第14話 思っている通りにならない午前。

 本格化した夏は日陰に立っているだけで汗が吹き出そうになる。身の丈に会うかどうかはともかく、折角だからとお姉ちゃんに借りたお化粧が落ちてしまわないかどうかが不安になって、手鏡を取り出して見る。髪の毛はカチューシャでサイドに流し、後ろは一度アイロンをかけて真っ直ぐにした後、軽くウェーブをかけた。すっかり伸び切ってしまっているので整えるのも大変だったけど、ある意味でこの髪が私の今を象徴しているのだから今は切る気になれなかった。同じ理由で、レンズの入っていないメガネもまだ、手放せなかった。

「望景~」

 一房だけ残った前髪を弄んでいると、私の名前を呼ぶ声がする。待ち合わせにはまだまだ時間があったと思うけど、律儀な相手は余裕を持たせていつも会いに来てくれるのだった。

 言わずもがな、その相手である押野さんはベージュのキャスケットに白の半袖シャツとサロペットを合わせて白いサンダルでまとめている。爪はネイルが塗ってあって足先まできれいに見える。春城さんに負けず劣らず押野さんもかなりおしゃれさんだと思う。

 さて。前に出かけた時もこんな感じの流れがあった気がするけど、今回もご多分に漏れずデートということになっている。夏休み中も会おうという話はしていたので、今日はその第一回にあたる。さてなにをしようかと考えていたところに押野さんからの連絡が来た私は、二つ返事で了承してそこからはトントン拍子に押野さんがお膳立てをしてくれた。

「今日の服、可愛いね。よく似合ってる」

 薄手のワンピースは中学からサイズも全然変わってないので古いもので申し訳なくなるけど、毎回お姉ちゃんに服を選んでもらうわけにはいかないし、前に着てきた服は今の時期には少し暑い。手持ちの中では比較的夏に着ても違和感がないしと思って選んだけれど、いざ押野さんを前にすると子供っぽいのではないかとか、横に並ぶにはみすぼらしいのではと萎縮してしまいそうになる。というか、何を着ても似合うのは同じ性別として少しずるいと感じてしまう部分もあったりなかったり。中性的な衣装も辛めも甘めも似合っている。オシャレのしがいもあるんだろうな。

「押野さんも……すごく似合ってます」

「ほんとぉ? 嬉しいなぁ〜」

 でも、押野さんの顔に浮かんだ表情はいつも見せてくれるニコニコとした笑顔で喜んでくれているみたいで少し安心した。押野さんはそういうことを気にしないでいてくれる人だということを、私はもっと理解するべきなんだろう。

「あ、でも一個だけ足りないのがあるんだよね」

「……?」

 押野さんはそういうと、私の顔に手を伸ばす。反射的に身を引こうとしてしまったのをなんとか押し留めると、押野さんは私の耳に引っかかったメガネのテンプルを掴んで、持っていってしまった。そしてそのまま奪い取ったメガネをかける。元々大きめのサイズなので、押野さんにはピッタリとフィットするようだった。

「忘れてきちゃったから、望景のこれ、借りてもいい?」

「え、あ、はい。どうぞ……」

 本当はメガネがないと不安だけど、押野さんがそうしたいと言うなら私に断る理由はない。元々あれは私の意識を狭めるためのもので、隣に押野さんがいるなら周りよりも押野さんに矛先を向ければいい。それくらいの権利は私にもあるはずだ。

「望景は朝ごはん食べた? 私まだなんだよね」

「すみません、家で食べてきちゃいました」

「そっか! ちょっとコンビ二寄ってくるからもう少し待っててもらってもいい?」

「はい。お気をつけて」

 押野さんは実質一人暮らしだし、自炊をするという話も聞かない。遠ざかっている背中を見送りながら、しばしまた一人の時間がやってくる。つま先が浮き立つ時間は押野さんを待っているからだろうか。早く、戻ってこないかな。

