2026年8月13日 22:00
第2話 足利義輝くんと長尾景虎くん 家出編 後編への応援コメント
自主企画へのご参加ありがとうございます。あらかもです。今回は第一話を拝読した後、もう少し確認したい点があったため、第二話まで読ませていただきました。先に申し上げます。今回ですが、私自身作品で広く用いている「コメディ」と「対話体」について、かなり厳しく指摘します。本作はジャンルとしてコメディを掲げており、あらすじでも、「全員アホだ!」「IQを道端に捨てた」「一分で脳みそが溶ける」など、かなり強く笑いを前面へ押し出しています。そのため読者としても、当然ながら「どのようなコメディを見せてくれるのか」という期待を持って第一話へ入ります。実際に読んでみると、・歴史上の人物が現代風の口調で話す・史実上の出来事を「家出」「観光」など現代的な言葉へ置き換える・歴史上の人物に頓珍漢な解釈をさせるといった部分が、主な笑いとして設計されているように感じました。ただし、ここで一つ大きな問題があります。「歴史上の人物が現代風に喋る」というギャップは、読者が作品のルールを理解した時点で通常状態になります。最初は「上杉謙信がこんな喋り方をするのか」というギャップになりますが、それが何度も続けば「この作品ではこういう喋り方をする」と読者は学習します。すると、そこから先は別の方法で笑いを発生させる必要があります。人物同士の認識のズレ、勘違い、前振りと回収、状況そのもののおかしさなど、設定以外から笑いを生み出す仕組みです。今回、第二話まで進んだ最大の理由がここでした。第一話だけでは「この先で別の笑いが展開されるのかもしれない」と判断を保留していました。しかし、第二話でも同じ傾向が確認できました。特に気になったのが、「(違う)」という語り手側からのツッコミです。登場人物が頓珍漢なことを言う。別の人物がそれを受ける。最後に語り手が「(違う)」と訂正する。この構造が複数回使われています。もちろん、語り手によるツッコミ自体が悪いわけではありません。ただ、今回の場合は登場人物同士の掛け合いだけでは笑いが完結せず、語り手が外側から処理しているように感じました。ここから、もう一つ大きな問題として感じたのが対話体の扱い方です。本作は非常に会話の比率が高いです。しかし、「台詞が多いこと」と「対話が成立していること」は別です。対話では、「この人物だから、こう言う」「相手がこう言ったから、こう返す」「その返答によって、さらに相手の反応が変わる」という相互作用が重要になります。ところが本作では、質問 → 回答 → 次の質問 → 回答という情報伝達型の会話が多く、相手の発言によって会話そのものが予想外の方向へ変化していく場面が弱く感じられました。特にコメディでは、ボケを相手が拾う。さらに別方向へズラす。最初にボケていた人物が今度はツッコミに回る。以前の発言が後になって別の意味で回収される。こうした人物同士の作用そのものを笑いにできます。現状では、その役割の一部を「(違う)」など語り手側の補足が担っています。かなり厳しい言い方になりますが、現状では、登場人物同士が会話することで物語や笑いが生まれているというより、作者が用意した情報やネタを、複数の登場人物へ振り分けて喋らせている印象が強いです。そのため、今回私からおすすめするのは、細かな文章表現の修正よりも、「コメディの作り方」と「対話体の扱い方」を、一度基礎から見直すことです。特に練習として、「(違う)」のような語り手側のツッコミを禁止して、登場人物同士だけで一つの笑いを成立させてみるのは有効だと思います。ボケを誰が拾うのか。どう返すのか。さらに相手はどう返すのか。それだけでも、現在とはかなり違った会話になるはずです。そして最後に、一つ質問があります。作者様自身は、本作の「どの部分」を読者に笑ってほしいと考えて書かれているでしょうか?歴史上の人物が現代風に喋ることなのか。史実を現代的な感覚へ置き換えることなのか。人物同士の掛け合いなのか。歴史を知っている人だからこそ分かるパロディなのか。今回、第二話まで拝読して、私が最後まで掴みきれなかったのがこの部分でした。ここが作者様の中で明確になれば、今後どの技術を伸ばすべきなのかも見えやすくなると思います。今回は第一話で感じた違和感について、第二話でその原因と思われる部分まで確認できたため、ここで入り口診断を終了します。コメント失礼しました。
第2話 足利義輝くんと長尾景虎くん 家出編 後編への応援コメント
