傾国銀花と黒狼王子の焦土紀行
藤ノ木彩
鴉の国の序章
1. 祝福
エルダーウッド伯爵家の屋敷の裏にある丘の上にはいつも風が吹いていて、リコリスの銀色の髪を好き勝手に散らした。麓の町から離れた場所で人気がない。大人は好んで登りたがらないから、この丘にくるのはたいてい子供ばかりだった。
隣に座るヴォルク・レイヴンシュラークは風に流れるリコリスの銀髪を指で掴んでは離している。引っ張るのではなく指の間から滑らせているだけなので痛くはない。「ぼくの髪、気に入ったの」と言ってみた。
「出入りの商人がもってくる布に、にてる」
ヴォルクは笑い混じりにそう言って手を離さなかった。同い年なのにひとまわり身体の大きい少年は黒い短髪を風に逆立てている。指の間を滑り落ちる絹の手触りが面白いらしかった。
夕暮れが近づいた頃、麓の方から声がした。
「リコリス! ヴォルク殿下!」
兄のローワンが草を掻き分けて丘の斜面を登ってくる。栗色の髪が汗で額に貼りつき、息を切らしていた。
「母上が呼んでいる。日が落ちる前に帰れって。……また草だらけじゃないか」
頂上まで登りきったローワンの手がリコリスの肩に乗った枯れ葉を取り去ろうとして伸ばされたところで止まった。視線はリコリスの背後に向いている。
リコリスがローワンの視線の先へ振り向くと、丘の頂の平たい石に何かが座っていた。
子供より小さいのか大人より大きいのか、見るたびに印象が変わる。光を透かしたような肌に、くすんだ枯葉色の瞳がこちらを見下ろしていた。夕暮れの陽の加減で金にも灰にも土にも見える色だった。手の指を数えようとすると分からなくなり、足元を見ても影が地面に落ちていない。
人間ではないことが、不思議とはっきりわかった。
『きれいだね』
口が動いた様子はないのに、声だけが石の上から降ってきた。身を乗り出した『それ』はリコリスの髪に手を伸ばした。ヴォルクが掴んでいた房をすくい上げ、指に巻きつける。流れるような動作で、甘い匂いがした。
誰も動けなかった。
『あげるね』
リコリスの額に冷たい唇が触れた。
『きみにはこれ。きれいだから、似合うものを』
何を、と訊き返す間もなかった。もう隣のヴォルクに目が移っている。
『きみも。ついでに』
同じことをされたヴォルクは声も出さずに固まっていた。目の前の存在の異質さは、五つの子供にも伝わったのだろう。
最後に、斜面で立ちすくんでいたローワンに視線が向けられる。
『あ、もうひとり。きみにも』
笑い声がして、ローワンは後ずさろうとして足がもつれていた。枯葉色の瞳が愉快そうに細まるのを、リコリスはただ見ていた。
石の上にはもう誰もおらず、夕暮れの風だけが草を揺らしていた。
三人はしばらく黙っていた。
「……なんだ、あれは……」
総毛だったローワンが絞り出すような声でやっと口を開いた。ヴォルクがリコリスの方を見る。
「わかるか」
「わからない……」
リコリスは首を傾げた。額にはまだ冷たいものが薄く残っている気がする。
「帰ろう」
ローワンが先に歩き出した。弟の手を引こうとして、一瞬迷って、結局引かないまま草の中を下り始める。ヴォルクがリコリスの隣に並んで、三人で屋敷へと向かった。
背中に夕日が当たり、三つの影が斜面に長く伸びていた。
何をもらったのか、まだ誰も知らない。
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