第22話

『今日も残業で遅くなりそうです!ごめんなさい〜先に晩ご飯食べててください!』


 時刻は21時を回ったところ。

 退勤する人よりも飲み会終わりの人が多くなった電車に揺られていると、泣き顔のスタンプと共に小春からチャットが飛んできた。


『最近忙しそうね〜』


 風邪から復帰して1週間あまり、桜乃小春は多忙を極めていた。

 まぁ私も私で繁忙期でもないのにこんな時間まで残ってるから、正常ではないんだろうけど。


『人事説明会前っていつもこうなんですよ……毎年やってて翌年への反省も残してるはずなのに、なぜか予期しないことが次々と……』


『ま、仕事あるあるね』


 昨年なんとか終えた仕事が今年も降り掛かってくる。

 1年に1回しかしない仕事だと、記憶なんてものは何一つないのだ。


『だから当分は遅くなりそうです、私は適当にコンビニでおにぎりでも買って仕事中に食べるので、先輩は美味しい美味しいご飯を食べてください……あ、あと!』


 言葉の端々に羨ましさが滲んでるのは気のせいだろうか。

 まだまだチャットの文章は続いている。


『多分帰ったらぺしょぺしょになってるので、たくさん慰めてください』


 いつも甘やかしてる……特に最近風邪ひいた時なんてあれだけ甘やかしたのに、まだ足りないと仰せだ。

 さすが我が社きっての妹キャラ、わがままプリンセスは伊達じゃない。


『はいはい、もうすぐ最寄りつくから帰りにお酒買っとくから』


 どうせ小春なんてお酒を与えとけば大人しくなるのだ。

 熱が出て飲めなかった分、飲酒欲が溜まっているだろう。


『ちーがーうー!や、ちがわないんですけどちがいます!』


『だって慰めてほしいって』


『こういう時はぎゅっとしたり頭撫でたり甘い言葉を囁いたりするんです!』


 欲望がダダ漏れすぎでしょ。

 いくらプライベートのチャットだからって、それ周りに人いないわよね?

 見られたら一巻の終わりよ。


 そうこうしているうちに最寄り駅のアナウンス。

 あんまり小春の仕事の邪魔しちゃ悪いし、適当なところで切り上げよう。


『覚えてたらね〜』


『それ!!!適当な返事!!!帰って抱きつきに行ったら冷たい目で「なにしてんの、小春」とか言われるやつだ!これ言質ですからね、スクショもしました!あーー!私は帰ったらゆき先輩に甘えまくります!』


 荒れてるわね……ここまでひどいと、人事説明会の当日が怖くなってきたわ。

 私座ってるだけでいいのよね……?


 少し背中に冷たいものを感じながら、私はエスカレーターへ足を踏み出した。



 もう何千回繰り返したかわからない所作で鍵を回せば、ガチャっとずっしりした音と共に手に重さがかかる。


「ただいま〜」


 普段だったら飼い犬よろしく、奥の扉から彼女が走ってくるのに、今日は静かだ。

 部屋に漂う香りは、いつの間にか「自分の家」の香りになっていて。


 電気をつけてキッチンへ。

 ごそごそとレジ袋の中から缶ビールとチューハイを取り出して冷蔵庫の中へ。

 あの子、意外と甘い系じゃなくて苦い系が好きなのよね、ライムとか。

 会社の飲み会では甘いお酒ばかり飲んでるから、口が苦いのを求めてるとのこと。彼女らしいと言えば彼女らしい、私にはできない処世術である。


「ま、小春は小春で大変だろうけど」


 外の世界と関係を繋ぐということは、煩わしいことも増えるわけで。

 私は極力会社の人とはプライベートで関わらないようにしてるから、いつかの営業部の人に誘われるみたいなことがたまーにあるくらいだけど、小春に関して言えばその比じゃないだろう。


 時計を見れば22時前、さっさとご飯食べて寝る支度をしないと。

 自分用に買ったしなしなのサラダと半額の茄子の揚げ浸しを見て笑ってしまう。

 私、小春がいないとこうなるのか……。

 今は冷凍ごはんをレンジに入れることすら面倒だと思ってしまう。


 どれだけ生活を彼女に頼っているかを否が応でもわからさられる。

 小春はよく「先輩のいない生活なんてもう無理です〜」なんてかわいいことを言ってくれるけど、それは私も同じなのだ。

 恥ずかしいから口にはしないけどね。


「早くかえってこーい」


 椅子に座って小さく呟いた言葉は、静かな部屋を反射して私の耳へと返ってくる。


「やっぱり私、小春がいないとだめみたい」


 夜だから。きっと夜だからに違いない。

 気持ちがどうにも前へ向かない。この数分で、「こんなとき彼女がいれば」と何回思っただろう。


 今頃へとへとになっている彼女のことを思いながら、鳴らないスマホを後ろ向きにテーブルに置いて、私はコップにお茶を注いだ。

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