第1話 新人鑑定士、春日井さくら

――神格鑑定局滋賀支局


「ここが調査課の部屋ね。失礼します」


 春日井さくらは、晴れやかな顔で念願の調査課の扉を開いた。

 事前に聞いていた通り、今日は調査課のほとんどがフィールドワークに出ているらしく、出迎えてくれる人間はいない。

 支給品を渡してくれるはずの事務員の姿もなかった。


「人手不足って聞いてたけど、それにしたって程度ってものがあるでしょ」


 誰もいないとひとり言が増えるなと自嘲しながら、さくらは部署を適当に眺めた。


 資料が山積みにされている机。

 デスクトップPCとモニターに付箋がたくさん貼られている机。

 何かよく分からないものが置かれ、少し隔離されている机。

 机ごとに座っている人の個性が見える。

 明らかに準備されたと思われる綺麗な机に座り、研修中に配布されたスマホとノートPCを置いた。

 スマホに業務メールが送られてきていたのだが、添付された資料は局のネットワークからアクセスしないと見れないようになっているらしい。


「こういうところ、不便じゃないかしら」


 さくらは愚痴を言いながら、メールを開く。メールの送り主は調査課の課長だ。


『配属初日に誰も出迎えられず、本当にすみません。

 配属早々で申し訳ないのですが、現地にいる調査員と協力して、事件調査をお願いします。詳細は資料に記載されています。

 事前調査での危険度Cと比較的低いため、二人なら問題ないと判断しますが、十分に注意して調査にあたってください』


 メールには地方都市で発生した神格事件の概要が記載されている。

 被害報告は七件、被害者はいずれも黒髪の女性だ。

 症状は、顔がなくなるというもの。特記事項として、被害者の存在が希薄化がみられる。


「希薄化? 詳細は、……資料にも書かれてないみたいね」


 さくらは希薄化という点が気になり、PCを操作してデータベースから過去の事件を探す。

 顔がなくなるという症状に近い事件は複数件現れたが、存在の希薄化という症例は見られなかった。


「既知の神格が変化したか、あるいは未知の神格か。どちらにしても、調査課の初仕事としてやりごたえは十分ね。承知しました、っと」


 左手で自身の黒髪を撫で、課長にチャットを送り返す。

 すぐさま返信メールが送られてきた。

『健闘を祈ります』という簡素な返信メールに、さくらはほほ笑む。

 いつでも見れるようにと資料をダウンロードしてスマホに転送し、ノートPCを閉じた。


 現地へと向かうため、ドアを開けて廊下に出る。しかし、さくらは中に入ろうとしてきた男性とぶつかり部屋へと押し戻された。


「おや、失礼。人がいると思わなかった」


 男性は手に持っていた資料を床に置くと、突き飛ばしてしまったさくらに手を伸ばした。

 さくらは申し訳なさそうな表情を浮かべる男性の手を取り、立ち上がる。


「いえ、私も気づかずすみません。それも神格事件の資料ですか?」


「いやいや、これは決算とか備品購入関連の書類。課長のハンコをもらいに来たんだけど、珍しく誰もいないみたいだね」


「ですね。でも、人がいると思わなかったって言いませんでした?」


 さくらは首を傾げながら問いかける。男性は「言ったよ」と頷いた。


「扉の前に人がいると思わなかったからね。今の時間だと、普段は課長がデスクに座っているし、天野くんって金髪の男性が手前の机で開発室が作った道具をいじってるはずだ」


 男性はそう言って笑った。そして、そのまま資料を持ち上げると奥にある机の上に置く。

 さくらは書類の束が置かれるのを黙って見つめる。男性は書類を置くと、まっすぐ戻ってきた。

 自分から目を離さなかったさくらの姿に男は口元をほころばせた。


「ハンコ、もらいにきたんですよね。メモとか置かなくていいんですか?」


「まず疑うこと、その姿勢はいいよ。大事にした方がいい。

 この世界は慣れてくると危険だからね。見知った顔でも疑ってしかるべきだ」


 さくらの問いかけに答えず帰ろうとする男を「待って」と呼び止める。


「……名前を教えてもらってもいいですか?」


「もちろんさ」


 男性は懐から鑑定士の免許証と名刺を取り出すと、名刺をさくらへと手渡した。


「混沌対策課のナナシと申します」


「混沌対策課? 聞いたこともない部署ですね。それに名前が書かれてない」


 さくらは怪訝な顔で名刺を見る。裏返したり、名刺を透かして見るさくらに、ナナシは笑いながら鑑定士免許をポケットにしまった。


「ああ、今はない部署だからね。

 二十五年ほど前に再編されてなくなったけど、僕は昔の肩書をそのまま名乗らせてもらってる。思い入れがあるからね」


「名前が空白なのは、なぜですか?」


 さくらの指摘に、ナナシと名乗った男は胸を張った。


「この肩書を使うのは、今となっては僕だけだ。なら、肩書がすでに名前みたいなものさ。

 肩書だけで名前がない。だからナナシ。面白いと思わないかい?」


 ナナシの説明にさくらは呆れた顔で首を振り、名刺を財布のカードホルダーに差し込んだ。

 ナナシは「面白くなかったかい」と悲し気にトーンを落とした。

 話せば話すほど、疑っている自分がばかばかしくなってくる。


「変な人ですが、鑑定士なんて変人ぞろいで有名ですからね。

 あっ、私は調査に行かないといけないので、これで失礼します」


 さくらはナナシに頭を下げ、調査課の部屋から今度こそ出て行く。

 さくらの背を見つめるナナシの視線に気づかぬままに。

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