第40話 生命を巡らせる者


«「救うとは、苦しみを消すことではない。その苦しみを一人で背負わせないことである。」»


 生命の泉が激しく揺れる。


 黒く濁った水面から無数の蔦が噴き出し、周囲の木々へ絡みついていく。


「逃げて……!」


 泉の奥から、フローラの悲痛な声が響いた。


 漆黒に染まった長い髪。


 全身を締めつける黒い蔦。


 それでも彼女は最後の意識を振り絞り、シッダたちを逃がそうとしていた。


「私は……もう……!」


「まだだ!」


 シッダは叫んだ。


「《徳眼》は『救出可能』って言ってる!」


「だったら、僕は諦めない!」


     ◇


 次の瞬間、巨大な黒い蔦がシッダへ襲いかかった。


「シッダ!」


 ガレスが割って入る。


 大剣を横薙ぎに振るい、蔦を弾き飛ばした。


「お前はフローラを助けろ!」


「こっちは俺たちがやる!」


 リーナの矢が飛ぶ。


 蔦そのものではなく、地面へ突き刺さった根元を正確に射抜いた。


 ノエルも杖を掲げる。


「《浄化結界》!」


 白い光が仲間たちを包み、黒い瘴気を押し返していく。


 ミラとバルドはリーフを守りながら退路を確保する。


「シッダ!」


 リーフが叫んだ。


「お姉ちゃんをお願い!」


「うん!」


 シッダは泉へ飛び込んだ。


     ◇


 冷たい。


 だが、それ以上に――苦しい。


 水へ触れた瞬間、無数の感情がシッダの中へ流れ込んできた。


 悲しみ。


 怒り。


 恐怖。


 そして絶望。


 それはフローラ一人の感情ではない。


「これは……。」


 森で命を落とした動物。


 切り倒された木々。


 争いで傷ついた精霊。


 何百年にもわたって生命の泉へ流れ込んだ「痛み」だった。


 フローラは、それをすべて受け止め続けていた。


     ◇


 泉の底。


 フローラが黒い蔦に包まれている。


 シッダは必死に泳ぎ、彼女の手を掴んだ。


 その瞬間、景色が変わった。


 気がつくと、シッダは暗闇の中に立っていた。


 目の前には、本来の姿のフローラが座り込んでいる。


「ここは……?」


「私の心の中。」


 フローラは静かに答えた。


 その顔には深い疲労が刻まれていた。


「私はずっと、森の痛みを受け止めてきた。」


「泉を清らかに保つために。」


「みんなが笑っていられるように。」


 シッダは黙って話を聞く。


「でも……。」


 フローラの目から涙がこぼれる。


「誰も、私の痛みを受け取ってくれなかった。」


「精霊だから。」


「守護者だから。」


「耐えるのが当然だと思っていた。」


 シッダは静かに彼女の隣へ座った。


「だったら、僕にも分けて。」


 フローラが顔を上げる。


「え……?」


「全部一人で背負わなくていい。」


「僕だけじゃない。」


「リーフもいる。」


「僕の仲間もいる。」


「森のみんなだって、本当のことを知ればきっと力を貸してくれる。」


 フローラは首を横に振る。


「無理よ。」


「この苦しみは……重すぎる。」


「一人ならね。」


 シッダは微笑んだ。


「でも、百人で分けたら?」


 フローラの瞳が揺れた。


     ◇


 その瞬間、《因果システム》が現れる。


---


《因果システム》


第三封印地の本質を確認。


《深緑の聖域》が象徴する徳――


《調和》


条件を満たしました。


新規徳技を解放します。


《生命共環》


生命同士を一時的に接続し、


痛み・負荷・生命力を分かち合います。


発動しますか?


---


 シッダは迷わなかった。


「発動。」


     ◇


 現実世界。


 シッダの木札から緑と黄金の光が放たれた。


 光は泉を飛び出し、森全体へ広がっていく。


 リーフ。


 ガレス。


 リーナ。


 ノエル。


 ミラ。


 バルド。


 レン。


 エルフの村。


 動物たち。


 草花。


 そして世界樹。


 無数の命が、細い光の糸でつながっていく。


「これは……。」


 レンは胸へ手を当てた。


 フローラの痛みが、ほんのわずかに伝わってくる。


 長老も目を閉じた。


「そういうことだったのか……。」


「我々は、守護者に守られることばかり考えていた。」


     ◇


 森の至るところで、人々が世界樹へ手を触れ始めた。


「少しでいい。」


「俺にも分けてくれ。」


「私たちの森でしょう?」


 子どもたちも手をつなぐ。


 精霊たちが光となって舞い上がる。


 森そのものが、一つの巨大な生命のように脈動し始めた。


---


《因果システム》


《生命共環》成立。


参加生命数:測定不能。


フローラ侵食率


76%



61%



43%



18%


---


「お姉ちゃん!」


 リーフの声が響く。


     ◇


 泉の底。


 フローラを覆っていた黒い蔦に亀裂が走る。


 パキッ。


 一本。


 また一本。


 黒い蔦が光の粒となって消えていった。


 そして――。


---


侵食率:0%


《生命の大精霊 フローラ》


完全浄化。


---


 フローラの髪が漆黒から鮮やかな緑色へ戻る。


 閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。


「温かい……。」


 涙が水の中へ溶けていく。


「これが……みんなと繋がるってことなのね。」


 シッダは笑った。


「おかえり。」


     ◇


 二人が水面へ浮かび上がる。


「お姉ちゃん!」


 リーフがフローラへ飛びついた。


「リーフ……。」


 二人の精霊は強く抱き合う。


 その瞬間、生命の泉から黒い濁りが消えていった。


 透明な水。


 芽吹く草花。


 枯れかけていた木々にも、新しい葉が生まれる。


 世界樹が眩い緑色の光を放った。


 森中から歓声が上がる。


     ◇


 しかし。


 シッダだけは表情を変えた。


 《徳眼》が、泉の底に残された小さな「黒い種」を捉えていたからだ。


---


《因果システム》


警告。


《生命の泉》の主要汚染を浄化。


しかし――


第三封印地への外部干渉は継続中。


汚染源とは別の因果反応を検知。


---


「まだ……終わってない。」


 シッダが呟く。


 フローラも泉の底を見つめた。


「これは……ノクスの力じゃない。」


「え?」


 シッダが振り返る。


 フローラの顔から笑みが消えていた。


「もっと古いもの。」


「この森が生まれるより、ずっと前から眠っていたものよ。」


 その瞬間。


 泉の底にあった黒い種が――。


 ドクン。


 心臓のように脈打った。

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