「あれ、夏山さんじゃない?」

 コンビニから出入りしている人を眺めていたら、ふと自分の名前を呼ばれた。

「おっ、ほんとじゃん! なにしてんの?」

 男の人が二人。私の前で足を止めてこっちを見ていた。

「あっ……えっ、と……」

「つかお前、よく気付いたな〜。髪の毛上げてっとマジわかんないわ〜! あとメガネないし。コンタクト?」

 一歩。パーソナルスペースの手前に二人が入ってくる。私のことを知ってるのなんてクラスメイトだけだろうし、多分二人はそうなんだろうけど、顔も名前も分からない。どうしよう……。

「誰か待ってる感じ? もしかして夏山って彼氏とかいんの?」

「いや、そ、ぁ……」

「アホか。いたって普通俺らには言わないだろ。あー……俺らこっからカラオケ行くんだけど、暇ならどう?」

 話題の波が押し寄せてくる。冷静に考えればそんなに大したことは聞かれてないんだろうけど、喉が詰まっている内にどんどんと話が進んでついていけない。押野さんや春城さん相手ならちゃんと返せるようになってきたのに、知らない人だと全然まともに話せない。

「その……っ、ょっ、予定が……」

「そっかぁ。悪いっ、邪魔したわ!」

「じゃあまた、学校で。急に話しかけてごめんね」

「あっ……い、いぇ……」

 気さくな二人は、私がしどろもどろで返事をしても変にからかうこともなく、手を振って行ってしまう。私も慌てて手を振り返すけど、結局二人は誰かも分からないまま、初会話と思しき体験はあっという間に終わってしまった。濁流に押し流されそうになりながらなんとかしがみつき続けた私を待っていたのは、今度は本来の待ち人だった。

「さっきの、秋本くんと木下くんだよね」

「ひゃっ……!」

 不意に後ろから声がして飛び上がる。ちょうど胸を撫で下ろしていた私に会心の一撃が加わって、反射的に背筋が伸びた。

「知り合いだったんだ。クラスとかじゃ話してるとこ見たことなかったけど」

「いえ、さっきが初めてです……」

「あ、そうなんだ! 二人とも運動部なんだって。えーっと確か……どこの部だったかな……」

「そうなんですね……」

 片手に持ったおにぎりを頬張りながら、二人についての解説をしてくれる。押野さんはクラスメイトの人みんなと仲良しだし、私や春城さんのみならず大勢と話しているのをよく見るからあの二人も例外ではないんだろうと思う。流石というべきか、単独行動ばかりの私とは天地の差だ。

「まぁ、クラスメイトの話もいいけど」

「……?」

 おにぎりの最後の一かけを飲み込んで、ゴミをまとめる。押野さんの手がそっと私の頬に触れた。

「今日は、私の日だから。よろしくね」

 見上げるように力を込められて、こっちを見ろとばかりに顔の向きを固定される。青い瞳にじっと見つめられ、胸の奥まで穿うがたれたような感覚になって、思わずたじろいでしまった。

「は、はひっ……」

 思わぬ衝撃に声と息が半々に混ざり合って情けなく抜け出てしまう。今日はずっとこんな風に乱され続ける気がする。漠然と、そんな予感がした。

「そういえば、望景は水着買った?」

「水着、ですか?」

 水泳の授業……なわけないし、夏に向けてということだろうけどそういう予定ないし。あ、違う、これは多分そういうことじゃなくて、だ。いくら察しの悪い私でも、押野さんの期待した表情と弾む足音でわかる。

