第2話 寝たら大概全部忘れる。
一晩寝て、普通に気持ちが落ち着いた。
よくよく考えたら、俺とアリスさんは電子の海を通しただけの関係で、リアルで会うことなんてない。物語の中であるような、偽物から本物に昇華するなんて恋路を辿ることはあり得ないのだ。昨日は気が動転して夢を見過ぎていたのかもしれない。
そんなこんなで平常心に戻った俺は学校に来た。
あんなにアリスさんを意識してしまった理由は、ひとえに俺の経験のなさ故である。高校という青春を謳歌するに相応しい場所にいるのだから、彼女の一人くらい作るべきなのかもしれない。
「いやでも、それは浮気か……」
所詮ゲームの話でリアルに持ち込むことじゃない。こう言っていたのは昨日の自分なのだが、俺は見事にアリスさんの関係をリアルに持ち込んでしまっていた。
ちゃんとキモい自覚はあるので、机に突っ伏して自己嫌悪に浸る。
「あの、ツカサくん……?」
聞こえるはずのない聞き覚えのある声に、思わず身体が反応する。あり得ないという思考よりも先に、返事をしてしまっていた。
「なんですかアリ……ささん」
顔を上げればそこにいたのは前の席に座る東條有咲。幸いにも名前が似ていたので軌道修正は可能だった。
東條は訝しげな視線をこちらに送っていた。
「なに、俺なんかやっちゃいました?」
「いや名前で呼ばれたからびっくりしちゃっただけだよ。えと、それで七瀬くんに聞きたいことがあるんだけど」
「ん? ああ」
こちらも名前で呼ばれたような気がしたけれど、多分気のせいだったのだろう。
「好きなVtuberっている? おすすめの人でもいいんだけど」
「いるけど、なんで俺に?」
「え!? えーと、そう! 前に鈴城くんと話してたから。わたしも最近Vtuberに興味を持ってね。それで、七瀬くんなら知ってるかなーって」
「俺のおすすめっていうか、好きな人でいいのか?」
「うん。合うか合わないかはおいといて、どんな人がいるのかもわからないからさ。知っておくに越したことはないでしょ?」
「俺の好きな人、たぶん東條も知ってると思うけどなー」
ここで自分の名前を出せるほど、今の俺は自己顕示欲が高くないので、好きな人となれば必然的にアリスさんをおすすめすることになる。ただ東條は滅びーなんて言い回しをしていたから、アリスさんを知っている可能性が高かった。
それでもいいのかと東條に問うと、彼女は頷いたので、俺は遠慮なしにアリスさんをおすすめすることにした。
「百合乃アリスさんっていう人で、『Vsync』っていう事務所に所属しているVtuberなんだけど、声がいいのはもちろんのこと、性格が明るくて見てて元気がもらえるんだ。そういう意味じゃ東條とは結構似てるかもな」
「あ、あーうん。知ってるよアリスさんね。わたしもちょっと見たことある」
「やっぱり? 昨日さ、滅びーって東條言ってただろ? あれってアリスさんがよく言ってるから、それで東條も見たことあるのかなって思ってたんだよ」
「え、えーと、七瀬くんはアリスさんのどこが、その、好きなの?」
「どこって言われると難しいな。話が合うし、一緒にいて安心するし、ふとした瞬間に幸せが実感できるっていうか。もろもろ含めて全部好きなんだけど、一番好きなのは雰囲気かな。アリスさんには人を惹きつける雰囲気があると思う」
「じゃあ、七瀬くんも魅せられちゃったんだ」
「ああ。歌って踊ってアイドルとしてライブする姿も、普段の配信の姿も、どっちも魅力的だよ。ずっと応援していたいし、できればずっと……いや、うん。とりあえず、俺はアリスさんが好きだ。配信をめっちゃ見れてるってわけじゃないけどな」
「ありがと。参考になったよ」
早口になってしまったような気もするけれど、東條は笑顔で俺の解説を聞いてくれた。
話すのが楽しかったからだろうか、どう考えても言っちゃいけないことを言いかけたものの、そこはなんとか踏みとどまる。それでも綻びはあったようで、東條の周りにいた女子にはそれが見事にバレていた。
「話が合うし一緒にいて安心するって、なんか話したことある人みたいだよね」
