナリア】
【役割:王子】
【状態:イベント行動中】
【感情補正:傲慢化】
【発話内容:固定】
「出た」
私は小さく呟いた。
王子の前には、一人の令嬢が立っていた。
銀に近い淡い金髪。
上品な白いドレス。
背筋は伸びている。
でも、指先はかすかに震えていた。
顔は青ざめている。
令嬢クラリス・フォン・アイゼンベルグ。
【対象:クラリス・フォン・アイゼンベルグ】
【役割:公爵令嬢】
【現在判定:悪役令嬢】
【精神負荷:危険域】
【記憶補正:軽度】
私はその表示を見て、眉を寄せた。
「悪役令嬢判定……」
隣のアルトが低い声で聞いてくる。
「リリィ、あの令嬢が悪いことをしたのか?」
「今のログだけじゃわからない」
「悪役と表示されているのでは?」
「この世界の表示、信用できると思う?」
アルトは一瞬黙り、それから首を横に振った。
「思わない」
「正解」
広場の周囲には、貴族たちが集まっている。
豪華な服を着た男女。
扇子で口元を隠す令嬢。
冷笑する青年貴族。
興味本位で覗き込む市民たち。
彼らは騒いでいる。
「また始まったぞ」
「レオンハルト殿下だ」
「今回こそクラリス様も終わりね」
「聖女様のためにも、悪女は裁かれねば」
「でも前も同じような……」
「まあ、殿下のなさることだし」
「毎週のことだろう?」
私は、その会話に引っかかった。
「毎週?」
貴族たちの反応は妙だった。
驚いているようで、驚いていない。
騒いでいるようで、台詞が妙に整っている。
誰も本気で止めようとしない。
王子が令嬢に婚約破棄を突きつけているのに、周囲はまるで演劇でも見ているようだった。
私は管理画面を開く。
【王都中央広場】
【イベント状態:進行中】
【民衆誘導:有効】
【観客反応パターン:再生中】
【違和感抑制:弱】
【記憶補正:軽度】
「観客反応パターン再生中」
私は半目になった。
「観客まで台本付きとか、きっしょ」
アルトが周囲を見渡す。
「確かに、反応がどこか不自然だ。皆、初めて見るように騒いでいるのに、慣れている」
「うん」
「誰も止めない」
「うん」
「なぜだ?」
「止める役割じゃないから、じゃない?」
自分で言って、胸がざらついた。
止める役割じゃない。
だから止めない。
王子は婚約破棄をする役。
クラリスは断罪される役。
貴族は囃し立てる役。
民衆は見物する役。
聖女は清らかに立つ役。
そういうふうに、誰かが決めたのだとしたら。
「最低」
私は小さく吐き捨てた。
その時、広場の中心で王子レオンハルトが一歩前に出た。
彼の頭上に、赤い表示が浮かぶ。
【発話固定文を出力します】
【婚約破棄宣言:開始】
王子はクラリスを指差した。
「クラリス・フォン・アイゼンベルグ!」
広場が一気に静まる。
クラリスの肩がびくりと揺れた。
王子の声が広場に響く。
「お前との婚約を破棄する!」
その瞬間、周囲がわっと騒いだ。
「出た!」
「殿下が宣言された!」
「やはりクラリス様は……!」
「悪女の終わりだ!」
私は耳を押さえたくなった。
反応が早すぎる。
準備されすぎている。
王子の言葉が終わった瞬間に、決まった歓声が再生されたみたいだった。
管理画面を見る。
【観客反応:再生】
【貴族A:驚愕】
【貴族B:冷笑】
【令嬢C:嘲笑】
【市民反応:興奮】
【異議申し立て発生率:0.1%】
「異議少なっ」
私は歯噛みした。
クラリスは青ざめた顔で王子を見つめている。
「レオンハルト殿下……なぜ、そのような……」
声は震えていた。
でも、かろうじて姿勢は崩していない。
王子は冷たい顔を作っていた。
作っていた。
そう見えた。
顔つきは傲慢だ。
声も冷たい。
だが、瞳の奥がほんの一瞬だけ揺れた。
