こんにちは。
重い内容の告発ですね。
きっと勇気を振り絞ったことと存じます。
こんな息が詰まるような学校生活だとは、つくづく同情いたします。
執筆者様がお察しのとおり、いま現在で共産主義を信奉している人は、かなりおかしな人であると思います。
考える力が弱く、自分の能力が低いことを棚に上げ他人を貶めることによって安心しようとする人か、または人格上の問題がある人。
私はそう思います。
たぶん、世間のほとんどの人も同意するのではないでしょうか。
そのような問題がある人達が、自分の学校の先生だったら…
本当にディストピア小説を地で行くような事態ですね。
もし私だったら、どう振舞うでしょうか…
途方に暮れてしまいます。
やれることとしては、録音して公表したり、役所に訴えることでしょうか。
役所は意外と人々の声を拾い上げてくれることがあります。
また、保護者の誰かが交代で教室内で生徒たちと一緒に授業を聞くことにするよう学校と取り決めると良いかもしれません。
学級崩壊の教室で、保護者が介入する例はしばしばあります。
大人がいることで教師の暴走を防ぐ効果は期待できるのではないでしょうか。
「23分間の奇跡」は、ディストピア小説です。
敗戦国の子供たちのところに戦勝国の教師がやってくる話です。
とても短い小説ですが、読み応えがあり、考えさせられます。
「世にも奇妙な物語」シリーズの話として、日本版でリメイクされています。
もしかしたら、YouTubeなどで見ることができるかもしれません。
(私もこんな小説を書いてみたい…)
この小説内の戦勝国の先生は、まんまと子供たちを言いくるめてしまいます。
執筆者様のお話を伺っていると、同志社国際の左翼先生たちは、思想を押し付けるだけで理論によって説得ができていないようですね。
左翼思想は、もうそれほど説得力を失っているのでしょうね。
国際ではない同志社の卒業生ですが、驚くほど似たような状況がありました。
思うに、キリスト教の博愛精神を良しとする価値観が共産主義お花畑と親和性が高く、政治思想と結びつきがち。これはカトリック/プロテスタント問わずこの傾向あると思ってます。
そして私学であるがゆえに教員の入れ替わりが少なく、採用する側が思想に共感する人間を優先的に採用したりついていけない教員が学校を離れる(経験あり)ことでエコーチェンバー化していき自浄も自制も自省もできない組織となっていく。
教育委員会の統制や監視も届かないし、保護者には大学内部進学を餌に学内に意見しづらくさせている。
このような腐った組織が文科省に教育基本法を守れと言われたことに真摯に向き合い、改善できるのだろうか?甚だ不安です。
生徒には耳にタコができるほど「自由には責任が伴う」と言っておいて、教員たちは自由に教育を行った責任をかけらも取ろうとはしないのです。
在校生は今まで信じてきた学校が信頼できない、安心できない状況で混乱し不安だと思います。でも自分で考え発信することができる君たちは自分で立ち歩いていけるはず。君たちに落ち度はない。悪くない。自分を責めないでほしい。
応援しています。
私は同志社国際14期生、30年前の卒業生です。勇気ある告発に敬意を表したい。我が母校は、かつて、歪んだ教育を行う学校ではなく、自由主義的校風だった。それが、カルトに汚染されていようとは思いもしなかった。被害に遭われた生徒さん、在校生、そして、保護者の方々の心情を慮ると同情を禁じ得ません。このような当事者の情報発信は、私学自治を盾に事件を希釈化しようとする勢力に対して極めて有効だと思います。在校生の立場で、社会やOBに対して何をしてもらいたいのか、引き続き発信してもらいたい。同志社という器に価値があるのではなく、真に価値を持つのは告白者のあなたや在校生一人一人の可能性、言い換えると、才能だと思います。ゆえに、一番大事なのは、あなたたち生徒全員が試練を乗り越え精神的に成長し、自らの才能を学校の大人たちに潰されないことだと思います。そのためには、事件の背景にある理不尽に抵抗することは必要だと思います。おかしいことは、おかしいといえなければ、それは、教育ではなく、ただのカルトです。
事故発生から3ヶ月経ち、人々の記憶から薄れ掛かってる時に声を上げてくれた事はとても悩み、迷った事だと思います。
教師も1個人なので、思想を選ぶ権利は奪ってはならない。
しかし、どんな環境に於いても中立性は保たなければならない。
教師は本音と建前を切り分ける事もある。
大変な職業だと思います。
ここに登場する教師は自ら学び得た教養や知識を生徒たちに包み隠さず話す事は何も咎めません。
しかし…、生徒たちの考えや見ている事に横槍を入れる言動や行動をあからさまに見せるのは絶対にあってはならないと思います。
子どもたちにとって、今の世の中の流れは将来の糧となり、あらゆる可能性も排除する事があってはなりません。
そこに違和感や息苦しさを感じた生徒さんが声を上げ、読んだ大人が何を感じるか?
ともに考える機会にしようと思うのです。
亡くなった同級生の御冥福を
お祈り致します。
声を上げてくれてありがとう!
はじめまして、私の四十年程昔しの高校生の時のエピソードです、大阪府立の高校で放課後や部活の帰る時間などには、校庭の来客用の駐車場に赤旗、共産党と書かれた車が停まっているような学校でした、私の父親は反共産主義反社会主義だった為、日頃からそう言う人種の話しを聞かされていたので自分が通う学校にもそう言う人種の先生が居るんだなと思っていた矢先に、人権の授業とやらで、講堂に生徒を集めていわゆる在日や被差別部落などの差別の講義を受けました、その最後に質疑に答えると言うので先ほども言いましたが父から聞いていた話しを疑問として投げかけました、今思えば当時高校生だった私を黙らせるのは大人にとって簡単な事だったと思います、さて前置きが長くてすいませんここからが本題です、その数日あと、授業中にクラスメイトの授業を受ける態度が悪いと言う事で、授業中にその生徒が職員室に連れて行かれたのです、その時間を受け持っている教科の先生が授業を捨ててですよ、やり過ぎと思ったクラスメイトと私は当然職員室まで抗議に行きます、その後クラスと先生側とで話し合いがあって収束するのですが、先生の中にも反社会主義反共産主義な人がいて教えてくれたのです、あっち系の人には気をつけた方がいいって、例の人権教育の授業の際の私の質問が気に入らなかった労働組合系の先生が私のクラスを罠にはめるために小さな日常茶飯事な事を大きくして、私やクラス全体を巻き込んで制裁を加える策略だっと、今大人になったから分かるのですが、大人になると自分で生活を支えないといけなくなります、子供の頃は親が食べさせてくれますが、大人は死活問題、平気で子供をねじ伏せにくる、ここで解決策を提示できればよいのですが残念ながら私にもどうすればよいか分かりません、でも貴方には私に無いものがある、若さと言う可能性、未来と言う可能性、最後に大人の一人としてこんな日本にした責任の一端が自分にもあると思い謝罪します。