「いや、それはあれだよ! 配信ってコメントも一緒に楽しめるから、七瀬くんはコメントでアリスさんと会話できたっていうことだよね!?」
「え? あ、あーうん。そう! そういうこと!」
「なーんだ、ほんとに会話したことあるのかと思ってびっくりしちゃった」
「あははは……」
フォローしてくれた東條に不自然にならない程度に頭を下げて礼を伝える。踏みとどまれていなかったら、フォローもできないくらいに関係性が露見していたかもしれない。
いくら興が乗ったからと、発言には気をつけなければいけないのは配信者として当然なのだが、なぜか東條には話してもいいと思えたのだ。たぶん彼女の雰囲気がアリスさんと似ているから、そう思ったのだろう。
「逆に東條は誰を見てVtuberに興味を持ったんだ? やっぱりアリスさん?」
「え? えー、『Vsync』零期生の
「ああミライさんね。俺はちょっとしか見たことないけどすごいよな」
「うん。わたしが幼い頃からずっと最前線で輝いてて、この人の切り開く未来が見たいって思わされちゃったの。ずーっと好きだから、グッズもいっぱい持ってるし、スマホの壁紙もね、ほら…………あ、今は変えてたんだった」
「…………あの、話変えるようでごめんなんだけど、アリスさんのことってどれくらい好き?」
「……たまーに見るくらいだよ?」
たまに見るくらい!?
おかしな話だ。東條のスマホの画面に映っていたのは、俺と全く同じ画面。サーバー終了後にお互いに送り合ったスクショの一枚だった。
たまに見るだけの人が、この画像をスマホの壁紙にするだろうか。
……いや、そんなまさかな。
流石に都合のよすぎる妄想だ。それでもこの画像が示す先の一つに、間違いなくその可能性はある。
東條がアリスさんである可能性。前の席のクラスメイトと恋愛RPをしているという可能性。
アリスさんは俺と同い年であるわけで、その可能性はありえてしまう。東條とアリスさんはなにかと共通点が多いし、声だって似ている気がする。先ほど聞いた幻聴のツカサくんという呼び方が、本当に東條から放たれていたのかもしれなかった。
「えーと、七瀬くん? 急に固まっちゃったけど大丈夫?」
「……い、いや、なんでもない。ごめんちょっとトイレ行ってくる」
頭の整理が追いつかなかったため、俺はその場から逃走した。
別に勘違いならそれでいい。それなら俺はただ、ネットの海の中で同年代と恋愛RPをしただけの人になる。
だがもし、これが勘違いでなかった場合、俺はクラスメイトと知らず知らずのうちに恋愛RPをしていた人になる。これ自体に問題はないのだが、アリスさんと東條が結びついてしまうのは非常に良くない。東條は無駄に顔も性格もいいせいで、普通に意識してしまうからだ。その状況でアリスさんと恋愛RPをしたら、まず間違いなく挙動不審になるだろう。
それに、億が一にもリアルでも会っていましたなんて視聴者にバレた日には、炎上したっておかしくない。だってアリスさんはアイドルVtuberなのだから。
結局は妄想の域を出ない話ではあるが、一度考え始めたらそうである気がしてしまっている。一刻も早くこの疑念を晴らさなければ、俺の配信ライフは一人の少女に頭を占領されることになるだろう。
とは言っても相手は素性を隠さなければいけないVtuberという職業。直接聞いて、はいそうです。と答えるわけがない。だからアリスさんと東條の話を聞いて、同一人物か見定めなければいけない。
確信が持てたら、俺が龍玉ツカサであることを明かして、東條の口から事実を聞くことにしよう。
そうと決まればまずは明後日だ。今日聞いた東條の情報はさして多くないけれど、正しいかどうかをはっきりさせよう。
「今からドキドキしてきたな」
このドキドキは探偵然として励む高揚感から来ている。断じて、東條とアリスさんが同一人物だったときを想像してドキドキしているわけではない。
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