第38話 突入⑦

「アンタ」


 麗華は、床へ視線を落としたままの築山を見つめた。


「川口さん殺して、ほんまに何も思わんかったわけちゃうやろ?」


 築山の肩が、びくりと震えた。


「何を……」

「今も、あの人の顔が頭から離れへんのやろ」

「黙れ」

「倉庫に戻ったんも、証拠が残っとらんか確かめるためだけやない」

「黙れと言っている!」


 築山が声を荒らげる。

 その足元で、淡い光を帯びた花弁がもう一枚開いた。

 甘い香りが、警報音の鳴り響く倉庫の空気へ静かに混じる。


 《ナイトブルーム》。


 麗華が新しい感情を植えつけているわけではない。

 築山が見ないふりをしてきたもの。

 自分の中へ押し込み、何度も蓋をしたものが、花のように表へ滲み出しているだけだった。


「川口さんが、何の考えもなしに告発しようとしてたと思う?」


 築山が麗華を見る。


「あの人、大河から名刺もろても、最後まで直接相談せえへんかった」


「……」


「外へ全部持ち出して、すぐアンタを潰すことだってできたはずや。それでも、まず自分で調べて、何回もアンタに聞きに行った」

「なぜ、君がそんなことを」

「川口さんが残した調査メモに、アンタへ何度も確認した経緯が残っとった」


 麗華は一歩、近づく。


「最初に確認した時は、回答なし」


 さらに一歩。


「もう一回聞いても、説明を拒否」


 もう一歩。


「それでも川口さんは引かへんかった。決裁資料まで揃えて、もう一度アンタに突きつけた」


 築山の頬がわずかに引きつる。


「そこでようやく返ってきた答えが、“システム移行上の誤差”。さらに追及されたら、今度は“アドオン機能のエラー”」


 麗華は築山の目の前で足を止めた。


「ずいぶん都合のええシステムやな。アンタが困るたびに、違うエラーを起こしてくれるんやから」


 築山の唇が震えた。


「もう死んでしもたから、川口さんが何を考えとったか、全部は分からへん」


 麗華の声が僅かに和らぐ。


「でもウチは、アンタに思い留まってほしかったんやと思う」

「違う……」

「何が違うん?」

「アイツは、私を追い詰めた」

「ホンマに?」

「何度も何度も、同じことを聞いてきた。湘海とは何だ。あの支払いは何だ。夜間の搬出は何だと」


 築山の声が掠れる。


「それでも、すぐには上へ報告しなかった」


 足元の花が、また一輪開く。


「私に説明しろと言った」


 築山の目から、一筋の涙が流れた。


「今ならまだ、訂正できると」


 麗華は何も言わなかった。


「あの夜も……そうだった」


 築山の呼吸が乱れ始める。

 両手で頭を抱える。


「自分と一緒に、会社へ話しに行こうと言った。今なら、まだ間に合うと」

「それで、アンタは?」

「私は……」


 築山の脳裏に、五日前の倉庫が蘇る。

 冷たい床。

 川口の声。

 足元に転がっていた鉄パイプ。


「黙らせようとしただけだった」

「殺すつもりはなかった!」


 築山が顔を上げた。

 涙で濡れた目が、麗華へ縋る。


「脅せば、諦めると思った。資料を渡せと言った。それでもアイツは、私を連れて行くと言った!」

「せやから、川口さんに手ぇ出した」


 麗華が鎌をかける。


「違う!」

「何が違うん?」


 築山が言葉を詰まらせる。


「殴ったんか、突き飛ばしたんか、ウチは知らん」


 麗華は築山から目を逸らさない。


「けど、アンタが何かして、川口さんは動かんようになった。そうやろ?」


「……」


「そのあと、助けようとしたん?」


 築山が答えられない。


「救急車、呼んだん?」


「……」


「せえへんかったんやろ」


 麗華の声は、もう怒鳴っていなかった。

 その静けさが、築山の逃げ道をさらに狭めていく。


「アイツは、もう動かなかった」

「それで置いて逃げた」

「怖かったんだ!」

「川口さんは、もっと怖かったやろな」


 築山の膝が崩れる。床へ手をつき、嗚咽を漏らした。


「誰に言われたん?」


 麗華が尋ねる。


「最初に、この仕組みを持ってきたんは誰?」


 築山は首を振った。


「もう、何も――」

「ここまで話して、まだ庇うん?」

「庇ってなどいない。私が話せば、家族まで何をされるか」

「今、黙ったままでも狙われとったやん」


 新田の言葉を思い出したのか、築山の顔が引きつる。


 あなたにできることは、すべて終わりました。

 その後で、あなたも処分します。


「アンタはもう、使い終わった駒や」


 麗華は言った。


「黙ってても、誰もアンタを守ってくれへん」


 築山はしばらく口を閉ざしていた。

 しかし足元で咲く花は、もう閉じなかった。


「……青浜せいひん商事の敷島しきしま専務だ」


 観念したように呟く。


「医薬品・化学原料を扱う専門商社の専務取締役。最初にウチの上層部に話を持ち込んだのは、あの男だった。表向きは、運送委託契約だった」

「湘海は?」

「青浜から海都へ支払われた委託料には、毎回不自然な上乗せがあった。その一部を、湘海が物流改善費の名目で海都へ請求した。私が、その支払いを通した」

「その金が、アンタにも戻ってきた」

「そうだ」

「新田と平井にも?」

「おそらく、湘海から報酬が出ていた。私は詳しく知らない」

「荷物の中身は?」


 築山がまた黙る。


「知らんかった、で通す気?」

「最初は、特殊な化学原料だとだけ聞いていた」

「最初は?」

「途中で気づいた」


 声が、ほとんど聞こえないほど小さくなる。


「規制対象の薬物原料だと。新聞で押収された物質の名前を見た。搬出記録にあった品名と同じだった」

「それでも続けた」

「もう、戻れなかった」

「違う」


 麗華は即座に否定した。


「戻らんかったんや」


 築山の嗚咽が止まった。


「川口さんは、戻れって言うてくれたんやろ」


「……」


「アンタが、その手を振り払った」


 麗華は築山の前へしゃがみ込んだ。

 泣き崩れる男と、同じ高さで目を合わせる。


「その涙、ウチらに見せても意味あらへんで」

「私は、どうすれば……」

「警察で全部話し」


 麗華は立ち上がる。


「敷島のことも、湘海のことも、金のことも、川口さんを殺したことも」


 築山は床へ両手をついたまま動かない。


「娘さんの前でも、同じこと言えるん?」


 答えはなかった。

 麗華は背を向けず、その場に立ち続けた。

 築山がもう一度逃げようとしないように。

 そして、自分の口で罪を認めるまで。

 足元では、淡い花が静かに咲き続けていた。

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