「えっと……お誘い、ですか?」

「おぉ! 初めて望景に私の言いたいことが伝わった気がする!」

 それは大変申し訳ないことで。

 海やプールに出かけることもほとんどないし水着も小学校の時に買ったすごく子供っぽいやつしかなかったような気がする。

 考え込む私を覗き込んで、頭の中まで見据えたようにニヤリと笑う。

「今から買いに行こっか」

「今から……っ⁉」

「私が選んであげる! 行こう!」

「あっ、ちょっ――」

 私の静止もままならず、よく見る名前をした集合商業施設の建物内にズルズルと引きずられて行くのであった。


 水着ショップの壮観さは私が子供の頃に感じていたものとは全然違っていて、昔は分からなかった水着の意味というか、着飾りがまとう主張みたいなものが垣間見えるようになってしまい、たとえば目が飛び出てしまうような生地の少なさとかを見て、本当にこれを着る人がいるのかなどと考えてしまう。

 少なくとも押野さんが着ていたりなんかしたら私は言いようもないショックを受けて、その日は眠れなくなってしまうかもしれない。逆にこれを着てほしいと言われたりしたら、私は私の中にあるありとあらゆるものを賭けて押野さんと今後についてのご相談をさせていただかなくてはならなくなる。

 私が選んであげる、という言葉に押野さんの趣味が幾分含まれるか定かではないものの、ただサイズを黙秘しきれず自白し、後はひたすらに「待ってて」とだけ告げられた私は四方を囲まれた挙句、カーテンと鏡に挟まれて一人、処刑台に立つ罪人よろしくこれから来たるであろう『押野さんセレクション』の処断を待つだけだった。

「おまたせ、望景」

 カーテンの向こうから私を呼ぶ押野さんの声。返事をせずに誤魔化すことを一瞬視野に入れるものの外には思いっきり私の靴が残っている。押野さんがそれを見逃すとも思えないし、ここは一つ腹を決めるしかないと意気込んだ私の口からは、消え入りそうな「はぃ……」というスズメの鳴き声だけがこぼれ落ちてきた。

「いくつか選んできたから、着たら教えてね!」

 さっとカーテンの隙間から水着が差し込まれる。当たり前に今着ている服の何分の一もないであろう布面積に喉奥で呼吸がつんのめる。ぷらぷらと目の前で泳がされて、私はそれを受け取る以外の選択肢を失ってしまった。

 ままよと服を脱ぐ。当然着るものは水着なわけだから全部脱がないといけないわけだし、押野さんの厚意を無駄にもできない。もしここに才津先輩がいたらバッサリと切ってくれそうだ。イマジナリーでも御降臨いただけないだろうか。

 私のサイズで記憶にあるのは中学生の頃の記憶だけ。普通ならサイズが合わなくて、なんてこともあったのかもしれないけど、全く成長していないことは私自身がよく知っている。今年の身体測定で測られた数字は私のおぼろに記憶していた数字から誤差程度のブレしかなかった。

 ところで、こうして肌身に着けるものについてはパーソナルなイメージが強く出るもの。その最たる要素といえばカラーなんじゃないかと私は思っている。たとえば押野さんの瞳には宝石に比類した鮮やかな青色が惜しげもなく飾られていて、その瞳は身につけるもののカラーを容赦なく選ぶように、誰しも似合う色、そうでない色がある。

 ここで提示された水着は押野さんの中の私のイメージを選んだということでもあり、眉をひくつかせながら身につけた水着は、鮮やかというよりは少し曇りがかかった淡い色ばかり。どういう基準で選ばれているのかは分からないけど、水色や緑系の寒色が多い。私自身は自分のカラーについてこだわりがないので、押野さんの判断を信じるしかない。

 なんて思考の深掘りをしながら、とにかく水着を着るという行為については意識外に置いて、羞恥心に目を向けないよう心がけていた頃。しびれを切らしたのか、カーテンの外から様子をうかがう声がする。

「着れた?」

「はっ、はい……」

 答えるが早いか、シャッと音がして試着室の外から光が差し込む。押野さんの目には、バッチリと灰青のビキニを着た私が晒しあげられるのだった。

「ふぅん……やっぱり望景って背は低いけど、身体は締まってて健康的だよね」

 つま先からじっくりと眺められ、観察されるのは言い知れぬ恥ずかしさがある。なんなら押野さんの家でもっと直接的なものまで見られたはずなのに、あのときとは違って剥き出しの自分がそのまま押野さんの目の前にお出しされているような感覚になってしまう。あのときのように平常でいられないのは何故なのだろうか。なんなら何故あのときはあんなに冷静だったんだろうか。

