マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
まあ、人間はいつの世も他人より優位に立つことで安心を得る動物ですからねえ。
江戸時代に【えた.ひにん】という制度がありましたが、あれも国民の大多数を占める農民に『自分達より下がいるんだ』と安心させる制度です。
下衆ですが、理には適っているのが怖いと言いますか。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
確かに、人間は自分の立ち位置を他者との比較の中で確認しようとする生き物なのかもしれませんね。
「自分より下がいることで安心する」というのは、あまり褒められた心理ではないにせよ、多かれ少なかれ誰の中にも存在しているように思います。
そして現代では、学歴や収入、肩書、SNSの数字など、比較の材料だけが次々と入れ替わっているのかもしれません。
比較によって安心を得ようとする心理と、比較によって不安を抱く心理。その両方が人間らしさなのだろうな、と改めて考えさせられました。
興味深いご意見をありがとうございました。
マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
マウントという言葉が広がった下地に、わたしはかつてのアルティメット大会(現在のUFC)があるのではないかと思っている。
第一回アルティメット大会、グレイシー柔術が広く世に知られた大会だ。
バーリトゥード(なんでもあり)という、当時狂気とも思えるルールのなかで行われたその戦いで、マウントポジション(馬乗り)というものを目にした人のなかには、
「あんなものは、子どもの喧嘩のテクニックにすぎない」
という人も少なくなかったのを記憶している。
ただ、とにかく強い。その印象を強く植え付けることになった。
その次の衝撃は、ガードポジション。
彼らは下になっても戦い方を心得ていたのだ。
下になっているようで、巧みに上の人間をコントロールしていた。
マウントの次にひろがるべき概念は、このガードポジションではないだろうか。
上になっている人間を、下になっている人間がコントロールする術を身に着けた時、事態はよりいっそう面白くなると思うのです。
作者からの返信
これは面白いですねぇ。まさかマウントの語源からガードポジションまで話が広がるとは思いませんでした(笑)。
特に、
「下になっているようで、巧みに上の人間をコントロールしていた」
という部分には、ちょっとゾクゾクしますね。
私たちはつい「上にいる人が強い」「優位な立場の人が支配している」と考えがちですが、実際にはそうとも限らないんですよね。
本人はマウントを取っているつもりでも、実は相手の掌の上で気持ちよく語らされているだけかもしれない。
そう考えると、マウントポジションよりガードポジションの方が、よほど人間関係の本質を表しているような気さえしてきます。
マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
読んでいく途中に浮かぶ同僚などの仕事仲間の顔
恐らく誰しも経験があると思いますし、自らがそうしたマウント発言をしていると思う節にも当たります
なるほど、自己肯定感くらいしか考えたことはありませんでしたが、脆弱性。はっと思わされる深みを感じますね
特に昨今SNSの普及によって、多くは自分の生活・環境などのいわゆる自慢話が蔓延しているので、昔は暗数に過ぎなかったような話も枚挙に暇がない時代。それだけにそうした他者の話を受けた自分の感想、もとい心の持ちようをしっかりと考える機会を与えてくれるとてもよい話でした
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
「同僚などの顔が浮かぶ」というのは、まさに私がこの文章で扱いたかった部分でした。おそらく多くの人が「そういう人を知っている」と感じる一方で、自分自身もまた無意識のうちに似たようなことをしているかもしれない、という少し居心地の悪いテーマでもあると思います。
私自身も以前は単純に「承認欲求」や「自己肯定感」の問題として捉えていましたが、「脆弱な高自尊心」という考え方を知ったとき、単なる自慢や優越感だけでは説明しきれない部分が見えてきたように感じました。
また、おっしゃる通り、SNSによって他者の成功や実績が日常的に流れ込んでくる現代では、比較そのものを避けることは難しくなっています。だからこそ、「なぜ相手はそう語るのか」だけでなく、「なぜ自分はそれに反応するのか」を考える視点も大切なのかもしれません。
そうした点を感じ取っていただけて、とても嬉しく思います。ありがとうございました。
マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
なるほど…と刮目いたしました。
マウントを取る、取られる。
身近にいくらでも起きている現象です。
他山の石としたい。
ありがとうございました。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
身近な題材だからこそ、つい相手の言動ばかりに目が向いてしまいますが、振り返ってみると誰しも多かれ少なかれ「取る側」にも「取られる側」にもなり得るのかもしれません。
私自身、この文章を書きながら他人のことだけではなく、自分自身の振る舞いについても考えさせられました。
「他山の石としたい」というお言葉に、まさにこの文章の意図を汲み取っていただけたように感じます。
こちらこそ、お読みいただきありがとうございました。
マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
面白かったです。
私が読み切れていないだけかもしれませんが――
例えば、
・部長が新人に仕事の成功体験を話す。
・医師が患者に「私はこういう症例を診てきました」と話す。
・東大や早慶卒の人が同僚に学生時代の思い出を話す。
こういったことも、
繰り返し行われる場面は多いように思います。
その場合、受け手によってはマウント行動と感じることもありますが、
話し手にはその意図がないこともありますよね。
ん? でも感じさせたらマウント行動になっちゃうの?
