第21話 最後の言葉への応援コメント
こんにちは。お邪魔します。
とてもよいお話でした。
でもいまどきこんな先生がいたらどうなるんでしょう。上から目線とか、古臭いとか言われちゃうんでしょうか? まあ話のしかたによるかなとは思うんですが・・・
作者からの返信
応援の言葉ありがとうございます。今どきの先生には似つかない言葉だらけだと思いながら書いていました。でも、子どもたちとの信頼関係があれば成り立つ言葉でもあります。子どもたちが先生の本気度を感じ取れば、ありうる世界だと思っています。少しでも先生方に考えてもらえればいいかなと思っています。おっさん先生シリーズは他にもありますので、読んでみてください。
編集済
第1話 だまっている子はきらいだへの応援コメント
芯があって導く意思と志がはっきりある先生ですね。
多くの生徒さんに恩師と呼ばれる素晴らしい人に思えます。
父の罵声と癇癪がトラウマな私は、恐怖で教室に入れなくなってしまいそうだけど……。
私のような子どもにはどう接してくれるだろうとちょっと気になりました。
追記
PTSDは特殊事例かもしれませんが、心の傷はすべて精神疾患ではないと思います。
食べる
眠る
歩く
話す
座る
どれをしても急に怒鳴られ罵倒され、かと思えば同じ状況でも機嫌よさそうである、という環境を生き延びた子どもは一定数いるように思います。幼いほど、親は「ちゃんと育てた、精神疾患などあるはずはない」と主張するので心の傷は誰にも見えません。普通の子に見えています。
一度の間違い(足音を立てた、視界に入った、親の癪に触ったらそれは「間違い」なのです)を絶対に許されず育った子どもは、間違う=世界の崩壊です。
学校から帰ればまた理不尽に怒鳴られる世界を0歳から生きて、外界の大人にも「唐突に怒鳴られる」経験をしたら、教師個人が怖いのではなく「外界は理不尽に満ちていて苦しい場所」と認識します。
存在していることを怒鳴られ、行動だけを褒められた経験によって「この人の機嫌をとらないと生きられない」という認識になり、表面だけ喜ばれる行動を空虚に繰り返します。
甘いだけの教師も、さすがにどうかとは思います。
でも私は、教師にこそ、「世界はあなたを受け入れているよ」と教えてくれる人だったらよかったなと思います。
「間違いを恐れるな」は、残酷な言葉です。なぜなら、そういう子は「自分が生きていること、存在していること、生まれたこと」が間違いだからです。自分が間違っているから、目についただけで怒られると思っています。
「間違っていてもいい、あなたはあなたでいい、そのままでこの世に生きていいと認められているよ」と教えてくれる人がいればよかったなと思います。
恐怖を与えれば思考は止まり、学習は消え、ただただ恐怖の回避のみを身につけてしまいます。
私は運悪く、自分の価値観に合わない子どもを自分の価値観に従わせ、従わないと屈服させるような教師が多かったです。
作者からの返信
率直なご意見ありがとうございます。以前(10年ほど前)、そういうふうに固まってしまった子どもがいました。その時間、ずっと黙りこくっていて休み時間にその子と話をしました。「まちがって人は成長するんだから、間違いを気にするな」と言った覚えがあります。次の時間に小声で発言することができたので、私はおおげさにほめたのを覚えています。今は教職から離れているので、懐かしい思いでです。子どもが精神疾患を患っていると知っている時は怒鳴らずに近くにいって聞いてあげるようにしました。そういう子もいました。