小さな恋の大逆転
azyl
プロローグ:パスタの音とおかえりの笑顔
「またコイツ出てるな。最近よく見る」
「あー、なんか凄い人気だよね。予約しても一年待ちなんだってー」
夕食中の夫婦がテレビを観ながらそう言った。
「あ! これ、友達が言ってたやつだ」
「姉ちゃんも相談したほうがいいんじゃね?」
「は? 彼氏いるし」
「週末はダラダラ家にいるけどなー」
どこかの仲良し姉弟がスマホの切り抜き動画を観ながら言った。
「俺にも女が出来るのか。まぁ、俺に合う女が居ないだけだからな。出会いさえすれば出来るな。ぐふっ」
ポテチを箸で摘みながら、パンツ一丁の男がテレビの前で呟いた。
『――いいですか。恋愛とはデータと心理誘導。極めて科学的なマニピュレーションなのです。己の深層心理を知り、正しく相性の良い異性を探し出し、統計的に正しい言動を選び取り、心のまま進めば必ずや思いは成就します。私はそのお手伝いが出来るのです!』
大画面の液晶テレビの中で、仕立てのいいスーツを着た男が、完璧なカメラアングルの微笑みと共にのたまう。
日本中で数え切れない程の人々が、その時偶然、彼を観ていた。
その圧倒的な話術と驚異的な実績で、今や財界人や数々の有名タレントまでをも顧客に持ち、一躍、時の人となった「恋愛コンサルタント」だ。
富も、名声も手に入れ、頭脳も、誰もが羨むルックスを併せ持つ、全てが完璧な男。
しかし、日本中の人々は誰も知らない。
この数多くの男女を結婚へと導き、恋愛の神様とまで呼ばれる男が齢三十目前にして未だ童貞だということを。
「うん。この収録はまぁまぁだな。次は腕の角度と声の高さを調整しよう。おっと!」
慌ててキッチンへ駆け出す。
「危なかった。収録の考察が過ぎてタイミングを逸するところだった……ふむ。今日のパスタは完璧。同じ材料、同じ作り方で67回目。極めたな。私くらいになると、音で美味しさが分かる。あっちぃ!」
都内超一等地にそびえ立つタワーマンション。1ミリのズレもなく整頓された部屋。ピカピカに磨き上げられた最高級システムキッチンの前で、月島は一人、完璧なアルデンテを皿に盛り付けながらうっとりと呟いた。
「服が汚れないよう裸で調理することを思いついたが、次はエプロンを用意しよう。すぐに問題点に気づき、改善する。それでこそ私だ」
裸体のまま窓際に仁王立ちし、眼下に夜景をとらえながらズルズルと麺をすする。
「世間の凡夫どもは『一人で寂しくないのか』などと抜かすが、笑わせるな。私ほどの男と釣り合う女などいない。ならば私は、私を磨き続け、自らを愛することに全力を注ごう。あぁ、今日の私も完璧だ……」
月島は自身が開発した恋愛シミュレーションAIに、過去一度だけ自分のデータを打ち込んだことがある。そして弾き出された「月島 光に最もふさわしい理想の恋人」の答えは「月島 光(本人)」だった。
「僕の理想の相手は、僕しかいない。ゆえに、僕の純潔は、この世界への最高の美学の証明なのだ――」
社会的ステータス:高レベル。
容姿、頭脳:きわめて高い。(ただし、ナルシスト)
幸福度:高い(ただし、極限の孤独)
これが、彼の生態であった。
◇ ◇ ◇
「ダメダメ。読んだけどさー、この原稿。こんなの全然流行らないって」
薄暗い街の、ずいぶんと年季の入った雑居ビル。
蛍光灯がチカチカと光る一室で、若い編集者は持ち込まれた原稿を、大あくびをしながらこっぴどくこき下ろした。
「いやでも、純愛ってのはいつの時代でも読者の心に……」
「売れなきゃ意味ないでしょ。ね? 先生」
編集者は、もごもごと反論する作家を、揶揄うように言った。
「読む人が読めば良さが分かる! だいたい、売る前に売れるかどうか何故分かるんだ!」
作家は路地裏を歩きながらつぶやいた。
落ちていた空き缶を思い切り蹴とばす。
空き缶はポリバケツにあたり高く舞い上がると、壁で絶妙に角度を変え、見事に男の頭へ戻ってくる。
「まったく、ツイてない……」
濁った雨が降る駅前の高架下。うだつの上がらない無精ひげの男が、傘もささずにブツブツと呟いた。
十年程前、とある文学賞を取ってちょっと浮かれたものの、その後はずっと泣かず飛ばず。「元・受賞作家」という頼りない肩書きの男だった。
務めた会社は倒産、両親は他界、外を歩けばカラスに頭を蹴られ、コンビニで温めたコロッケパンは開けた瞬間、中身が飛び出して床に散らばる。やることなすこと空回り。
ただ一つ、救いがあるとすれば——
「おかえり、こうちゃん」
古びたアパートのドアを開けると、優しい灯りと共に、温かい笑顔が彼を迎える。
長年付き合っている彼女の、しのちゃんだ。彼女は十年前、賞を取ったあの小説の大ファンで、それ以来、売れない彼をずっと働きながら支え続けてきた。
「ただいま、しのちゃん……ごめん。今日もダメだった。夢を追うのは、しんどいな」
「あらぁ。じゃあ次のがんばろ! こうちゃんの小説は世界で一番素敵だって私、知ってるから」
「うん。ありがとう。天才はなかなか認められないものだしね」
洸平は情けない顔で笑いながら、彼女の頭を優しく撫でた。
今日、編集者にクソミソに言われた原稿のことは話さなかった。これ以上、彼女に心配をかけたくない。近々、また新しく大きなネット小説のコンテストがある。
(今度こそ……今度こそ賞を取って、しのちゃんに美味しいものを食べさせて、新しい洋服を買ってあげるんだ。生活が落ち着いたら、絶対に結婚するって決めてるんだから。大丈夫。僕は天才なんだから!)
翌朝、なんとなく覗いたWeb小説サイトで、昨日の原稿が無断でネットに転載され、微妙にバズってた。
社会的ステータス:最低レベル
容姿、頭脳:中の上(ただし、過去の栄光が痛い)
幸福度:高い(ただし、極度の貧困)
これが、彼の生態であった。
◇ ◇ ◇
交わるはずのない二人。
この二人の運命が、明日、一瞬交差するなど誰も夢にも思わない。
やがてメディアを揺るがす大逆転劇を巻き起こすなんて露ほども知らない。
これはそんな、どこかに転がってる小さなお話。
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