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  • おくりびへの応援コメント

    時代小説ということで気になっていました。
    拝読しました。
    私自身、情動的な感想を書くのはあまり得意ではないのですが、普段から作品の構造や、その奥に流れているものを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。

    少し長文になりますがお許しください。


    開幕から、すこし笑ってしまう場面があります。

    手習所で、恭助が信三郎に言います。
    「お前字汚いな」

    失礼なのに、あまりにも率直で、しかもそこから翌日には後をつけられて、言われます。
    「友人は手習所へ並んで向かうものだ」

    「俺とお前がいつ友人になったんだよ」と問えば、「昨日だ」と一言で返されます。

    この噛み合わなさが面白いと思いました。

    信三郎が一方的に関係を名づけて、恭助はその定義を受け取りません。
    受け取らないのに、結局、着物は貸してしまう。
    この最初のずれが、物語の最後まで続いていく軸だったのだと、読み終えてから気づきました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    読んでいてまず気になったのは、信三郎は関係を言葉で決めていく人で、恭助はそれを言葉では返さない人として、最初から最後まで描かれていることです。

    信三郎の側は、先に言葉を置きます。

    友人だと言う。
    着物を貸してくれと頼む。
    恭助の傍に来る理由を、自分の中で決めてしまう。
    そして遺書の中では、恭助のことを書き記します。

    「友」であり
    「兄」であり
    「道の標」だと

    三つの言葉を並べたのは、一つでは足りなかったからだと思います。

    友人というだけでもない。
    兄のように接してくれた、というだけでもない。
    自分の歩む向きを示してくれた人、というだけでもない。

    信三郎にとって恭助は、一語で片づけられる相手ではなかったのだと思います。

    でも恭助は、その三語を一語も返しません。最後まで。

    「意に反して承諾の言葉が漏れた」と書かれるように着物を貸します。

    茶を淹れる。「呼び止めるべきではないと思いつつも」と書かれながら声をかけ、火打石を打つ。灯籠に名を書く。「またな」と言います。

    拒む言葉と、受け取る行為。

    そのあいだのずれが、物語を通じて積み重なっていきました。

    ここで思ったのは、恭助の返答は、名詞ではなく動詞でできているのだということです。

    信三郎は、恭助との関係を名詞で残します。
    「友」
    「兄」
    「道の標」
    どれも、恭助が自分にとって何者だったのかを、どうにか言葉で固定しようとする呼び名です。

    でも恭助は、その呼び名を返しません。

    代わりに、
    貸す
    淹れる
    呼び止める
    火を打つ
    名を書く
    流す
    そして、見極めようとする。

    恭助の中で信三郎が何者だったのかは、最後まで一語にまとまらず、行為だけは積み重なっている感じです。
    恭助が何も返さなかったわけではないと思います。ただ、その返答は「友人だ」という名詞ではなく、信三郎を送るための動詞として置かれています。

    この非対称が、静かで、かなり痛いところでした。

    信三郎の「俺」という一人称も、この作品の核心にあると感じました。

    武家の息子として生きる信三郎は、本来「私」の側にいる人です。

    上等な袴
    行儀よい姿勢
    屋敷と藩校の生活
    家名や身分から逃れられない場所

    それでも恭助の書物問屋に来ると、一人称が「俺」に変わります。
    着物を真似て、くだけた調子になって、だらしなく寝転んで、茶を催促する。
    そこでは、信三郎は少しだけ息ができているように見えます。



    雪の夜、信三郎は打ち明けます。

    「ここに来ているときは、私は“俺”でいられたんだ」
    「家にいるとき、学校で学んでいるとき、どんどん、自分が消えていく」

    この言葉が来るのは、「多分、もう会えない」という言葉と同時です。

    「俺」でいられたことが、言葉になります。
    それが言葉になるのは、その時間が終わる直前でしかない。
    確認される前に、もう喪失の形に包まれています。
    そのことが、ずっと心に引っかかっていました。


    死後に届く遺書の形式も、読みながら気になりました。

    あの遺書は候文で書かれています。
    武士が書く、改まった文語体です。
    信三郎が恭助の前でだけなれた「俺」の声ではなく、制度の中の「私」が書く言葉です。

