幸せな日々

「……暗い話になってしまいましたわね」


 ハルカが申し訳なさそうに膝の上で両手を重ねた。


「いや、聞けてよかった。ありがとう」


 この話はここで終わりにして、食事が済んだぼくたちは食卓を離れてリビングのソファーへ移った。

 隣に腰を下ろしたハルカは、ソファーにもたれながらゆっくりと瞬きをしていた。


「眠い?」


「いえ……」


 ハルカは姿勢を正してぼくを見た。


「カナタさんは命を懸けて私と街を助けてくださいました。それに、今日はこんな素敵なお料理までいただいて……私も何か、お返しをしなければと思うのですが」


 ぼくは軽く笑って首を振った。


「この家はハルカが創ってくれたものじゃないか。それだけで十分すぎるよ」


 ハルカはそれでも何か言いたそうにしていたが、


「でしたら……」


 遠慮がちな視線を向けてきた。


「また、お料理をいただきにこちらに伺ってもよろしいでしょうか?」


「もちろん」


 ぼくは即答した。


「いつでも来てよ。自分の家だと思って……いや、本当にハルカが創った家なんだけど」


 ぼくが笑いながらそう答えると、ハルカも小さく吹き出した。


「ふふっ。そうでしたわね」


「紅茶、淹れ直してくるよ」


 お湯を沸かし、温かい紅茶を二人分用意してリビングへ戻る。


「ハルカ──」


 呼びかけようとして、思わず言葉を飲み込んだ。

 ハルカはソファーにもたれたまま、静かな寝息を立てていた。

 穏やかな寝顔だった。

 昨日から徹夜で壁を描き続けていたのだ。無理もない。

 ぼくは起こさないよう、そっとハルカを横たえて、毛布を掛ける。


「……今日は、ゆっくり休んで」


 その小さな呟きに返事はなく、規則正しい寝息だけが聞こえた。


   ◇ ◇ ◇


 翌朝。


「も、申し訳ありません!」


 目を覚ましたハルカが、飛び起きるように立ち上がった。


「私としたことが、お邪魔したまま眠ってしまうなんて……」


「気にしなくていいよ。それより、ぐっすり眠れた?」


「はい、それはもう……」


 そこまで言って、ハルカははっと口を押さえる。


「……ではなくて!」


「眠れなかったの?」


 ぼくは思わず吹き出す。

 ハルカは少し恥ずかしそうに呟いた。


「カナタさんがいてくださったので、安心して眠れましたわ」


「それはよかった。でも、逆に危険だった、って可能性もあるよ」


 ぼくは冗談半分で返す。


「ぼくだって一応、男なんだし。つい出来心で……みたいな」


 ハルカはきょとんとした表情でぼくを見つめ、改めて答えた。


「それでも、安心ですわ」


「え?」


「だって、カナタさんですもの」


 その意味を捉えかねて、今度はぼくがきょとんとした顔をしてしまう。


「何かおかしなことを申しましたか?」


 ハルカは首を傾げる。


「いや……」


 詳しく聞き返すこともできなかった。


 それからというもの、ハルカは時間を見つけては、ぼくの家を訪れるようになった。


 ぼくは料理を作り、二人で食卓を囲み、他愛もない話をする。

 黙って紅茶を飲むだけの日も悪くない。

 そんな穏やかな時間が、いつしかぼくたちの日常になっていた。


 それは、ぼくがこれまでの人生で手にした、どんな喜びよりも尊い時間だった。

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