まるで、自分が何を言っているのかわかっていないみたいに。
【王子レオンハルト】
【感情補正:傲慢化】
【本来感情:困惑】
【発話自由度:低】
【行動キャンセル:不可】
「……王子も操られてる?」
アルトが反応する。
「操られているのか?」
「まだ断定はできない。でも、自分で喋ってる感じじゃない」
王子は続ける。
「貴様はその権勢を笠に着て、聖女セラフィナを辱め、王家の名を利用し、数々の悪事を働いた!」
周囲の貴族たちがざわめく。
「まあ、恐ろしい」
「やはり悪女だったのね」
「聖女様がおかわいそうに」
少し離れた場所に、銀髪の少女がいた。
白い聖女服。
胸元で祈るように手を組んでいる。
周囲の者たちは、彼女を守るように囲んでいた。
聖女セラフィナ。
【対象:セラフィナ】
【役割:聖女】
【記憶領域:破損率65%】
【イベント巻き込み状態:有効】
【感情:恐怖/困惑/罪悪感】
【発話抑制:実行中】
セラフィナの唇が小さく動いた。
でも、声は出ない。
私は目を細める。
「セラフィナも変」
アルトが見る。
「彼女も苦しんでいるように見える」
「うん。しかも喋れないようにされてる」
「なぜそんなことを……」
「イベントの邪魔だからじゃない?」
言っていて、腹が立ってきた。
クラリスは断罪される役。
王子は断罪する役。
セラフィナは守られる聖女役。
その役割から外れる発言は、抑制される。
「恋愛イベントっていうより、人形劇じゃん」
私はログの深部を開いた。
【イベント解析中……】
赤い文字が並ぶ。
【イベント名:悪役令嬢断罪】
【種別:王都恋愛イベント】
【実行周期:7日】
【実行回数:148回】
【記憶補正:軽度】
【対象者精神負荷:危険域】
【王子行動:固定】
【令嬢判定:悪役固定】
【聖女立場:被害者固定】
【観客反応:半自動再生】
【イベント完了後:記憶補正実行】
私は固まった。
「……」
七日。
実行回数、百四十八回。
つまり。
「婚約破棄を毎週開催するな」
私は低い声で言った。
「定例会議じゃないんだから」
アルトの表情が険しくなる。
「百四十八回……同じことを繰り返しているのか?」
「ログ上はそう」
「そのたびに、彼女は……」
アルトの視線がクラリスへ向く。
クラリスは、王子の言葉を受け止めながら、必死に耐えていた。
顔は青い。
唇は震えている。
でも、泣かないようにしている。
周囲の冷たい視線の中で、背筋だけはまっすぐに伸ばしている。
百四十八回。
この場で断罪され。
嘲笑され。
婚約破棄を突きつけられ。
そのたびに記憶を薄く消され。
また次の週、同じ場所に立たされる。
私は手を強く握った。
「性格悪いどころじゃない」
アルトが剣の柄に手をかける。
「止めるべきだ」
「剣は抜かない」
「だが!」
「抜いたら、ただの乱入者になる。王子に斬りかかった勇者として処理されるかもしれない」
管理画面を見る。
【外部干渉者:警戒中】
【干渉内容予測:武力介入】
【武力介入時処理:反逆者判定】
【王都兵呼び出し:待機】
「ほら」
私は表示をアルトに見せた。
「剣を抜いた瞬間、反逆者コース」
アルトは歯を食いしばり、剣から手を離した。
「なら、どうすればいい?」
「ログを読む」
「ログを?」
「原因を見ないで殴ると、だいたい悪化する」
「……わかった」
アルトは苦しそうに頷いた。
真面目な勇者だ。
止めたい。
でも止め方を間違えれば、助けたい相手まで巻き込む。
それを理解して、我慢している。
前より成長している。
えらい。
ただし今は褒めている場合ではない。
王子の断罪は続く。
「クラリス。貴様は聖女セラフィナに嫉妬し、数々の嫌がらせを行った」
「私は、そのようなことは……」