でも、例えば飲み会の度に、
いつの間にか部長の成功体験や昔話に相槌を打っていたら、
「あれ、これってマウントなのかな?」とも思ってしまいます。
ただ、マウント取るまでもなく上司ですからね。
そもそも、部長は本気で新人を指導しているつもりかも知れません。
もしかしたら、
「マウント」という言葉の定義自体が、
案外難しい言葉なのかもしれませんね。
受け手がマウント行動されたと感じると、
イラッとしたり、悲しくなったりしますし……。
ただ、知る限りでは、
そもそも「マウント」という言葉が比較的新しい言葉でかつ、
とても便利なので、定義が曖昧なまま、
それぞれが想い想いに使っているのかな、とも感じます。
こうした"便利"な言葉を使ってラベリングすることで、
私たちは日々、自分なりに感情を整理しているのかもしれませんね。
感想になっていないかもしれませんが、
いろいろと考えさせられる良い論説でした。
ありがとうございました(=^・^=)
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
まさにご指摘の通りで、「マウントとは何か」という定義自体が意外と難しい問題なのだと思います。
私も執筆中に考えていたのですが、同じ発言であっても、話し手の意図・文脈・頻度・受け手との関係性によって受け取られ方は大きく変わります。
例えば、部長が新人に成功体験を語る場合でも、それが指導や経験の共有として機能しているなら、必ずしもマウントとは言えないでしょう。一方で、会話のたびに話題が自分の実績や経歴へ収束し、優位性の確認が主目的になっているように見える場合には、マウントと受け取られることもあると思います。
その意味では、「マウント」は客観的に線引きできる行動というよりも、話し手の意図と受け手の解釈が交差するところに生まれる概念なのかもしれません。
また、おっしゃるように、この言葉自体が比較的新しく便利であるがゆえに、人によって指している範囲もかなり異なります。単なる自慢話を指す人もいれば、露骨な優越性の誇示だけを指す人もいます。
ですので、この文章も「何がマウントか」を断定するというより、「なぜ人は優位性を示したがるのか」「なぜ私たちはそれに反応するのか」を考えるための一つの視点として読んでいただければと思っています。
こちらこそ、とても興味深いご感想をありがとうございました。私自身、改めて「マウントという言葉そのものの曖昧さ」について考えさせられました。
マウント行動の背景にある心理 ― 自己価値を守るための営みへの応援コメント
ふぅ……気づいたら読み終わってました。あ、私、読むの早いみたいで。ちょっと人と違うっていうか。昔から処理速度が高いみたいで(笑)というか、そもそもタイトル見た瞬間ビビッときちゃってました。妙に鋭い?っていうか、そういう勘が働いちゃうタイプなんですよね。なんでだと思います?センスっていうか、妙に出来ちゃう。すぐ気づいちゃうんですよね。
あ、ちなみにこの話は子供の頃によく考えてました。小さい時からなんかそういうの得意で。なんか周りから神童?とか呼ばれてて困ってました。
私の考えた話に近くて、めっちゃ面白かったです!
作者からの返信
なるほど、見事にマウントを取ってこられましたね。
記事の内容に照らして考えるなら、ぐれましゅしゃんさんも脆弱な高自尊心をお持ちなのかもしれません。
……というのはもちろん冗談ですが。