「背中丸めないでね〜」

 腰に手を回されて引き寄せられ、鎖骨の真ん中あたりに当てられた手が軽く押してくる。必然的に私は押野さんと距離が近くなった上で胸を張らされてしまう。

「くぅ……っ」

 この前、母犬に首根っこをつかまれた子犬がこんな声をあげてた動画を見た気がする。自らの行く末を悟った諦観のうめきだ。ダンゴムシは自らを守るために丸くなるのです。私はダンゴムシではないけど。

「ん。じゃあ次ね」

 夏山望景鑑賞会、その第一弾を終えた押野さんは納得を呟きながら次の水着を渡す。どうやら一つだけでは終わらないらしい。選ぶ、というのはあくまで複数あってのものだから当たり前といえば当たり前なのだけど。

 そうしてパレオやレオタード(でいいのか分からないけど学校指定の水着のようなもの)、ワンピースタイプのようなものまで露出が少しずつ減っていきながら、様々な水着、カラーを試していく。露出については普通、逆なのではと思ったが折角増えた生地に減られても困るので言わないことにした。

「どれも可愛かったけど……やっぱり望景は肌出さないほうがいいかな」

 確かな安堵。これでもしやっぱり最初のビキニで、なんて言われてしまったからには今すぐ着替えてここから飛び出し、夏休みの間を何としてでも押野さんとの邂逅かいこうを避けて過ごさなければならないところだった。

「身体のラインはきれいだし露出多くてもいいけど、望景が恥ずかしくて出てこれなくなっちゃうもんね?」

「分かっていたなら、あまり意地悪をしないでください……!」

 ここに来てやっと、私は不平の一つを口にすることに成功する。なすがまま、されるがままだったメンタルがじわじわと体積を増して、噴火先を探していたところだった。

「ごめんね、これで許して?」

 ふと、カーテンが閉められたかと思うと、押野さんも試着室の中に半身を入れ込んでいる。死角が増えたその閉所で、私の額にそっと口づけをした。

「――――」

「ちょっとずつ刻んで行こうって思ったの」

「な、なにを……」

「距離、みたいな?」

 刻むって、今、から……? もう既に留まれないところまで進んでいたような気もしていたけれど、映像の逆回しのように関係も一度リセットされていたのだろうか。

 言葉を失って立ち尽くす。慌てて額を抑えると押野さんは外に出てカーテンを閉め切ってしまった。

「やっぱり水着買うのは今度にしよっか! 着替え終わったら、教えて!」

「……は、ぃ」

 なんでだろうか。キスなんて何度もしたのに、口づけられた額が、頬が、今までで一番熱い。私の反応が、これまでと全然違う。最近こんなことばかりだ。明らかに押野さんへの認識が今までとまるで異なっている。それだけは私自身にだってよくわかる。押野さんから見れば、それはもっとハッキリしたものに映ってるだろう。

 混乱した頭で答えはもちろん出ることなく私はよろよろと服を着直して、メンタルの在庫を探し回るように、試着した水着を丁寧にハンガーにかけ直して、押野さんと共にお店を出た。

「望景、まだ水着見ただけなのにすっごく疲れた顔してる。ちょっと休もっか」

 体力的にはなに一つ問題はないけれど、精神的に思いっきり削られた気がして仕方がない。肩を落とす私に比べて押野さんはむしろ元気になったような様子で隣を歩いて、当たり前のように私の右側を歩いて歩調を緩めてくれている。身長の低い私は当然押野さんより歩くのが遅いけど、それを苦に思っている様子を見たことがない。上手く隠しているのか、本当にそう感じていないのか、どちらにせよ気を遣ってもらっているのは間違いなかった。

