23. 告発の懸念
宿の部屋に戻ると、リコリスは壁際の寝台に座ったまま動かなかった。フードを下ろしてもいない。
ヴォルクは水差しで杯を満たし、卓に置いた。
「飲め」
リコリスは小さく頷いて杯を手に取ったが、口をつける様子はない。指先が白くなっている。
ヴォルクは窓際の椅子に腰を下ろし、ローワンのことを考えた。
反証者として列聖を止めるのなら、悪い話ではない。リコリスが崇拝され、祭り上げられる構図は最初から気に入らなかった。目立つわけにはいかず、定住もできない。前評判はない方が身軽でいられる。
問題は、ローワンがリコリスの素性を知っていることだ。偽名を使っていること、奇跡が聖性ではないこと。教会の中に正体を知る人間がいる。後々まで残る脅威である。
ローワンが次に何をするかは読めない。反証者の職務に徹して審査を終わらせるのか、弟として接触してくるのか。聴取の場では私情を見せなかったらしいが、今後の動きによっては邪魔でしかない。
「ローワンは祖国での俺たちを知っている。告発されると思うか」
リコリスの指が杯の縁で止まった。
「……わからない。兄上は、父上と母上のことがあってから、僕のことを憎んでいたから」
最悪のケースは、故郷で火刑にされかけた悪魔だと声高に叫ばれることだ。悪魔は教会と相性が悪すぎる。
ヴォルクは杯の水を一口飲んだ。
リコリスはただの人間だ。しかしヴォルクとローワンを除き、大抵の場合は関わった者に破滅をもたらす。被害者にとってみれば堪ったものではないだろう。
ただし、無差別ではなく、パターンは見えてきている。ヴォルクはこれまでの日々を思い返した。
祖国の被害者たちは、リコリスの自由を奪ったり、惚れ上げて迫ったり、物理的に害したりしていた。「報復」といっても差し支えがないと思ったのだ。
その仮説のもと、雪の国で顔を出さない生活をさせていた頃は何事も起こらなかった。ヴォルク経由でリコリスとやり取りしていたグリシャも生き残っている。
リコリスを誘拐し皇城に軟禁した皇帝は明確に害され、世話をしていた女官のアンナは無事だった。
この検証をリコリスには話していない。いつかは本人も気づくかもしれないが、そうなれば恐らく引き篭もろうとするだろう。
ヴォルクはリコリスに不自由に生きていてほしいわけではなかった。だから余計なことは伝えない。
しかし、検証したことを思い返すに、呪い返しと同じ構図だ。原因の見えない天災よりも質が悪いし、怨みを買いやすい。
「最後は、兄上にとって僕は弟じゃなくて、処刑された方がいい人間になっていた」
リコリスの声は平らだった。泣くような段階はとうに過ぎていて、事実を述べているだけの調子だった。
「レオーネに報告する」
銀の瞳がすがるようにヴォルクを見た。
「お前の兄だということは言わない。反証者の動きを、組織として把握しておく必要がある」
「世話になりっぱなしで、ごめん、」
その言葉にヴォルクが片眉をあげると、リコリスは言い直した。
「じゃなくて、……ありがとう」
故郷を出奔した夜に言ったことを守れるくらいには、成長している。
ヴォルクはその頭を軽く叩いた。
「寝ろ」
リコリスは杯を卓に戻した。やはり、口をつけた痕跡はなかった。
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