第3話「お前は、ところてんか」
入力欄には、書きかけの一文が残っていた。
「類似領域への応用」も削除。
俺は、そのまま送信しなかった。
水平展開は消した。
そこだけ見れば、ちゃんと直っている。
なのに、別の段落で、別の言葉が同じような顔をしていた。
俺はPDFプレビューに戻り、検索欄に「応用」と入れた。
一件。
「得られた知見は、今後の類似領域への応用にも活用可能である」
次に「可能」と入れる。
三件。
可能。
活用可能。
検討可能。
検索欄は、文字列を拾ってくれる。どこにあるかも教えてくれる。該当箇所に色がつく。そこまでは親切だった。
だが、その言葉がどのくらい先へ行っているのかまでは、教えてくれない。
俺は元メモのタブを開いた。
「活用」で検索する。
一件。
「評価結果を次回条件設定に活用」
これは俺が書いたものだ。
足元の話だった。次回条件設定。つまり、今回の評価結果を見て、次に何を確認するか決めるという意味だ。
PDFに戻る。
「得られた知見は、今後の類似領域への応用にも活用可能である」
同じ「活用」でも、こちらはずいぶん遠くを見ている。
俺はジェミ子のタブを開いた。
入力欄の続きを打つ。
「『類似領域への応用』という表現は削除。現時点では初期評価条件の確認に留める。今後の展開や応用に読める表現は避ける」
送信する。
数分後、社内ドライブの作業フォルダが更新された。
長い名前のPDFが、また一つ増えた。
俺は末尾の時刻だけ見て、それを開いた。
四枚目。
「得られた知見は、今後の類似領域への応用にも活用可能である」
その文は消えていた。
代わりに、少し下の段落がこうなっていた。
「初期評価で得られた知見は、今後の条件検討に資する可能性がある」
俺は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
おかしくはない。
むしろ、さっきより控えめだ。類似領域への応用、という言い方よりは足元に近い。今後の条件検討。資する可能性。会議資料としては、かなりおとなしい。
だが、温度はまだ少し高い。
資する。
可能性。
どちらも、一つずつなら普通の言葉だった。
俺は検索欄に「応用」と入れた。
該当なし。
「展開」
該当なし。
「可能」
二件。
「資する可能性」
「検討可能」
俺は元メモを見た。
「資する」はない。
「可能性」もない。
「検討可能」もない。
代わりにあるのは、箇条書きの短い言葉ばかりだった。
初期評価。
条件確認。
判断保留。
評価計画から戻す場合。
次回条件設定。
資料の中では、それが少しきれいな言葉に置き換わっている。置き換わっているだけなら、まだいい。
問題は、少し先へ向いていることだった。
俺はジェミ子のタブに戻る。
「『資する可能性』も削除。条件検討に役立つ、という表現も避ける。確認済みの事実と、未確認事項だけにする」
そこまで打って、送信した。
また作業フォルダが更新された。
またPDFが増えた。
開く。
該当箇所は、こうなっていた。
「初期評価結果を踏まえ、関連課題への適用可否を整理する」
俺は、小さく息を吐いた。
適用可否。
関連課題。
応用ではない。
展開でもない。
可能性でもない。
でも、似ている。
俺は検索欄に「適用」と入れた。
一件。
「関連課題」
一件。
「次」
二件。
「次の評価工程」
「次回条件設定」
検索欄は、ただ該当した言葉を返す。良いも悪いもない。元メモ由来の「次回条件設定」と、ジェミ子が整えた「関連課題への適用可否」が、同じ画面の中に並んでいる。
俺はその並びを見て、ぼそっと言った。
「お前は、ところてんか」
声は小さかった。
怒っているというより、疲れていた。
一つ押すと、別のところから出てくる。
ジェミ子が、まるごと無視しているわけではない。
指定した言葉は消えている。
水平展開も消えた。
応用も消えた。
資する可能性も消えた。
消えている。
なのに、資料のどこかが、また少し先を見ようとする。
俺は椅子の背にもたれた。
チーム内チャットが光った。
同僚からだった。
「そろそろフォルダ入れますか? 本当は昨日中に入れたかったので、午前中には展開したいです」
画面の右下に通知が残る。