    生きているとき、恭助の傍でだけ成り立っていたものが、死後には制度の言葉を通じてしか届かない。
    そのねじれが、遺書という形式の中に埋まっているように感じました。

    その「私」の言葉の中で、信三郎はこう書きます。

    「御傍こそ、屋敷にも学舎にも居場所を見出だせざりし我にとりて、唯一の憩ひ所に候ひき」

    整えられた候文の中に、制度の外でしか成り立たなかった自己の証言が置かれています。
    恭助が受け取るのは、「俺」の声そのものではなく、「私」が「俺でいられた場所」について書いた証言なのだと思いました。

    この形が、とても切ないです。

    そして遺書の冒頭で、信三郎は返事がないことを責めません。

    「御返答なかなか賜らず、常には我が独り言のごとくに相成候へども、それもまた然るべしと存じ奉候」

    返答のないやりとりを、「そういうものだ」として受け入れた上で書いています。
    だからこの遺書は、「返事がほしい」「分かってほしい」という手紙とは少し違うのだと思います。

    ただ一つのことだけを届けようとしている。

    覚えていてほしい、と。

    その控え方が、かえって残ります。


    悪筆の反復も好きです。

    「お前字汚いな」と始まった関係が、文通の中では添削の対象になりました。
    遺書を読むときに恭助が「はは、相変わらず汚ぇ字だな」と笑い、そのまま目から雫が落ちます。

    笑いから始まる喪失の確認。

    改善されなかった字が、改善できないところまで来てしまったあとで、信三郎を識別する痕跡として最後に現れます。
    関係の最初にあったものが、最後に形を変えて戻ってくる。この折り返し方が、とても印象に残りました。

    灯籠に名を書く場面は、単純な救いとしては読めませんでした。

    信三郎は「御身の目に映る一人たり得るならば、我が望みは遂げられ候」と書きます。
    灯籠に名前を書き、灯りを灯して川へ流すとき、恭助の目の前で信三郎の名は確かに光る。その瞬間だけは、信三郎の願いへ向かう行為があります。

    「命絶ゆるまで、御身、我を覚えて下され」という言葉が本当に果たされるかどうかまでは、本文は確かめさせてくれません。

    記憶が完成したのではありません。

    覚え続けることを、これから恭助が背負っていく。その途中で、物語が閉じているように感じました。


    「また」という言葉も、忘れがたいです。

    火打石の場面では「また会えることを願って」と書かれながら、「可能性はないに等しいが」とも書かれています。
    灯籠には「またな」と言う。遺書の末尾には「また相まみえ奉らん」とあります。

    どの「また」も、再会を約束していないような気がします。

    もう会えないと分かっている場所で、それでも置かれてしまう言葉です。
    明るい約束ではなく、届かないと知りながら残してしまう継続の言葉として、ずっと響いていました。


    「人の世が、まだ生きるに値するかどうかを見極める」という終端の問いも、信三郎自身の言葉ではないと感じました。

    信三郎が語ったのは、「恭助たちを守る」ことや、「武士に生まれし身のつとめ」だと思います。
    それを恭助が後から大きな問いへ広げ直して、自分の前に立てています。
    答えのない問いを、答えのないまま引き受けて生き続けていく感じです。

    そこで閉じる。

    というより、そこから先をこちらに残して閉じる感じです。

    その手前で終わることが、この作品の余韻のかたちなのだと思いました。

    信三郎が三語で命名した関係を、恭助は一語も返しませんでした。

    でも灯籠に名を書きました。

    それだけが確かなことで、それ以上は確かめさせてもらえません。
    そのわずかな余白が、この作品のいちばん重い場所だと思います。

    『おくりび』は、幕末の友情の物語として読めます。
    身分の違う二人が出会い、近づき、時代に引き離される物語としても読めます。

    それだけではなく、言葉にできない関係が、着物、茶、手紙、火打石、灯籠、悪筆へと少しずつ形を移していく作品でもありました。

    信三郎の「私」と「俺」を追いながら、恭助が最後まで何を言わず、何をしたのかに注目して読んでほしいと私は思いました。

    読み終えたあと、川へ流れていく灯りと、遺書に残ったあの汚い字が、しばらく消えませんでした。