自主企画へのご参加ありがとうございます。
あらかもです。
今回は第一話を拝読した後、もう少し確認したい点があったため、第二話まで読ませていただきました。
先に申し上げます。
今回ですが、私自身作品で広く用いている「コメディ」と「対話体」について、かなり厳しく指摘します。
本作はジャンルとしてコメディを掲げており、あらすじでも、
「全員アホだ!」
「IQを道端に捨てた」
「一分で脳みそが溶ける」
など、かなり強く笑いを前面へ押し出しています。
そのため読者としても、当然ながら「どのようなコメディを見せてくれるのか」という期待を持って第一話へ入ります。
実際に読んでみると、
・歴史上の人物が現代風の口調で話す
・史実上の出来事を「家出」「観光」など現代的な言葉へ置き換える
・歴史上の人物に頓珍漢な解釈をさせる
といった部分が、主な笑いとして設計されているように感じました。
ただし、ここで一つ大きな問題があります。
「歴史上の人物が現代風に喋る」というギャップは、読者が作品のルールを理解した時点で通常状態になります。
最初は「上杉謙信がこんな喋り方をするのか」というギャップになりますが、それが何度も続けば「この作品ではこういう喋り方をする」と読者は学習します。
すると、そこから先は別の方法で笑いを発生させる必要があります。
人物同士の認識のズレ、勘違い、前振りと回収、状況そのもののおかしさなど、設定以外から笑いを生み出す仕組みです。
今回、第二話まで進んだ最大の理由がここでした。
第一話だけでは「この先で別の笑いが展開されるのかもしれない」と判断を保留していました。
しかし、第二話でも同じ傾向が確認できました。
特に気になったのが、
「(違う)」
という語り手側からのツッコミです。
登場人物が頓珍漢なことを言う。
別の人物がそれを受ける。
最後に語り手が「(違う)」と訂正する。
この構造が複数回使われています。
もちろん、語り手によるツッコミ自体が悪いわけではありません。
ただ、今回の場合は登場人物同士の掛け合いだけでは笑いが完結せず、語り手が外側から処理しているように感じました。
ここから、もう一つ大きな問題として感じたのが対話体の扱い方です。
本作は非常に会話の比率が高いです。
しかし、
「台詞が多いこと」と「対話が成立していること」は別です。
対話では、
「この人物だから、こう言う」
「相手がこう言ったから、こう返す」
「その返答によって、さらに相手の反応が変わる」
という相互作用が重要になります。
ところが本作では、
質問 → 回答 → 次の質問 → 回答
という情報伝達型の会話が多く、相手の発言によって会話そのものが予想外の方向へ変化していく場面が弱く感じられました。
特にコメディでは、ボケを相手が拾う。
さらに別方向へズラす。
最初にボケていた人物が今度はツッコミに回る。
以前の発言が後になって別の意味で回収される。
こうした人物同士の作用そのものを笑いにできます。
現状では、その役割の一部を「(違う)」など語り手側の補足が担っています。
かなり厳しい言い方になりますが、現状では、登場人物同士が会話することで物語や笑いが生まれているというより、作者が用意した情報やネタを、複数の登場人物へ振り分けて喋らせている印象が強いです。
そのため、今回私からおすすめするのは、細かな文章表現の修正よりも、
「コメディの作り方」と「対話体の扱い方」を、一度基礎から見直すことです。
特に練習として、
「(違う)」のような語り手側のツッコミを禁止して、登場人物同士だけで一つの笑いを成立させてみる
のは有効だと思います。
ボケを誰が拾うのか。
どう返すのか。
さらに相手はどう返すのか。
それだけでも、現在とはかなり違った会話になるはずです。
そして最後に、一つ質問があります。
作者様自身は、本作の「どの部分」を読者に笑ってほしいと考えて書かれているでしょうか?
歴史上の人物が現代風に喋ることなのか。
史実を現代的な感覚へ置き換えることなのか。
人物同士の掛け合いなのか。
歴史を知っている人だからこそ分かるパロディなのか。
今回、第二話まで拝読して、私が最後まで掴みきれなかったのがこの部分でした。
ここが作者様の中で明確になれば、今後どの技術を伸ばすべきなのかも見えやすくなると思います。
今回は第一話で感じた違和感について、第二話でその原因と思われる部分まで確認できたため、ここで入り口診断を終了します。
コメント失礼しました。