 共に過ごす時間の中で、私はこの半分でも返せていない。私はいつも彼女の気持ちにおんぶに抱っこのまま。なのに彼女はこんなにも笑顔でいてくれる。その原動力は一体何なのか、漠然と理解はしていても、半信半疑のまま中空に浮いた疑問がモヤになって煙っていた。

 ――やっぱり今日は私の思っている通りにはならない。

 

 高層階に入っている喫茶店で腰を落ち着けた私たちは小さな二人用の席に向かい合って座っていた。窓際で景観の良い席からは車や人の行き交う景色が眼下に広がっている。

「席空いててよかったね」

「そうですね」

 周囲は上品な服装の中年女性グループや土曜でもスーツを着ている人、私たち同様遊びに来ているであろう若年層グループなど様々な客層で賑わっている。アイスココアを片手にちびちびとついばみながら私が見ていたのは、その景色ではなく押野さんだった。

 長いまつ毛に大きな青い瞳。薄いメイクで十二分に引き立つ目鼻立ちと、高身長ですらりとしたスタイルは今日一緒に歩く間にいくつの視線を集めたかわからない。人当たりも良く、色んな人と仲がいい。押野さんのことを知れば知るほど、私である必要があるのだろうかと思う。私よりも、もっといい人が――。

 ちくり、と胸に小さな針を刺されたような気がしたところで、窓から視線を外した押野さんと目が合った。

「うん? コーヒー飲む?」

「えっ、あ、はい」

 思考の隙間を縫うようにストローを向けられて、定まらない心から目をそらすように、差し出されたそれを口に含む。吸い上げたコーヒーは想像よりも甘くて美味しかった。

「間接キス、なんてね」

「っ⁉」

 飲み込んだ直後に放たれた言葉は、私をむせさせるには十分だった。

 直接だってしたことあるし今更なことなのに、咥えた後のストローの先から視線が離せなくなる。もちろんそれは持ち主である押野さんの唇に挟まれて、グラスの中の液体を吸い上げていく。

 ……変に意識している。今回だけじゃない。少し、前から。

 私の中の変化は日に日に顕著になっている。それでもまだ答えの出ていない問題に留保を続けている。

「こういうことを聞くのは卑怯なのかもしれませんが……どうして、私なんですか?」

 せめてもの手がかりを探して、問いかける。押野さんは肘を立てて頬杖をつきながら、青い双眸そうぼうで私を見つめた。

「あのとき助けてくれたのが、望景だったからだよ」

 その眼の中には確かに私が映っている。今は、私の顔が。

「昔話、しよっか」

 コーヒーのグラスを置く。かたりと音が鳴って残っている氷が二つ、透明な入れ物の中で整列した。

「私の周りにはね、誰もいなかったんだ。親はずっと仕事で家にいないし、一人でいる時間ばっかり。学校では友達がいたけど、その友達は決まって違う友達がいて、二人組を決めるときは私じゃなくてその子を誘ってた。中学に入って男の子に告白されたりすることが増えた。でも私はその人のことをなにも知らない。私のどこを好きになったのかをいつも聞いて、返ってくるのはいつも、どこかで見かけて、とか成績がいいからって目をそらしながら言うの。すごく不思議だった。それでも私のことを好きだって言ってくれるなら、目を合わせてそう言ってくれるだけでいいのに、まるで悪いことを聞かれた、都合が悪い、みたいな顔をするの。私にはそれが分からなかった。大体、好きだとかってこともよく分かってないのに、みんなどうして私を好きって言ってくるんだろうって。好きなら好きで、なんでちゃんと向かい合ってくれないんだろうって。結局、私はその人の特別にはならないんだろうなって、そんな風に思えて。誰とも付き合ったりしない私を妬んだり、『ぶってる』なんて言う子も居て。それ自体は仕方ないって思ってたけど、優等生ってラベルで値段が決められて、その物珍しさに飾り立てられるだけ。私の周りに人が増える度、どんどん独りきりになっていくみたいだった。私はみんなと同じ高さにいるはずなのに、みんなが勝手に私を持ち上げて独りにする。私は誰かの飾りにはなれるけど、誰かの隣にいる特別にはならないんだって感じる度に、全部が灰色になってくみたいだった」