全体会議用フォルダは、まだ止めている。本来なら、昨日のうちに入れて、関係者が朝から見られる状態にしておきたかった。だが、止められるのは今のうちだけだった。午前中に入れれば、午後の会議までに設計、評価、品質、営業の関係者が目を通せる。
そこから先は、「資料にそう書いてある」が歩き始める。
俺は返信欄を開いた。
「もう少しだけ確認します」
送信する。
すぐに既読がついた。
たぶん、同僚は困っている。だが、責めてはこない。昨日からフォルダ投入を止めてくれている。こちらが確認すると言った以上、待ってくれている。
俺はジェミ子のタブに戻った。
昨日の指示が、上の方に残っている。
工程表ページを最新版に差し替え。
全体会議名を正式表記に統一。
三枚目は前向きな印象になるように、ただし内容は変えずに調整。
前向きな印象。
そこに目が止まった。
俺が書いた。
ジェミ子が勝手に全部やったわけではない。俺が「前向きな印象」と書いた。部長の「今後の広がりも少し見せたい」を受けて、そう入れた。
ただし内容は変えずに。
その一文も入れた。
入れたが、どちらが強く効いたのかは分からない。少なくとも、ジェミ子は前向きな資料を作った。読みやすく、会議に通りやすく、少し先につながるように。
俺の指示も、まずかったのかもしれない。
そう思った。
だが、それで終わる話でもない気がした。
俺はPDFプレビューに戻り、四枚目をもう一度眺めた。
「今後の進め方」
その見出し自体は必要だった。全体会議の資料で、次に何をするかを書かないわけにはいかない。
問題は、その次がどこまで先なのかだった。
次の評価工程。
次回条件設定。
関連課題への適用可否。
周辺テーマへの示唆。
似たような顔をしているが、距離が違う。
俺は検索欄に「有用」と入れた。
一件。
「本検討は、周辺テーマの整理にも有用な示唆を与える」
四枚目の下の段落に、そんな一文も残っていた。
周辺テーマ。
有用な示唆。
俺は思わず目を閉じた。
これも、単体なら悪くない。
むしろ、会議資料としては優等生の言葉だった。
だが、今の俺には、少し遠い。
元メモには、周辺テーマも、有用な示唆もない。
俺はジェミ子の修正欄を開いた。
今度は、単語を一つずつ消す指示では足りない気がした。
それでも、まだうまい言い方は出てこない。
入力欄に、少し崩した言葉で打つ。
「広げて読める言葉は足さない。今分かっていることと、まだ判断していないことと、次に確認することだけにする。読みやすくはしていい。でも、先に進んだように見せない」
打ってから、少し見直す。
きれいな指示ではない。
だが、今の俺にはこれくらいが近かった。
送信する。
ジェミ子はすぐに返した。
「承知しました。現時点の確認事項、判断保留事項、次工程での確認項目に限定し、展開可能性や応用可能性を示唆する表現を避けて再整理します。」
その返事は、きれいだった。
また少し不安になる。
だが、今は待つしかない。
作業フォルダが更新された。
新しいPDFを開く。
三枚目。
「現時点では判断を保留し、次の評価工程で確認する」
残っている。
四枚目。
「今後の進め方」
箇条書きは、短くなっていた。
初期評価条件を確認する。
工程表ページを最新版に差し替える。
次の評価工程で確認する項目を整理する。
地味だった。
かなり地味だった。
さっきまであった、水平展開も、応用も、資する可能性も、有用な示唆も、関連課題への適用可否もない。
会議資料としての勢いは落ちた。見栄えも少し落ちた。部長が見たら、もう少し前向きにできないか、と言うかもしれない。
でも、俺は少しだけ息がしやすくなった。
PDFプレビューの検索欄に、順番に入れていく。
水平展開。
該当なし。
応用。
該当なし。
有用。
該当なし。
示唆。
該当なし。
適用。
該当なし。
可能。
一件。
「確認可能な範囲」
それも少し気になったが、今は残した。
画面の中では、たぶん直った。
少なくとも、検索欄に入れた言葉は、もうほとんど出てこない。
それでも、俺はまだ全体会議用フォルダに入れなかった。
検索欄は、言葉を探してくれる。
だが、資料がどんな顔で会議室に置かれるかまでは、見てくれない。
俺はプリンタのアイコンにカーソルを合わせた。
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