そのダンジョン配信、三秒後に嘘が映る
@Iruga_Koichi
その切り抜き、三秒後に死人の手が映る
映像は嘘をつかない、なんて言う奴がいる。
たぶん、映像を仕事にしたことがない人間だ。
映像は嘘をつく。
しかも、人間よりずっと器用に。
深夜二時十三分。ダンジョン配信監査センターの第七校閲室には、空調の低い音と、安い椅子の軋みだけが残っていた。壁一面のモニターには、今日だけで炎上した配信のサムネイルが並んでいる。
「白瀬灯莉、仲間を見捨てる」
「S級探索者、救助要請を無視か」
「AKARI CHANNEL、死亡事故を笑顔で配信」
どれも同じ顔をしていた。
怒りやすいように切り取られた顔だ。
俺、三雲透也は冷めたコーヒーをひと口だけ飲んで、問題の切り抜き動画を再生した。
白瀬灯莉。
登録者三百万人のS級ダンジョン配信者。白い探索ジャケットと光属性の短剣で知られる、明るくて、強くて、スポンサー受けもいい国民的な探索者。
その彼女が今夜、日本中から「仲間殺し」と呼ばれている。
動画は十二秒だった。
暗い地下水路。天井から落ちる水滴。灯莉の肩越しに揺れるカメラ。奥から女の声がする。
『灯莉、待って、足が』
次の瞬間、画面が激しく揺れた。
灯莉は振り返らない。白い背中だけを見せて、出口方向へ走る。
そしてコメント欄が爆発する。
:今の聞こえてただろ
:置いてった?
:嘘だろ灯莉
:仲間より配信かよ
:S級なら助けられただろ
:謝罪しろ
:三秒戻してみろ
俺は動画を止めた。
「……三秒?」
切り抜きの末尾。黒く潰れた画面端に、妙なノイズがあった。
普通なら圧縮乱れで片付ける。暗所撮影のダンジョン配信ではよくある。魔素濃度が高い場所では、カメラのフレーム補正も平気で狂う。
だが、俺の目にはそう見えなかった。
黒い水面の反射が、三秒後のフレームだけ先に揺れた。
こめかみの奥を細い針で刺されるような痛みが走る。吐き気が喉元まで上がってくる。俺は机の縁を握り、もう一度、動画を三秒戻した。
再生。
『灯莉、待って、足が』
灯莉が走る。
画面が揺れる。
コメントが流れる。
:三秒戻してみろ
:三秒戻してみろ
:三秒戻してみろ
そこで、見えた。
本来なら映っていないはずの三秒後。
黒い水路の端から、白い手が伸びていた。
死んだはずの探索者の手だった。
指先はカメラに向かって、小さく、ゆっくりと手招きしている。
助けて、ではない。
こっちを見ろ、だった。
「音が違う」
自分の声が、やけに遠く聞こえた。
俺は元動画の波形を開く。切り抜き師が圧縮した音声ではなく、事務所経由で回ってきた配信アーカイブの検証用ファイルだ。救助要請の声だけを抜き出し、灯莉の足音、呼吸、カメラの環境音と重ねる。
ズレている。
声だけが、映像より三十七秒遅い。
ダンジョン配信の音は、普通の動画よりも嘘をつきにくい。
映像は派手に加工できる。光量を盛る。揺れを補正する。モンスターの血を黒く潰す。配信者の表情が悪く見えない角度だけを切る。だが音は、余計なものまで連れてくる。
ブーツが濡れた床を蹴る音。
魔石灯の低い駆動音。
遠くの水路を流れる水の向き。
探索者が恐怖を隠すために飲み込んだ息。
それらは、嘘をつくには細かすぎる。
だから俺は、まず音を見る。
目で、音を見る。
白瀬灯莉は、仲間の声を聞いて逃げたのではない。
声が鳴った時点で、灯莉はもう別の場所にいた。
さらにおかしいのは、声の奥に混じる水音だ。灯莉が走っている通路の水音は右から左へ流れている。だが救助要請に混じる水音は、逆向きに流れていた。
別地点の音声。
別時間の映像。
それを誰かが、たった十二秒に縫い合わせた。
いや、誰か、ではない。
人間の編集なら、こんな雑なことはしない。
雑なのに、悪意だけが正確すぎる。
俺は画面を拡大し、灯莉の左肩に付いた小型カメラの時刻表示を確認した。
二十二時四十一分十四秒。
救助要請の音声ファイルに刻まれた内部時刻は、二十二時四十秒三十七秒。
三十七秒前。
つまり切り抜きは、時間を逆向きに縫っている。灯莉が走った後ろ姿に、彼女がまだ別地点にいた頃の声を貼り付けた。視聴者は、それを「見捨てた瞬間」だと受け取る。
切り抜き鬼。
校閲室の都市伝説みたいな名前が、なぜか頭に浮かんだ。
俺は報告フォームを開いた。
件名は短くした。
「白瀬灯莉炎上動画、音声改ざんおよび未確認フレーム混入」
送信ボタンを押す直前、モニター右端のコメント欄が勝手に更新された。
切り抜き動画は止めている。
通信も切っている。
それなのに、黒い画面の上を、同じコメントが流れていく。
:三秒戻してみろ
:三秒戻してみろ
:三秒戻してみろ
そして最後に、一つだけ違う言葉が出た。
:見つけた
校閲室の蛍光灯が、短く明滅した。
俺は報告フォームを送信した。
その瞬間、背後のドアが開いた。
「三雲。今すぐその件から手を引け」
振り返ると、上司の灰原課長が立っていた。
こんな時間にいるはずのない人間が、最初からそこにいたみたいな顔で。
「白瀬灯莉の件は、もう処理方針が決まっている」
「処理方針?」
「事務所が謝罪文を出す。本人は活動休止。アーカイブは限定公開。うちは規約違反の確認だけして、終わりだ」
「終わりませんよ。音声が別時間です。切り抜きじゃなくて、元アーカイブにも混入している。誰かが、いや、何かが映像を」
「三雲」
灰原課長は俺の名前を、ひどく平らな声で呼んだ。
「君の仕事は、真実を探すことじゃない」
モニターの黒い画面に、俺と課長の姿が映っている。
その三秒後の映像で、課長の口元だけが笑っていた。
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