クラリスの声は震えている。
しかし、王子は聞かない。
いや、聞けない。
【王子レオンハルト】
【クラリス発言受信:成功】
【内容解釈:無視】
【次台詞へ移行】
「貴様の言い訳など聞かぬ!」
王子が言う。
私はこめかみを押さえた。
「聞いてから言え」
貴族たちが同じような声を上げる。
「言い訳ですわ」
「見苦しい」
「聖女様を傷つけたくせに」
「悪役令嬢らしい最期ね」
私は周囲の貴族たちのログを見る。
【貴族A】
【反応台詞:冷笑】
【自我発話:抑制なし】
【違和感:微弱】
【令嬢B】
【反応台詞:非難】
【自我発話:一部補正】
【既視感:蓄積】
【市民C】
【反応:興奮】
【記憶補正:軽度】
【過去イベント認識:曖昧】
「全員完全に操られてるわけじゃない」
私は呟いた。
「でも、違和感を薄められてる」
アルトが聞く。
「なら、彼らは本心でクラリスを責めているわけではないのか?」
「本心も混ざってる。補正も混ざってる。だから厄介」
「厄介……」
「完全に操られてるなら解除すればいい。でも、これは人間の悪意や野次馬根性に、イベント補正が乗ってる」
私は周囲を睨む。
「最悪の混ぜ方」
その時、セラフィナが一歩前に出ようとした。
聖女服の裾が揺れる。
彼女は震える声で何かを言おうとする。
「わ、私は……」
【セラフィナ発話候補】
【内容:クラリス様は何も――】
【発話抑制:実行】
セラフィナの声が途切れた。
彼女は喉を押さえる。
目に涙が浮かぶ。
周囲の貴族たちはそれを都合よく受け取った。
「聖女様が怯えておられる!」
「なんてお可哀想に」
「クラリス様、あなたのせいですわ!」
セラフィナは首を横に振る。
違う。
そう言いたそうだった。
でも、声が出ない。
「……」
私は無言で管理画面を操作する。
【発話抑制解除を試行しますか?】
【警告:イベント防衛処理が反応します】
【現在権限:外部干渉者】
【解除成功率:低】
「まだ触ると弾かれるか」
ここで無理に解除すれば、イベント防衛処理が起動する。
王都兵が来る。
私たちが異物認定される。
クラリスやセラフィナの立場がさらに悪くなる可能性もある。
我慢。
我慢だ。
原因ログを見つけるまで、手を出しすぎない。
前世で嫌というほど学んだ。
焦って本番DBを直接いじるな。
焦って一括更新するな。
焦って削除するな。
まず状況を把握しろ。
「でもさぁ」
私は歯を食いしばる。
「目の前で人が泣きそうなのに、調査優先ってほんと嫌」
アルトがこちらを見る。
「リリィ……」
「何でもない」
私はログを深く掘る。
【悪役令嬢断罪イベント:履歴】
【第1回:148週前】
【第2回:147週前】
【第3回:146週前】
……
【第147回:7日前】
【第148回:現在実行中】
【イベント終了時処理】
・クラリス記憶補正
・レオンハルト記憶補正
・セラフィナ記憶補正
・観客記憶補正
・王都イベントキューへ再登録
「終了したら、また次週に再登録」
私は呆れた。
「再発防止策ゼロどころか、自動再発登録してるじゃん」
アルトの声が低くなる。
「止めなければ、また来週も?」
「うん」
「そして彼女はまたここに立たされる」
「うん」
「王子も、また同じことを言わされる」
「たぶん」
「聖女も、また……」
「巻き込まれる」
アルトは目を閉じた。
怒っている。
でも、怒りを抑えている。
私はもう一度、クラリスを見る。
王子はさらに言葉を重ねていた。
「よって、私は貴様との婚約を破棄し、聖女セラフィナこそを真に守るべき女性として――」
そこで、王子の言葉が一瞬詰まった。
レオンハルトの瞳が揺れる。
「……?」
クラリスを見た。
セラフィナを見た。
