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  • 静かな男への応援コメント

    拝読しました。
    私は、言い切られないまま残る余白や、言葉の置かれ方に魅力を感じる読者です。本文の中で言葉や構造、思想がどのように働いていたかを辿りながら、私なりに受け取ったことを書いています。ひとつの読みとしてお受け取りいただければ幸いです。


    清水との最後の夜、語り手は最初から何も言えなかったわけではなく、家に上がるよう勧め、葉巻を渡し、自分の話をし、清水の近況を尋ねています。それまで言葉を交わしていたからこそ、清水が自分の失敗や貧しさ、この先に何が残るのかわからないことまで語ったあと、語り手の喉が急に締まり、こちらまで胸が締め付けられるようでした。その場面が重く残りました。

    何かを言おうとしても、言葉にすらならない。清水が去ろうとしたときには手を伸ばしたのに、そこにも「分厚い透明な壁」があるように感じて、結局触れられない。

    そのあと女房が言う、「また会いましょうとか、そういう簡単なものでいいんですよ」という一言が、とても痛かったです。大きな答えではなく、ただ次を約束するだけの短い言葉。それさえ、あの場では返せなかったのだと思いました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    特に印象に残ったのは、何度も置かれる「手」です。

    清水へ伸ばしながら触れられなかった手

    遺体を囲み、奥さんが泣き崩れ、女房がその背を支え、主人が口を固くしている中で、語り手がぼんやりと見つめていた自分の手

    そのあと、奥さんと女房が台所へ向かい、主人も部屋を出て、静寂が戻ってから、語り手は木箱へ手を伸ばします。清水の身体へは届かなかった手が、今度は清水の残した原稿用紙を一枚ずつ辿っていく。ただ、紙に触れることと、清水本人に触れることは、最後まで同じものにはなりません。

    木箱の一番上には、清水らしい几帳面で丁寧な文字による一行の遺書がある。その下には、初めは力強い文章の書かれた原稿があります。さらに読み進めると、皺のあるもの、文字が震えるもの、文が切れたもの、とうとう乱暴に破られたものへと続いていきます。

    そして箱の底にあった、黒い原稿用紙

    升目を無視し、枠外まで文字が飛び出し、「白いところが見えない程書き込まれ」ているのに、その乱雑な文字はほとんど読むことができない。

    わずか一行で、読むことのできる遺書
    文字で埋め尽くされながら、読めない黒い紙

    その二つが、同じ清水の残した文字でありながら、まったく違う置かれ方をしていることが気になりました。

    黒い紙を持つと、シミは語り手の指先から手のひら、手首へ広がっていく。ここでも、再会した夜の清水の、インキで黒くなった指と手首が思い出されます。さらに清水の濁った黒い瞳、白い部分を失った紙、語り手の手に現れる黒いシミへと、「黒」という色が別の場所に繰り返し置かれていきます。

    けれど、それが何なのかは書かれません。

    語り手はシミをすぐにでも落としたいと思いながら、黒い紙を離す方が「何十倍も重い罪になるように感じ」て、そのまま持ち続けます。シミは落としたい。それでも、紙を離すことはできない。その二つが、どちらか一方に片づかないまま置かれているようでした。

    そして、文字そのものは読めないのに、語り手は感じます。

    「直接身体の内側に、その叫びが響くようでした」

    読めた言葉ではなく、語り手の身体の内側に響くように感じられた「叫び」です。
    主人の足音が近づくと、語り手はその黒い紙をとっさに懐へ隠し、何でもないと答えます。
    ここで、黒い紙だけが、ほかの原稿とは別の経路へ移されたのだと思いました。

    語り手は、その「叫び」を清水の「無念」と考えます。ただ、すぐに出版社へ向かったわけではなく、葬儀のあとも原稿に手をつけず、頭を痛めていた時間が置かれています。
    その逡巡のあと、清水の作品を出版社へ持ち込みます。

    作品は本になり、「悲劇の作家」が残したものとして、一行の遺書とともに世間へ知られていきます。

    出版されたという事実は、確かに残ります。

    一方で、木箱に入っていた原稿のどこまでが出版社へ持ち込まれ、どこまでが本になったのかは書かれていません。あの黒い紙が出版された作品に含まれたのか、それとも含まれなかったのかも、本文からはわからないままです。

    そして本文では「念願の本」と呼ばれていても、清水が死後に作品を公にしてほしいと語った場面はありません。
    黒い紙から感じた「叫び」が何を意味していたのかも、最後まで言葉にはならない。

    だから、「本当にこれが彼が望んだものなのだろうか」という問いが、出版のあとに置かれていることが大きいのだと思います。

    語り手自身も、その行動を「今思えば、あれほど自分勝手な行動はない」と振り返っています。
    清水の作品は、本になった。しかし、それが清水本人の望みと重なっていたかどうかは、確認されないままです。

    言えなかった一言が、本によって言えたことになるわけではない。清水の身体へは、生前も、亡くなったあとにも、結局触れられないままです。女房は清水の手に触れますが、語り手は「やはり最後まで触れずじまいでした」。

    公になった遺書と作品がある。その隣に、ほとんど読むことのできない黒い紙があり、語り手はその存在について誰にも話していない。

    社会に知られた「悲劇の作家」という像と、語り手の手に黒いシミを残した紙。どちらも清水に結びついているのに、一つの清水像には重なりません。作品が本になったあとにも、清水が何を望んでいたのかはわからないままです。


    最後まで触れられなかった手
    離すことのできなかった紙

    読み終えてからも、その間にある距離が残り続けました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    とても熱量のある感想で大層感激いたしました。
    書いた本人にも新たな発見のきっかけとなりました。
    この度は最後までお読みいただき、ありがとうございました。