 薄桃色のネイルに彩られた、艷やかで細長い指が私の頬に触れる。優しくて、温かくて、くすぐったい繊細な接触。

「高校に入ってからも、なんとなくそんな感じで。望景に会った最初のときも、どうせ誰も助けてなんてくれないって、でも怖くて、嫌で、私にはどうにもならないことを、なんとかしてほしいって思ったら、声が出ちゃって。そんなとき、望景が助けてくれた。耐えるだけだった、諦めかけてた私に手を差し伸べてくれた。望景自身があれだけ辛そうな表情をしていても、私を助けることを優先してくれた」

「そんな、私は……あのとき、自分でもよくわからなくて」

 反射的、生理的。そういう自分じゃ操作できないなにかによって、あのとき瞬間的に弾かれていただけで、相手が押野さんだとか一切考えていなかった。ただ、なにも見ずに身体だけが動いていた、そんなことを思い出す。

「そんな望景だからこそ、私は救われた。困っても、苦しくても、誰も私を助けてはくれなくて、誰も『私』を見てくれない、この世界で望景だけが私を掴んでくれた。見つけてくれた気がした。今でもそれは間違いじゃないって思ってるよ」

 もし、押野さんの言っていることが本当だったとして、それなら。

「助けたのが、私じゃなかったら……?」

「そのときはきっと、その人を好きになってたと思う。けど『その人』は今私の目の前にいてくれてる望景だよ」

 グラスの氷が崩れて、カランと音を立てる。周囲の喧騒は遠く離れていて、押野さんの息遣いまでが耳に入ってくる。押野さんの触れているところからじくじくと痛みのない電流が滲み広がってくるようで、ゆっくりと目を閉じてその感触に身を委ねた。

「偶然でも、奇跡でもなんでもいい。人が誰かを好きになるってことがこんなに簡単に、一瞬で起こってしまうことでも、私は望景に出会えたことがとっても嬉しいよ」

「……そうですか」

 それしか、言えなかった。確かにその言葉を聞いて私は嬉しいと感じてしまったから。私自身も同じように考えていたことを思い知ったから。独りであるべきと感じながら、独りを遠ざけたかった私と、独りを遠ざけたいと願いながらも独りでしか居られなかった押野さん。立場は逆であったとしても、その根底にあるのは寂しさという原初的な感情で。私たちはそれをお互いに埋め合えるような気がして、手を取り合ったんだ。そうして過ごした時間はたった二ヶ月という時間に、もう何年もそうしていたかのように馴染んでいて、私は急速に押野さんを受け入れ始めていた。

「気付いてる? 望景から私のことを聞くのってすっごく珍しいんだよ」

 そう、だっただろうか。いや、そうだったのだろう。思えば、押野さんが話してくれることばかりを聞いて、私から押野さんについてなにかを聞いた記憶があまりない。そうか、私はここまで来てもなお、押野さんと一定の距離を取ろうとしていたんだ。近付きすぎてしまうことで触れてしまいそうななにかを恐れていた。その一歩が、やっと踏み出せるときが来たのかもしれない。今まで寄りすがった暗闇から抜け出して、光の差す向こう側へ。

「これからは、珍しくない……かもしれないです」

「……そこはかもしれない、じゃなかったらもっと嬉しかったな」

「善処……します」

「ふふっ、冗談だから。さ、そろそろ行こっか。デートは水着を見ただけで終わりじゃないでしょ?」

 空になったグラスをお盆にまとめて返却口に置く。どちらからか分からないけど、お店を出る頃には私たちは手を繋いでいた。

 まだまだ、私たちの一日は終わらない。

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