自分の手を見た。
ほんの一瞬だけ、王子の顔から傲慢な表情が消える。
【王子レオンハルト】
【記憶断片:浮上】
【内容:前回イベントのクラリスの涙】
【感情補正:再適用】
すぐに表情が戻った。
冷たく、傲慢な王子の顔へ。
「……見た?」
私は呟く。
アルトが頷く。
「ああ。今、迷ったように見えた」
「記憶断片が浮いてる」
「なら、完全には消えていない」
「そういうこと」
私は次にクラリスのログを見る。
【クラリス・フォン・アイゼンベルグ】
【記憶補正:軽度】
【記憶断片:蓄積】
【既視感:高】
【精神負荷:危険域】
【発話候補:どうして何度も――】
クラリスの目に涙が浮かぶ。
それでも彼女は必死に堪えていた。
「私は……」
クラリスは震える声で言う。
「私は、聖女様を傷つけてなどおりません」
周囲が騒ぐ。
「まだ言い訳を!」
「見苦しいわ!」
「悪女め!」
クラリスは唇を噛む。
でも、今度は王子ではなく、広場全体を見た。
まるで、この場所そのものを見ているみたいだった。
「どうして……」
声が小さくなる。
私は息を止めた。
クラリスのログが揺れる。
【記憶断片:浮上】
【第143回】
【第144回】
【第145回】
【第146回】
【第147回】
【涙】
【嘲笑】
【婚約破棄】
【広場】
【同じ言葉】
クラリスの瞳から、涙が一筋こぼれた。
「どうして……私は、何度もここで泣いている気がするの……?」
広場の騒ぎが、一瞬だけ遠のいた気がした。
誰かが笑っている。
誰かが罵っている。
王子が次の台詞を言おうとしている。
セラフィナが声を出せずに震えている。
でも、私にはクラリスの言葉だけがはっきり聞こえた。
何度もここで泣いている気がする。
記憶は消されても、痛みは残る。
イベントはリセットされても、心は削られる。
「……はい決定」
私は管理画面を開いた。
王都イベントの赤いログが、目の前に広がる。
【悪役令嬢断罪イベント:進行中】
【強制シナリオ防衛処理:待機】
【外部干渉者:リリィ・デバッグハート】
【干渉権限:制限中】
私は口元を吊り上げた。
「これ、恋愛イベントじゃなくて障害対応案件ね」
アルトが静かに頷く。
「僕は何をすればいい?」
「まだ剣は抜かない」
「ああ」
「でも、クラリスのそばに行ける位置まで進んで。何かあったら守って」
「わかった」
「セラフィナも見てて。あの子、発話抑制されてる」
「ああ」
「王子は攻撃しない。たぶん被害者側」
「……わかった」
アルトは息を整え、一歩前へ出た。
私は管理画面に指を置く。
強制シナリオ防衛処理。
悪役令嬢判定。
王子行動固定。
聖女発話抑制。
観客反応パターン。
全部、まとめて見る必要がある。
「神様」
私は通信を開く。
ノアが画面に出る。
『リリィよ、王都の状況は――』
「婚約破棄イベント、百四十八回目」
『……』
「毎週開催」
『……』
「記憶補正あり。対象者精神負荷、危険域」
『……』
「何か言うことは?」
ノアは顔面蒼白になった。
『すまぬ』
「謝罪は後」
私は広場の中央を見た。
王子が次の台詞を吐こうとしている。
クラリスは涙をこらえて立っている。
セラフィナは声を奪われている。
そして王都中のイベント処理が、私を異物として見始めている。
【王都イベントシステム:警戒レベル上昇】
【外部干渉者を検知】
【シナリオ防衛処理:起動準備】
「いいよ」
私はにやりと笑った。
「守ってみなよ、そのクソ脚本」
指先に、紫色のホログラムが集まる。
「保守担当、悪役令嬢断罪イベントの調査に入ります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます